見出し画像

世界的女優、ジョディ・フォスター

11月19日は、世界的女優、ジョディ・フォスターが生まれた日。映画監督、映画プロデューサー。1988年公開の『告発の行方』と1991年公開の『羊たちの沈黙』で2度アカデミー主演女優賞を受賞した。(1962年11月19日 - )

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

公式LINEへの登録で、毎月偉人・貴人のカレンダーを配信中。
最下部からご登録ください。

カリフォルニア州ロサンゼルス出身。4人兄妹の末っ子として生まれる。

3歳の時、離婚した母と子供4人の一家の生活費を稼ぐため、2歳年上の兄バディ、と共に子役として活動していた。

8歳から高校時代までロサンゼルスにあるフランス人学校のリセ・フランセ・ドゥ・ロサンゼルス に在籍し、バカロレアを取得。

人気子役ジョディの女優魂に火がついたのは、13歳で出演した『タクシードライバー』。その役柄は12歳の娼婦というショッキングなものだったが、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。この映画祭の会見では、お得意のフランス語を流暢に話したのも注目を集めた。

その後はハーバード大学、コロンビア大学などの複数の名門校に合格したが、選んだのはイエール大学。アメリカ文学を専攻し、ノーベル文学賞を受賞した黒人文学の作家、トニ・モリソンを卒業論文とし、優秀な成績で卒業した才媛中の才媛。

その後の女優としての活躍は皆様がご存知の通り、

その同時期にジョディが挑戦したのは映画監督業。

当時、女性監督はまだ少なく、さらに女優という立場は画期的な存在だった。

その後の女優業と監督業を両立しなごら、1992年には自身の映画製作会社エッグ・ピクチャーズ・プロダクションを設立。

映画の制作にも関わるようになったが、1998年に36歳で長男チャールズを出産、2001年に次男キットを産み、女性プロダクション・マネージャーのシドニー・バーナードと交際をきっかけに仕事をセーブ。

ジョディは2013年に、写真家アレクサンドラ・ヘディソンと出会い、2014年4月に彼女と同性婚をする。

これはジョディにとって初めての結婚で、ジョディは51歳、アレクサンドラは44歳だった。

出演作は少ないものの、久々に出演した法廷サスペンス映画『ザ・モーリタニアン(原題) / The Mauritanian』(2021)では、あっさりゴールデン・グローブ賞助演女優賞を受賞している。

「作品数が多くないのは、私の性格のせいなんです。私は仕事だけじゃなく、もっと別のこともやりたいんです。そうじゃないと、頭が爆発してしまうから(笑)。私は、本当の人生を体験するために戦ってきたんです。旅行するため、休暇を取るため、子供たちの靴を買うため、子供たちを行院に連れて行くため、大学見学に連れて行くために。それが私の人生で大切なことだから。それらをしていると、とても忙しいんです」と語っています。


サロンドフルールイコア公式LINE
お友達登録でウーマンズストーリーカレンダーを配信しています🌹

▶友達追加はこちらから

🌷 青木恵インスタグラム
🌷 ikoa 公式サイト

いいなと思ったら応援しよう!