夏でも毛皮を着るほどの寒がりだったフランスの小説家、マルセル・プルースト
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ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。
楽しんでいただけたら、嬉しいです。
7月10日は、フランスの小説家、マルセル・プルーストが生まれた日。(1871年7月10日-1922年11月18日)
長編小説『失われた時を求めて」の著者。
プルーストの『失われた時を求めて』は20世紀最大の小説と言われている。
父アドリヤンは成功したブルジョア階級の医師で、
母ジャンヌも裕福なユダヤ人の株式仲買人の娘だった。
生まれた時から、虚弱体質で、特に9歳で発症した喘息には生涯悩まされた。
喘息のために旅行にも行けず、好きな花の香りを嗅ぐこともできなかった。
母ジャンヌは古典文学を愛好し、
非常に文学的教養の高い女性で、
プルーストは芸術に対する繊細な感性をこの母から受けついだそう。
パリ大学では、法律と哲学を学ぶ。
大学卒業後は職にも就かなかった。
父は定職に就かせたがったが、病弱なプルーストには無理だった。
が、上流社会のサロンに出入りをし、
実家暮らしと父の資産で豊かな暮らしを享受した。
ここでの様子は後に小説に描かれるようになる。
プルーストは、非常に繊細で過敏な神経の持ち主であった。
自身のアパルトマンの部屋では、
常に窓を閉ざし、厚いカーテンを閉めたままにして外気も光も遮断し、
また部屋の壁をコルク張りにして音も入らないようにしていた。
昼夜逆転した生活を送りながら、執筆を進めていた。
また、プルーストは、大変な美食家であったが、
食事の量は非常に少なく、1日に1食しか食べなかった。
病的な寒がりであった彼は、
夏にも常に厚着をし、時には毛皮を着ることもあったそう。
『失われた時を求めて』は、1919年、ゴンクール賞を受賞。
病弱であったプルーストは40代後半より体調を崩し、
全篇の清書を仕上げていた1918年頃から発話障害と一時的な顔面麻痺が起こるようになった。
そして1922年11月18日、『失われた時を求めて』第5巻以降の改稿作業の半ばに、
喘息の発作と風邪による肺炎併発のため51歳で息を引き取った。
両親と同じくパリのペール・ラシェーズ墓地に眠っている。
コクトー、サルトル、ボーヴォワールだけでなく、
日本の堀辰雄や三島由紀夫にも影響を与えた。
ある匂いを嗅ぐとその関連した記憶が思い出されることを、
紅茶に浸したマドレーヌの匂いから物語が展開していく本作品から「プルースト効果」と呼ばれている。