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思い込みで暗殺、ギロチンにかけられた美女 〜シャルロット・コルデー〜
皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。
ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。
長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。
楽しんでいただけたら、嬉しいです。
7月27日は、フランス革命の際、
『暗殺の天使』といわれたシャルロット・コルデー(1768年7月27日 - 1793年7月17日)が生まれた日。
25歳でギロチンの犠牲となった女性。
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没落貴族の末裔で、
先祖には、古典詩人のあのコルネイユも。
13歳で母を亡くし、
口減らしのために修道院へ。
その修道院もフランス革命で国有化されたため、
閉鎖され、行くところを失います。
里に戻ったところを、
当時二つに分かれていた革命派の一つ、
過激派のマラーが人々を弾圧していると聞き、
それを真実と思い込み、罪のないマラーを手にかけ、刺殺。
人々を弾圧していたのは、ロベスピエールでした。
その結果、シャルロットは死刑に。
殺すべき人を間違えたために、
ロベスピエールは、その後これを口実にさらに多くの人々をギロチン送りに。
シャルロットが噂を検証する知恵を持っていたら。
そして、彼女がロベスピエールを暗殺していたら、
そんなタラレバを考えてしまいました。
何より自分の娘のような若い女性をも巻き込んだフランス革命。
多くの悲劇を生みました。