”うどんすき”にみた幸せ。
私が20代の頃に見て衝撃を受けた映画のひとつは「INTO THE WILD」。
実話を基に作られたロードムービーで、センセーショナルな内容ですが主人公と同じ年齢だったことや、主人公の「世界の真理を知りたい」という思いに当時何らかのシンパシーを感じ(?)、一気に引き込まれて何度も見ていた映画です。(ハマりすぎて原作本もサントラも買いました・・!)
上の言葉は、そんな主人公がとても重要なシーンで残した言葉なのですが、今日久しぶりに思い出したんです。夕飯のうどんすきを食べている時に。
今日の夕飯はうどんすきでした。ちょっと疲れていたのでお米も炊かずに簡単にできるものを・・ということで、きのこと野菜と豚肉と油揚げの入ったうどんすき。トッピングは小口ネギ。大人にはすりおろした生姜も。
大きな土鍋で作り、そのままドーンと食卓へ。家族四人で取り分けて「熱い~!」と言いながら食べます。一歳の下の子には冷ましながらあげるものの、意外にも食べるのが早く「べる!べる~~!(もっと欲しいの意)」と催促の嵐。お代わり用に冷ましておいたうどんもペロッといってしまい、次のうどんを取るもまだ熱いしな~とりあえずこのサラダ食べてて!・・なんてわちゃわちゃしていたら上の子が「ネギが入ってないほうがいい~!」と文句を言うなど、とにかく落ち着きのない食卓だったのですが(いつものこと)ふと、4人で同じものを食べているというこの瞬間に幸せのようなものを感じたんです。
それはもしかしたら、一歳の子もようやく大人と同じものが食べられるようになったか(少しは楽になったな)・・という視点からかもしれないし、こんなに簡単だけどおいしく栄養も摂れて経済的な夕飯で嬉しい・・的な視点かもしれないし、寒かったから温かいうどんと生姜が心に染みただけなのかもしれないし、家族皆でご飯を食べられる日常に対して感じたのかもしれないし、そのすべてを包括しているのかもしれませんが、一瞬心からの幸せを感じたんですよね。
そんな時に、上の言葉を思い出したんです。「これは分かち合っているから?!」と。ハンバーグを食べている時も幸せだけど、なんとなく今日みたいに鍋を皆で囲んで食べている時の方がより直感的に幸せを感じるというか、そんなことも思ったり。
”幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ。”
ただ、「分かち合う」という視点で見ると、別に家族でご飯を食べるときだけではなく、友人と話を分かち合ったときでも、嬉しいことを誰かと分かち合ったときでも、もしかしたらインターネット上の見知らぬ誰かから「いいね」をもらったとき(あるいはつけたとき)でも、幸せの種類や濃度に違いはあれど原理は同じなのかもしれないですよね。
何しろ「分かち合う」ということが一つのキーポイントなのだなぁと。主人公のクリスがその身をもって実際にノートに残した言葉なので、ひとつの真理だろうな、と個人的には思っています。
なんだか話が軽薄かつ大きくなってしまいましたが、今日はそんなことを”うどんすき”から感じた、というお話でした!(ちなみに、そば派です)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?