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ドラマ『天狗の台所』から学ぶ:「執着」を手放した自然と調和する暮らし。

私は毎月テーマを決めて暮らしている。
一ヶ月間、1つのテーマを意識しながら暮らしていると、
月末には自然と翌月のテーマがふっと降りてくる。

今週降りてきた次のテーマは、
「“執着”を手放す」だった。
そして、4月のテーマが決まったと同時に出会ったのが、『天狗の台所』というドラマだった。

NY育ちの少年・オンは、ある日自分が天狗の末裔だと知らされる。天狗のしきたりにより、14歳の1年間、日本で暮らす兄・飯綱基(いづなもとい)と隠遁生活を送ることに。天狗といっても特別な力はなく、兄の関心は、もっぱら日々の食と素朴な暮らしに向けられるのだった。しかしある時、オンは天狗の秘密を目の当たりにする…。
天狗の兄弟とその仲間たちの、ファンタジックで美味しいスローライフがはじまる。

「天狗の台所」公式サイトより

私が自分自身に張り付いた“執着”を手放すためのきっかけにもなりそうなこのドラマを元に、まずは敵を知ることから始めてみよう。



“執着”とは何なのか。

言葉の意味を調べてみると…

「執着とは、一つのことに心をとらわれてそこから離れられないこと。
また、仏教では「執着(しゅうじゃく)」と読み、
苦しみを生む原因としてとらえられています。
この世は諸行無常であり、あらゆる事物は変化するものであるのに、変わらないもの・永遠のものだと信じ込んでしがみついてしまう。それが苦しみを生むのです。

コトバンクより

過去を振り返ると、私は「これがないと生きていけない。」、「この人がいないと生きていけない。」と思いがちなタイプだった。
まるで自分で自分に重たい鎖を巻き付けているかのように、人や物事に執着してそこから動けずにいたように思う。
その重たい鎖を脱ぎ捨てることが出来さえすれば、ストレスから解放されるかもしれないとわかっていても、なかなか簡単にできることではなかったのだ。
恋愛や夫婦関係、親子関係、仕事や職場、友達、お金、持ち物など、私達のまわりにはありとあらゆる執着の対象になり得るものが存在する。
手放すことなんて不可能なのでは?と思うほど、身近なものばかりだ。

「天狗の台所」というドラマから見えてくるもの。

このドラマに出会ったきっかけはインスタで見かけた縁側仲間さんの投稿だった。
普段テレビをほとんど見ない私はドラマにも疎く、全く知らない俳優さんばかりの作品だったにも関わらず、珍しく惹かれAmazonプライムで見てみたらどハマリ!!
すぐに息子にも進めて、2人で見進めあっという間に10話全部見終わってしまい「天狗の台所」ロスに浸っている。

広大な田園風景が美しい。
焚き木のパチパチという音に癒される。


カメラワークも素晴らしく、昔ながらの美しい田園風景に心がときめく。
昔の人の暮らしがそのまま残っているような古民家。
そこで暮らす、なぜか白シャツに黒のパンツ姿のオンの兄である基(もとい)くん。
ミニマリストなのかな?と思うほどにいつもその格好(笑)
携帯電話も持たず、若者らしいことは何一つしない。
ただ興味があるのは食と料理。
14歳で羽が生えたことにより、世俗から離れ家族とも離れて田舎で暮らしてきた基。
いろんな執着を手放した後に行き着いた、彼にとっていちばん心地のいい暮らしなのだろう。
一つ一つの台詞も深いものがあり、ドラマを見ながら片手ではメモを取っている自分がいた。

釜でご飯を炊く暮らし、いわゆる昔ながらの暮らしを経験してみたい。
そんなふうに思いながら、自然が豊かな土地、心地いいBGM、美味しそうなご飯が出てくるこの素敵なドラマにワクワクが止まらなかった。
毎日、野菜や果物を収穫して、何かしらの手仕事をして一日が終わっていく。
なにしろ、料理に使う水も遠くの湧き水を汲みに行くのだから。

一見面倒くさそうな田舎のご近所付き合いも、いい距離感を保ちながらうまくやっている基。
そして、SNSとは無縁の生活。
暮らしそのものがとても自然で、何のストレスもないように思えてくる。
ふと疑問に思ったのが、こんな満たされた暮らしでも「家事が嫌だな」なんて思うのかな?ということ。
そして、私はいつから暮らしにおける家事を面倒だと思っていたのだろう、と考えるきっかけにもなった。

基とは長い付き合いの有意がオンに言ったセリフが印象的だった。
「あいつには何の執着もない。ただ自然と暮らしてる。」
夏の夕暮れ時。
まだ明るいうちに虫の音を聴きながら、庭でそうめんを食べる3人のシーンがとても好きだ。

涼しげなそうめん。
とてもシンプルだけど、手間暇かけて作られた夕食にありがたみを感じる。

日本に住んでいるのに、こういう自然に寄り添った暮らしをせずに人生を終えていくのは嫌だな、と素直に思った。
だけどそれと同時に、執着を手放さないとこの暮らしには行き着くことはできないのだとも思った。


“執着”はどうやって手放したらいい?

これまで築きあげてきたものへの執着を抱え込んでいることで、もしかしたらもっと自分にとって良い道が他にあるかもしれないのに、私たちはその機会を失ってしまっていることが多い。

まずは自分が何を抱え込んでいるのかを自覚すること。
そしてをそれを手放して手に入れたいものは何なのかを、自分の頭と心で理解すること。
私はとにかく書き出して、自分の中から欲望を引っ張り出す作業を繰り返しています。
そうすることで自分自身への理解が深まり、自然と手放すという行動に繋がっていきます。

失うことへの“不安”から執着に囚われてしまっていることが多いけれど、「天狗の台所」を見ていると不思議とその不安が消えていく。
お金や人間関係、たくさんの物を必要としている現代の暮らしとは程遠いからだ。
自給自足に近い食生活。
周りの人とも程よい距離感を保ちながらも、
助け合える環境。
見栄もない。
自分が心地よいと思える家で、大切だと感じている食に関することを中心に生活する。

自然に全く馴染まない白シャツにパンツ姿もきっと、何か理由があるのだろう。


そんな、自分の暮らしを大切に営んでいる基を見ていると、私が抱くまだ見ぬ未来に対して感じている不安がスーッと消えていくような、まるで浄化されていくような気持ちになるのだ。

基は命を大切に扱い、料理に手間暇かけることをいとわず、心から幸せそうに食事をいただく。
毎日の暮らしの中で、常に少し先の未来のために備えもしている。

保存方法も昔ながらだ。
新鮮なお野菜達。


将来への不安から、たくさんの食料を買い込んでおいたり、何に遣うかも分からず必死にお金を貯めて、毎日の暮らしを楽しめなくなったり。
自分にとって大切なものが何なのかを分からずに、
生きる目的を見い出せず、抱え込みすぎた“執着”に
押しつぶされそうになっていないだろうか?

大切なのは“今を生きる”こと。

『The yogis magazine vol.3』の中で、藤田一照さんがこう話している。

今には同時に未来も折り畳まれている、今は未来の種です。「過去が織り込まれて、未来が折り畳まれている今」。
未来を大事にしたかったら、今を大事にするしかない。
今は未来の種だから。未来に触れたかったら今に触れる。過去も過ぎ去ってはいるけれど、それを生かしたかったら、丁寧に今を生きていく。
でも僕らは過去を悔やみ、未来を恐れて、今を台無しにしがちです。

『The yogis magazine vol.3』より

私が目指すゴールは、地球環境と調和が取れている「ヨガ的な暮らし」
毎月毎月、1つのテーマに向き合って“今”を大切に生きることで、きっと未来への流れが変わっていくと信じています。
地味だと思えることでもコツコツ続けること。
誰にも評価されないことでも、自分が大切だと思えることを積み重ねて、自分自身の足でしっかりとこの地球に立つ。

「天狗の台所」というドラマと出会えたことは、
今の自分にきっと必要なものを宇宙が与えてくれた
メッセージなのかもしれない、としっかり受け止めてこのnoteの締めくくりとしたいと思います。

今週も読んでくださってありがとうございました✨️
何かしら良いところがありましたら、スキ♡を押してもらえると毎週の更新の励みになります🙏
それではまた来週お会いしましょう☺️


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