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弱者男性差別は存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください

お願いします。男性差別はまだ議論も進んでいないですし、実際にフェミニストの口を塞ごうとする文脈で切り出されることも多いです。「職場で重いものを持たされるくらいでは?」というような考えの人も多いと思います。

 しかし実在しますし、多くの人の人生、財産、尊厳、家族、命を今も刻刻と破壊しています。私は学者ではありませんし、ジェンダーに関して専門的な訓練を積んだわけではありません。間違いがあったら連絡をください。でもこの時代の弱者男性として、「じゃあ差別って実際に何があるの?」と言われたときに、同じ境遇の人が答えられる根拠を残しておきたいと思い、ここにこの記事を作ります。女性差別も最初は、女性自身でさえ差別だと分からなかったところから始まって、今に至っていますから。

ここから少し前提の話をするので「差別って実際何よ?」という人は飛ばしてください

男性学 = エリザベス2世の体験した女性差別

 前提として、男性(特に弱者)は自分の窮状を訴えると、男性女性双方から攻撃されるので情報をあまり発信できません。なのでマジョリティから見ると男性はいわゆる強者男性しか存在しないように見えます。

 これはあるジェンダーを専門とする教授が番組に出演した時に発言していたと思いますが、「男性学には、ただの女性差別のネガ、男性だって差別されてるというものと、『有害な男らしさ』といった最近出てきた面白いものがある。」という意見があります。これはおそらく前者が弱者男性の窮状を訴えるもので(またの名を男はつらいよ型男性学)、後者は強者男性を中心に考察したものです。なぜ前者が面白くなさそうなのでしょうか。これがよくある「弱者男性の存在をよく知らないので前者はよくわからない言いがかりに見える」という問題です。

 これは、道端で性暴力にあった人が窮状を訴えたのに、普段道を歩いていて犯罪にあったことのないマジョリティが「自分のまわりではそんな犯罪がないから捏造か大げさに言ったのだろう」と考えてしまうのと同じ構造です。

 そして強者男性の男性学だけが残ります。しかしそれは女性差別についてエリザベス2世だけを取材するようなものです。確かに「わきまえた態度でいなければならない」「女性だと舐められる」といった知見は分かるでしょう。しかし、賃金差別、キャリア差別、シングルマザーの困窮、専業主婦の苦境、セクハラ、フェミサイドと言った深刻な問題は「無い」ということになってしまうでしょう。なので「強くなければいけないから大企業しか選択肢がないと思ってしまう」といった強者男性の苦しみはジェンダー意識の高い漫画などで散々取り上げられても、「キモい男性として扱われ会社をやめ、人に嫌われ友人も合計2人、引きこもって近所からの石潰しという視線で苦しみ結局自殺した」といったようなことは、ジェンダーと関係ないと切り捨てられるか、自分の問題だからどうにかしろと自己責任論に入ります。今そう思った方もいらっしゃると思います。責めませんが、それが「男性が弱音を吐けない」理由です。

インターセクショナリティと弱者男性差別

 私は「男性」という属性は、「ヘテロセクシャル」「健常者」といった単純に「強者」とみなしてもあまり問題が発生しないものではなく、特定の属性とつながるととても悪い影響をもたらす属性だと思っています。

 同じ同性愛者でも、「女性」で「同性愛者」のレズビアンより、「男性」で「同性愛者」のゲイのほうが差別され、暴力され、殺されています(人数の違いを考えてもそうだと思います)。トランスジェンダーでも、トランス男性よりトランス女性への風当たりが強く、これは「アイディンティティが女性である」よりも、「体が男性に見えること」や「本当は男性なのではないかという疑念」が原因でしょう。

 それと同じように、「男性」に「障害者」、「貧困者」、「外見が悪い」などが付くと、「女性」にそれをつけた時より状態が悪化するということがあります。これが「弱者男性差別」です。

命と健康

男性は男性というだけで、女性の2倍以上自殺に追い込まれる

 性別が違うだけで不利な状況に置かれるのが性差別です。間違いなく命を奪う性差別がここにあります。フェミニストの方に考えてほしいのは、「男性差別はない」「あったとしても大きな声で言うのは女性の口をつぐむことだからいけない」という考えはこの時点でかなり人権軽視であったり、性差別的な言葉ということです。なぜなら、女性差別は深刻ですが、ここまでの命が奪われる女性差別は、21世紀の日本においては無いからです。差別された苦痛を比較するのは嫌いですが、ナチスがユダヤ人の財産を没収してゲットーに閉じ込めたことと、ガス室で殺したこととで、前者の罪は重く、後者はそれに比べたら無視できる程度だと思いますか?。私は男性差別のほうが女性差別より重いとは絶対言いません。しかし、無視できるものとして扱うのが正義だとは到底思えません。性暴力を魂の殺人と呼ぶのに賛成します。許されるものではありません。ならば比喩抜きの本当の魂の殺人も無視すべきではありません。

https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R02/R01_jisatuno_joukyou.pdf

未婚男性は既婚男性より寿命が15年短い、女性は関係ない

 男性は弱者になると社会的に不利になり、抑圧も強く、排除され、特にアンダークラスの男性は未婚率が3人に2人まで上がります。そして、15年早く殺されます女性にはこの抑圧は起きません。もし、「同じ罪でも黒人だけ15年長く刑務所に入れられる」のだとしたら問題ですが、未婚男性はそれどころかあの世に入れられています。そしてこの平均寿命差について、「女性は結婚しても平均寿命が伸びないのは女性差別」としては取り上げられても、「未婚男性が早く死ぬことが男性差別」と問題とされることは少ないのです。「別にそんなこと……」と思うかもしれません。特定の属性が不利になることには敏感でも、特に「男らしくない」男性だと差別を無限に許容してしまう典型例です。それはアシッドアタックを聞いて「別にそんなこと……」と思うのと変わりません。しかもこの場合、アシッドアタックのように生き残ることすらできないのです。

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https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/post-93638_1.php

弱者男性はLGBTよりもメンタルヘルスが悲惨、男性全体に広げても幸福度は女性より低い

 LGBTが抑圧などから悲惨なメンタルヘルスになっていることはよく告発されます。しかし弱者男性というマイノリティは、ほぼ間違いなくそれよりも悲惨です。しかもこれは引きこもって無職になった人などを除いての結果です。 世界価値観調査でも、日本は女性と比較して男性はとても幸福度が低く、未婚となるとさらに低いものになります。多くの男性学などではこの結果が取り上げられることは多いですが、「しかし、これでは男性は女性より抑圧されているとなってしまう。それはおかしい。なので……」と「無意識化された特権意識」や「支配欲」といった被害者非難にはしります。しかし「それはおかしい」と思う根拠、つまり男性が抑圧されていないか、女性と比べると微々たるものという証拠は見たことがありません。それは単純にバイアスです。アカデミックな人間でさえ男性の口を塞ぐバイアスがあるのです。ジョン・スチュアート・ミルが女性参政権を主張した時、根拠もなく「おかしい」と叫んでいた教授たちと変わりません。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59175?page=3

https://www.mhlw.go.jp/content/000625161.pdf

男性は男性というだけで3倍犯罪にあいやすく、2.5倍殺される

 性犯罪、フェミサイドの問題は多く取り上げられていますが、男性が安全でない状況に置かれていることはあまり認知されません。しかも前者よりも犯罪に巻き込まれる確率は高いのです。「女性というだけで、安全な生活を送れる」という直観に反する結論があらわれます。しかしこれは事実なんです。

「でも男が殺してるじゃん」という人もいるかもしれません。あなたは白人至上主義者と仲良くできるでしょう。黒人による犯罪率は白人より圧倒的に多いのです(ちなみにヘイトクライムなどでさえも)。私はこの問題を、貧困や孤独、薬物などを絡めて黒人を擁護します。黒人がヘイトクライムで苦しんでいることを非難するし、共に立ちたいと思います。でもきっと「黒人が粗暴で犯罪やヘイトをしてされてるだけ。白人に関わらないでほしい」と言う人もいるのでしょう。

https://ucr.fbi.gov/hate-crime/2019/topic-pages/offenders

https://ucr.fbi.gov/crime-in-the-u.s/2019/crime-in-the-u.s.-2019/tables/table-43

https://www.npa.go.jp/hanzaihigai/whitepaper/w-2016/html/zenbun/part3/s3_14_01.html

経済

ホームレスは9割以上男性

 経済で最も悲惨な状況にある人、といえばそれはホームレスです。例えばアメリカでホームレスの内訳をみれば、黒人などのマイノリティが多いなど、その国で最も不利な人々を予測できます。しかし、日本ではそこに女性の姿はほぼありません。でも、治安が悪いから女性がホームレスをできないのでは?むしろ男性の特権の表れでは?と思いますよね。しかし日本より治安の悪いニューヨークにおいては4割が女性です。つまり、「日本では女性差別も酷いが、同じように悲惨な境遇に人々を送る性差別もある」ことを暗示しています。むしろ悲惨な現場で、「女性はより助かりやすい特権がある」ということを示しているかもしれません。私は身の回りの悲惨な事になっている人を行政のサポートにつなげることを何回もしましたが、相手が女性だとあらゆるところに電話をかけれましたが、男性だとなかなか厳しいものがありました。もし彼が女性だったら今でも生きていられていたであろう人が2人いました。彼らは問題はあったけど、決して死ぬに値する人たちではありませんでした。

https://www.mhlw.go.jp/content/12003000/000330962.pdf

男性の自殺率と失業率は連動している 女性はそうでない

 性役割の抑圧の深刻さです。「女性はエプロンをしてオタマをもってカレーを作るべき」といった規範を無くすべきなのと同様に、「男性は働くべき」という規範も無くすべきです。この規範は客観的に「女性は主婦をしておけ」という規範よりも多く命を奪っています。これは少なくとも性差別として「女性は主婦をすべき」と同じくらいの重要さ、残酷さを持つはずです。つまり極めて重い性差別です。例えば「女は黙って朝飯作って帰りは正座で待ってくれてないと」のような差別的な言葉と「無職の男とか絶対無理キモい」のような差別的な言葉は同じくらい重い、そう言えます。特に後者の言葉は実際に人を殺せるヘイトスピーチなんです。

https://www.esri.cao.go.jp/jp/esri/prj/hou/hou018/hou018.html

非正規男性の賃金は女性とほぼ平等なのに、女性と違い貧困から一生抜けられない

 非正規においては男女の給料差は93%と、かなり平等に近づいています。これは製造業や建設業といった、男性ばかりの危険で過酷な職に就いている人も含んでの値ですちなみにジェンダーギャップ指数1位のアイスランドでは男女の給料差は84.6%です

 経済的に不利なアンダークラスと呼ばれる人たちの中で、女性は多様な層がいます。男性と比較して裕福な家に生まれ、年齢によって層が入れ替わります。それに対して、男性は均質で、貧しい家庭に生まれ、ずっとそのままです(しかし女性は、いつそこに転落するかわからないという危険を持っているとも言えます)。この貧しい家庭に生まれていじめで苦しむことも多い一生弱者男性(これは実際に統計的に全部正しいんです)は、下駄を脱げと言われても脱げる下駄がありません。むしろ、脱出できる可能性、助けてくれるまわりや、ケアしてくれる行政や団体の偏りを考えると、この層においては女性が下駄を履いていると言っても嘘になりません。この層に「下駄を脱げ」というのは、レイシストが「在日コリアンは特権を捨てろ、社会を牛耳ってる支配者のくせに弱者のフリをするな。孫正義を見てみろ。」というような最悪な言葉と大差ないのです。

http://www3.weforum.org/docs/WEF_GGGR_2020.pdf

https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2019/dl/11.pdf

http://www3.weforum.org/docs/WEF_GGGR_2020.pdf

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社会

男性は存在そのものが嫌悪の対象になるので、相談できる相手や友人を作ることが難しい

 女性と比較すると、男性が社会関係資本が少ないことはよく指摘されます。そして、男性は昼間に公園にいたり、平日に散歩したり、ひどい場合は学校の近くを歩いているだけで通報の対象になります。目線の管理もしなければなりません。ぼーっと前を見てその先に誰かが居たら。その上、席が横になる、といったような日常生活をしていても、嫌悪の対象になります。そのせいで、アンダークラスの男性となると友人の平均人数は3人で、同じアンダークラスの女性の6人の半分です。「そんなどうでもいいこと」と思う方はいるかもしれませんが、それは無意識の男性差別からです。特定の属性がひどく嫌悪されているがゆえに、社会的なつながりを持てず排除されていることに、どうして違和感を感じないか、最悪正当化してしまうのでしょうか。「実際に男の中に犯罪者がいるから。」と言いましょう。でもこれが人種問題で、差別されるのが黒人やアジア系だったら?「在日コリアンは犯罪者が多いから嫌われて当然、隔離されるべき」。これは平等を正義だと思う人が言う言葉ではありません。

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https://note.com/sumomodane/n/n100d70e27871

男性へのルッキズムの影響は女性より深刻。その上正当化されがち。

 男性の容姿は所得や幸福感に関係ありますが、女性は関係ありません。交際人数でさえやや男性の方が影響が大きいのです。容姿の影響は、男性の方が強いのです。しかし直観と反します。ルッキズムは女性の方が重くのしかかっているとしか思えません。おそらくはこうかもしれません。「男性へのルッキズムは女性と同じ程度あっても、問題とされない」

 そして、そもそも異性に対しての「見定め」が、女性は男性よりも極めて厳しいのです。10点満点で異性を評価する時、男性の判定の最頻値は5点ですが、女性は2点です。更に、男性は異性の「点数が低い人達」を攻撃もしますが、「点数が高い人達」に加害的なアプローチをする傾向があります。これに対して、女性は異性の「点数が低い人達(先程の結果からみると本来は平均的な人たち)」を排除したり、嫌がったり嘲ったりする形で攻撃します。これは単なる性的嫌がらせといっても問題ないと思います。女性に「ブス」「デブ」と言って喜ぶ男性がいるよりも遥かに多く、女性にはそれの反転したバージョンがいるのです。こういった「負のセクハラ」は、男性のホモフォビアに近いと言っていいでしょう。いわゆる俗に言う「負の性欲」です。これを咎められたあるフェミニストは「ゴキブリやウィルスへの嫌悪と同じだから性欲ではない」と言いました。「ゲイを気持ち悪がるのはゴキブリやウィルスへのものと同じだからセクハラではない」。こう言いかえると、ストレートに差別的な言葉だとわかります。

 更に、客観的な事実として、女性がセクハラかそうでないかを判定する時、男性の容姿や性的価値が重要な要素になります。反転してみれば、例えば「弊社でセクハラらしきものはありましたが、あなたの顔面偏差値は42なのでセクハラではないと認定します」というのは最悪な差別ですが、男性の場合はそれどころか加害者にされます。

 ではどうやって外見を良くするかです。引用先の論文では最後に「(男性にルッキズムの影響が大きいのは)化粧など努力が足りないからでは?」と論文は〆ていますが、男性ができる化粧なんて、眉毛、化粧水、コンシーラー程度しか許されません。それ以上使うと、ジェンダーロールの問題から「化粧が過剰」に見えてしまいます。(これはトランス女性などで特にキツい問題でしょう。)つまり、女性より努力でどうにかできる部分が少ないのです。

https://note.com/beatangel/n/nde7220905d24

https://note.com/beatangel/n/nd1f80fe842c8

http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/760/1/bungaku-51_99-113.pdf

引きこもりの4人に3人は男性

 働いていない、働けない男性に対する視線は、女性には想像を絶するものがあります。上に書いたように強者男性のそれはよく取り上げられますが、弱者男性にはこうのしかかります自らの姿を他人に見られるわけにはいかないし、誰も助けてくれないのです。そんな時、家に引き込もるしかありません。もしも彼らが女性だったら、目線はこれほど冷たくないかもしれません。異性から助けがたくさんくるかもしれません。行政も様々な窓口で手を差し伸べてくれるかもしれません。しかし男性はその性別だというだけでそのどれもないのです。

https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/life/h30/pdf/s3.pdf

マイクロ・アグレッション

 以上これらは比較的深刻でわかりやすい事例に過ぎません。たとえて言うのならば「女性は男性と比較して給料が低い」「政治家に少ない」などと言ったわかりやすいものです。実際は氷山の一角です。女性差別でいう、「女性が喋っていると男性より軽くあつかわれる」「女性は男性に対してバカなふりをさせられる」といったような、(あくまで比較的にですが)深刻さが軽いものは含まれていません。

 弱者男性に対するそれはあまりにも多いので、一例だけ上げておきます

社会的に排除された場合、正当化されやすい(人生無理バー事件や市役所ついたて事件、元事務次官息子殺害事件など)
命を軽いものとしてみなされる(電通社員自殺事件など)
交際経験がない = 人格的に劣っていると男女双方から思われる
童貞いじりや、性欲にあふれている獣扱いを男女双方から受ける
偶然視線があっただけでも嫌な顔をされるので、視線を常に落として生活しなくてはいけない
それどころかエレベーターや電車などで人の近くに行くと嫌な顔をされる
無職の場合、それだけで二流市民と見なされ、軽蔑の視線にさらされる
道を歩いているだけで、キモい人間だと指を指され笑い話にされる
平日に繁華街を歩いているだけで職質される、つまり存在自体が犯罪者予備軍
苦しみを訴えると「もっと与えられるべきだという妄想」と捨て去られ、わきまえさせられる
いじめの対象になった時、加害者が女性だとまともに扱われないどころか、加害女性が正しいことになる

最大の問題:だれも差別だと思わない

 かつてジョージ・ワシントンは、世界で最初の人権を宣言した憲法を書き上げました。しかし、ネイティブ・アメリカンを絶滅させるべきであり、それが自分たちの正義だとも言いました。彼はネイティブ・アメリカンへの虐殺を差別だと認識できなかったのです。

 なぜ弱者男性が、ジェンダー平等を望む仲間のはずのフェミニストを攻撃してしまうのか、それは一部のフェミニストがジョージ・ワシントンだからということもあるでしょう。当時のネイティブ・アメリカンにとっても、自分たちも白人も平等に殺す無法者より、人権を高らかに謳い上げるがお前たちは人間じゃないから殺されてOKと言う、ジョージ・ワシントンの方が憎く見えたでしょう。

 この「ジョージ・ワシントン現象」の例があります。フェミニズムの傑作のキャプテン・マーベル(2019)で、主人公にキャットコールするうるさいバイカーを無視し続け、しまいにはバイクを盗むという爽快なシーンがあったのを覚えている人もいると思います。しかし、主人公が冒頭で同僚の男性の顔について放ったルッキズムど真ん中のハラスメントの言葉を覚えている人は少ないでしょう。差別に最も敏感な映画でも、男性が対象になると途端に差別を素通ししてしまうのです。

 たとえばコロナ禍での女性の自殺率の上昇は話題になりますが、それよりも多く男性が自殺しているのには一切触れません。ひどい場合は支配欲が原因で自滅しているという言説になります。未婚男性の寿命の短さは無視される上男性の女性虐待の証拠になり、男性のメンタルの悪化低すぎる幸福度無意識化された特権意識のせいにされ、ホームレスと引きこもりさえも女性に厳しい差別的構造の例だとされます。黒人がデトロイト中心部に多く住んでいるのは黒人特権でしょうか?「非モテ」「底辺」これらの明確な差別の言葉でさえ、相手が男性なら「嘆かわしい人の属性」として記事に問題なく記されます。そしてその抑圧が苦しいと言った途端、「社会/女性への憎悪」「分断を煽る差別」「差別者の見当違いな被害者意識」。こうなるとフェミニストはもはや、「女性差別は気にするけど男性差別は気にしない」だけではなく、「女性差別は気にするけど男性差別は積極的に口を塞いで透明化する」というセクシストに見えます。どう彼らは思うのでしょうか?「ただでさえ苦しんでいる人を踏みにじるのはやめてほしい」「亡くなった人たちの名誉と尊厳まで奪いに来るのはやめてほしい」、これではもはや彼らにとってフェミニストは抑圧者そのものでしょう。もし、「男はつらいよ型男性学は容易にマイノリティを抑圧し、ジェンダー平等とは逆方向に呼応してしまいがち」だから警戒せよ、というのが正しいのなら、今のフェミニズムはもはや最後の一線を超えてしまっています。しいて言うなら「女だけが辛いよフェミニズム」がマイノリティを差別し、ジェンダー平等とは逆方向に呼応しているのです。

でもその差別は男性社会がしているものだし、女性にケアを求めるな。

 いいえ、それは違います。女性はこの差別の抑圧者として大きな存在です。上記の差別では明確に女性の影があります。私自身、街を歩いていて嫌悪や指をさして笑う行為、吐き気をするようなジェスチャー、そういったことを度々経験していましたが、すべて女性でした。

 弱者男性への扱いも、強者男性より女性全般のほうが差別的かもしれません。それを示すわかりやすい例の一つに、弱者男性の「有害な男性らしさ」を弱音として吐き出した映画がまさにジョーカー(2019)だったのですが、同情的なものが多くを占める男性批評者と比較して女性はどうでしたか?当時のフェミニズム界隈の女性たちの雰囲気を私はしっかり覚えています。違国日記で、ブルーピリオドで、強者男性が弱音を吐くシーンがあった時とは全然反応が違うと思いませんか?この一例はただのリトマス試験紙です。たかが映画で表現するだけでも、これだけバックラッシュがある。そうです。この社会では、女性たちも強化し作り出しているジェンダーロールが弱者男性を凄まじい勢いで抑圧し殺しているのです。「弱い者達が夕暮れさらに弱い者をたたく」から、弱者男性が女性に攻撃しているのではありません。「弱い者たちが別の弱い者たちにたたかれ続けた結果、反撃した」のです。

 さらに、有害な男性らしさで語られる男性がなろうとする男性像と、少女漫画や乙女ゲーの男性、BLの攻めなどに類似性があると思いませんか?そういうものを女性が求め、外れたものに上記の仕打ちをするのなら、男性がどう行動するかは想像がつきます。恋愛や交友関係において男性は極めて不利です。もし読んでらっしゃるのが女性だったら、あなたに「何もせずとも存在が万人から嫌われ、本当に文字通り死ぬまで一生1秒たりとも誰も自分を愛さず、体目当ての人間さえも自分を求めず自分の体を見ると嘲笑しながら吐き、外を歩けばブスだキモいだと言われ続け、弱いだけなのに邪悪で人格的に劣った存在と見なされる。それがハフポストのようなところでさえ正当化され、ジェンダー差別する美女やイケメンがそこでもてはやされるのを毎日見続ける」呪いにかかったら、その苦痛から逃れられる方法を探しますよね?実際男性は一生そうなのです。それから逃れる方法があの男性像になるしかないのなら。

 そしてその男性像は、「ハイスペでカーストが高く、強引で女性をモノのように扱い、弱音を吐かず力を誇示し、身内以外はどうなってもよく、騎士のように不快な他者から人々を守る(= 弱書や異なる他者を排除する)」人でしょう。どこかで聞いたことはありませんか?私は絶対に家父長制が女性にのみよって作られたとは言いませんし、絶対間違っています。しかし、自分たちはこの社会に全く責任がなく、被害者になることは理論上絶対にありえないというのは、それもまた絶対にありえないことだと思います。

 実際問題、自分はフェミニストのみなさんが入っているTLを見ると、自分に「有害な男性らしさ」が激しく発生していることに気づきます。それは「彼女も作れない人間はセクシストで、そのような人間の悲鳴はすべてミソジニー」というような意見をフェミニストが多くするのが原因です。男らしくならなければジェンダー平等を訴える人たちの間でさえ人間扱いされないどころか、セクシスト扱いされるのです。自分はミソジニストになるのを避けるために定期的に表アカウントからは離れています。だからインセルのようなろくでもない連中が、フェミニストが増えた後増える理由も正直わかります。いかれた差別主義者がわめくのは無視できますが、社会的正義の名のもとに差別を正当化される苦しみは無視できないのです。

 嘘だと思うのなら、最も弱者男性が差別的なことを言っていて、かんたんに論破できるような「女をあてがえ理論」に対するフェミニストたちの反応を見てください。「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している。」、「その考えが差別的。特権意識から降りろ。」、その他諸々。なぜ、「女性が誰と結婚するかは個人の自由なので社会や国家が介入するな。」とだけ言えないんですか??なぜ、弱者男性をトランス女性とかアジア人のゲイとか入れ替えた時に、極めてグロテスクな差別発言になってしまうことぐらい差別を訴える人ならわかってくださいよ!「トランス女性とかキモい無理。男性の人権を侵害している。」「アジア人のゲイが他の人種と同程度に愛されたいと思うのは差別的」。そういう言葉なんですよ??「非処女とか汚い無理」とか森元総理でも言いませんよ?障害や貧困や差別で苦しんでいる中で、誰か一人にでも愛されたくても無理で絶望して今も首をを吊っていってる人たちに、無理とかキモいとかお前の孤独感さえ差別の証だだとか、それはもう加害欲求が暴走している、差別が楽しくてやめられない、としか言えないじゃないですか。おそらくは相手を人の言葉の通じないゴブリンか何かだと思っているのでしょう。ミソジニスト、ネトウヨ、白人至上主義者、その横に並ぶのが上の発言をした人たちです。最近も一緒になって車椅子の人の人権を訴えた人たちだったのに!!差別主義者の気持ちがわかった良い授業だったと思いますよ?

 そもそも、ゲイも、トランスジェンダーも、在日コリアンも、ハーフも、黒人も、障害者も、相手を「キモい」と言って正義の名のもとに糾弾する光景をあまり見ないですが、フェミニストだけは例外です。先程もその光景を見ました。「キモい」なんて感情にしかよらない侮蔑語は、マジョリティの規範に依存する言葉です。上記の属性の人々を攻撃する最悪の矛として常用されているし、だからこそ理性による人権という盾で身を守ってきたのです。実際キモいからしょうがない、口をふさぐなと言うかもしれません。しかし、上記の人達は人権を訴える場所でその言葉は使いません。マジョリティにその言葉を使われる苦しみを知っているからです。性犯罪について裁判などで男性が同情されやすい特権があるのように、女性には差別しても批判されにくい特権があると言わざるを得ません。そして悲しいことに、差別と戦う人たちでさえそれを濫用してしまっているのです。

この現実をどう受け止めるか

 ガラスの天井の上の太陽を掴み取れない差別もあれば、鉛の地下室に閉じ込められて餓死していく差別もあるのです。罪のない善良のはずの自分が差別主義者と指を指された時に、差別を無かったことにしたり、相手の精神性のせいにしたり、他の属性の人たちに罪をなすりつけたりするのは、誰かによく似ています。

ジェンダー差別は女性もセクシャルマイノリティも、そして男性も抑圧し、抑圧者には女性を含めて誰でもなりえる。

 これを真実だと受け入れる。それだけで良いと思います。それだけで、私がこの記事を書いた甲斐があったと言えます。家父長制はあらゆるジェンダーに苦しみをばら撒き、そしてあらゆるジェンダーがその維持に手を貸しているのです。

 ウッドロウ・ウィルソンが大統領だった時代、ある女性参政権を求めるデモがありました。しかし誤算が生じます。黒人女性もデモに参加したいと列に入ってきたのです。当時のデモに参加した白人女性の一部は共に行進することを拒み、デモから離れると言い出しました。「黒人が参加すると女性の問題であることが霞む。」からと。しかしフェミニストたちは様々な課題を乗り越え、黒人を含めてのデモをなんとか行って、歴史に名誉ある記録として残っています。

 彼女たちが始めた尊い行進は、今でもより大きくなって続いています。しかし、列に入ろうとした弱者男性を多くのフェミニストは追い出して敵にしてきました。もはや沿道から行進を邪魔するだけになってしまった人たちもいます。しかし私のように列に入りたい人だって大勢居ます。かつての黒人女性のように今は透明になっていても。共に行進しませんか?

あとがき

 というように書きましたが、私は自分自身、フェミニズムに理解がある人間でありたい、もしくはフェミニストでありたいと思っています。おそらく正しくはヒューマニストでありたい、だと思います。とりあえず根拠のある男性差別の証拠を調べていく過程でわかるのは女性差別の深刻さでした。上に書いたようにアイスランドでさえ女性は男性の83%の給料しかありませんし、シングルマザーの経済的困窮は許せるものではありません。男性差別は無視されていいものでは決してありませんが、同じように女性差別を無視することは絶対に許されることではありません。

 私は今の社会で抑圧されてる人が皆幸せに暮らせることを祈っています。そして自分がそのために活動する時に、誰かを足で踏まないように気をつけています。それでも時には踏んでしまいます。その時に毎回反省をして、次からはマシになろうともがいています。人間は他人の苦しみには鈍感です。だから、一部のフェミニストの方がしてしまったことも、不幸なすれ違いだと思うんです。「ただそんな人達がいると知らなかった」だけだと思うんです。なので、ジェンダーで苦しんでいる人間たちは一緒に戦っていける、そう思っています。理想主義的ですが、理想がないと進歩もありませんから。

 そして、これまで弱者男性のことについて声を上げてこられた方に感謝します。すべての差別との戦いは「そんなものない」に「ある」と声を上げるところからはじまります。解決までは遠いでしょうが、皆さんのおかげで自分自身が一人でないとか、死ぬべき不快な人間ではないのではないかと思うことができるようになりました。我々が差別されるのは正義なんかじゃありません。この文章も、どこかの孤独で抑圧で潰されそうな誰かに届くことを願っています。

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