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女性は理解できない非モテ男性の弱者性

 はじめに、例の事件に抗議します。今回またフェミサイドが起きてしまった。今日現在死者は幸い出ていないようですが、刺された人たちは今後周りの人間がいつ自分を待た刺しに来るか怯えながら暮らしていかないといけないのです。怪我をして治療して終わりの問題では決して無いのです。そして抑圧は恐怖となって伝播します。この国では歩いているだけで女性がその性別と言うだけで殺される可能性があるからです。こんな恐ろしい性差別聞いたことがありますか?この卑劣な犯罪を正当化する根拠は何一つありません。何一つです。

 追加で、これがフェミサイドではないという方もいますが、女子寮を狙ったあの忌々しいエリオット・ロジャーの事件でさえ男女半々でした。あの事件をフェミサイドと認めるなら、この事件もそうだと言うべきでしょう。本人がそう狙ったと言ってる以上、そうです

 それと、確かに全体的に無差別殺傷事件の被害者は男女半々だし、全体の治安が良くなれば「男性だから殺される」人が減り、いまの日本のように殺人被害者の割合が男女平等に近づくでしょう。しかし、フェミサイドはそうなってこそ明らかになります。女性の方が一貫して少し多くなるのです。なぜなら、今回のようなテロは「特殊例」で、基本フェミサイドは家庭で静かに起こり続けるものだからですその最も残虐な側面は、それが日常であるということなのです。

 まず、この事件を知って「クソッタレがふざけんな!」と思うのは当然です。今回そう言う声を上げることに抵抗がある人が少ないように見えて安心しています。しかし、それに対して「不幸な人間は不幸のまま死んでいけってことか?」みたいな理解し難い声が聞こえてきます。そして、両者は衝突しています。これはどういうことでしょうか?

「なぜ『あいつら』は加害者に同情できるのか?」

 たくさん理由はあるでしょう。後者の声の多くは男性のものですが、それは男性の多くが「これは他人事ではない」と考えたからでしょう。貧しい男性になって、そのとき障害者だったり顔が悪かったりするとどうなるかは前回の記事に書きました。

 同じ非正規や派遣でも、女性でそうだということと男性でそうだということには抑圧に大きな違いがあります(それは非正規の女性が普通だという別の差別の裏返しでもあるのですが)貧しく、希望もなく、差別され蔑視され壁に頭を打ち続ける日々が続けば、差別主義者になりやがては獣になる人も出てきます。圧倒的に多くの心を持った人は、そこで自死を選びます。しかし自死を選ぶ心理状態で自分がどうなるかわからないと思った男性が多かったのではないでしょうか(それがフェミサイドを正当化することは決してありません)。差別してくる相手に差別仕返したい、特権を持っている人間に報復したい、というのは残念ながら自然な感情でしょう。差別してくる相手を差別してはいけないという苦しみは凄まじいものがあります。フェミニストでありつつミサンドリストにならない難しさはみんな知っているのではないでしょうか。

 そして、今回は前回相対的に重くないと思って取り上げなかった「非モテ」について書きたいと思います。端的に言えば、それが「しょうもないバカみたいなこと」ではないことと、フェミニズムの理論の一部(と言っても重要な一部)が、誤作動して差別的理論として猛威を奮っていることについて書いていきます。

 あのヘイトクライムを非難する言葉はたくさんあります。そちらが優先されるべきだし当然です。しかし、知られていないし誰も話したがらない関連する構造の話もあります。下手をするとあの犯罪者の擁護に使われかねない慎重にすべき話が。その話は危険であるし語れる人が少ない。だから私はこのアカウントではそちらを話すことにします。いいですか、これから何を語っても、絶対に私はフェミサイドを正当化する気はないです。

 下記はある人のつぶやきを引用したものです。直接引用で関係者に悪いイメージをつけたくないので、少し要約して、発言者を隠しています。なぜなら悪意ではなくむしろ善意で発言して、差別を憎むが故に言ったのですから。何か少しでも問題があれば、コメントを下さい。

非モテ」自認の男性は、女性そのものではなく「有名人・美人・スタイルがいい女性を利用した性経験」から、ホモソーシャル内の男性からの「あいつすげー!」「負けました」というような承認を求めているだけ。
だから「女は暴力的なイケメンのヤリチンが好き」と女を見下しているのに「モテたい」と言っているのはその証拠で、正確には女にはモテたいのではなく、道具として使いたいだけ。
そんなだから、「自分を"弱者"にする社会構造」に興味がなく、「男らしさの呪縛」からの解放を「負け」と捉えるので、非モテをこじらせ続ける。

 これは某リベラルの大御所や某有名フェミニストもRTしたもので、いわば「フェミニズム主流派」のごく一般的な理論に見えます。しかしよく考えてください。

女性が家父長に指図されず好きな人と結婚したいのは支配欲でしょうか?
ゲイが結婚して夫婦になりたいと願うのは支配欲でしょうか?
トランスが異性と愛し合いたいと願うのは支配欲でしょうか?
なぜ男性が異性と愛し合いたいと願ったときにだけ、支配欲になるんですか?それも、なぜ非モテという明確にマイノリティの属性にだけ照準をあわせるんですか。

 かつてトランプ政権の副大統領のペンスが、コンバージョンセラピーというものに傾倒していたのを知っていますか?
 コンバージョンセラピーとは、ゲイやレズビアン、他のセクシャルマイノリティにも行われている「治療」です。
 彼らに対して、「あなたが異性愛者でないのは認知の歪みである」という信念を叩き込んで、ヘテロセクシャルへと「矯正」させるものです。
 認知療法、ショック療法、拷問などを通じて自らの性的指向を嫌悪するように仕向けられ、数週間の「治療プログラム」から出た人間は精神障害を持つことも多く、自死することさえ多いのです。自らの感情を罪悪だと断じるようになってしまうのです。

 同じように、誰かに愛されたいと思うのは自然なことです。それを特定の属性に限って否定するのは、「女性に性欲は存在してはいけない」「非処女は淫乱であり非道徳的」と叫ぶ人々と何の違いもありません。

 もう一度聞きます。男性が異性と愛し合いたいと思うのは支配欲でしかないんですか?
 それはホモソーシャルで地位を確保するためにトロフィーを欲しがる差別的欲求でしかないんですか?
 つまり、「非モテ男性が女性と愛し合いたいというのは、差別的な認知の歪みで愛ではない」なのですか?

 違います。この時点でこういった「非モテ支配欲理論」は極めて差別的です。人として普通の感情を、特定の層が持ったら差別的だと悪魔化しているのです。

 しかし、それにしても異性愛の男性、特に非モテはなんであんなに女性に執着するのだろうか、という疑問が湧いてくるでしょう。「あれが支配欲でなかったら何なのか?」と。

それならなんで女性と比べて異様に恋人を欲しがるの?」
「なんで女性なら誰でもいいというような行動をとる?」

 ここに統計があります。見てください。


Tinderでのプロフィールのマッチ率の差
(横軸は時間経過)

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https://www.eecs.qmul.ac.uk/~tysong/files/Tinder.pdf

身長を意識する性差とマッチング率
(右に行くほうが高身長)

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https://twitter.com/elona_yaruyo/status/1373103036067803139
https://twitter.com/kamijovi/status/1143120105926098945

異性をどう評価するか
(0が最小、10が最大)

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https://note.com/beatangel/n/n5968839a7be7

女性がいいね!する男性の魅力的さ vs 女性の魅力的さ
(色の面積はそれぞれのいいね!されやすさを表す)

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https://twitter.com/rei10830349/status/1156824567869927424?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1156824567869927424%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fnote.com%2Fbeatangel%2Fn%2Fn131507aa1da4

告白された回数の性差

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https://note.com/sumomodane/n/n514814103a9e

オンライン婚活での悩みの性差

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https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000044.000025460.html

「この変なグラフで何が言いたいんだ?」


 例えば、女性は経済的に男性に不平等を強いられています。日本の賃金の男女差はGGI2020によると1.5倍ほどです(改めて酷いですよねこれ)。ならば、こういった性の分野においては逆のことが発生しています。需要に関して言えば、15倍近い格差があります(一番上の論文)
 男性には、女性がキャリアを考えて絶望的な気持ちに打ちのめされることを理解することが難しい。1.5倍の差があるのにです。自分の性別がキャリアを圧迫する状況を経験したことがないからです。
 そして女性には、男性の「誰にも愛されることがない」という絶望を理解することが難しいのです。自分の性別が原因で性や恋愛について完全に扉が閉じられる苦しみを経験したことがないからです。女性が「わかっている」と思ったとしても、それよりも遥かに恐ろしい苦しみなのです。その苦しみは、「誰からも侮蔑され、自己責任になり、深刻なことだと考えられない上、苦しみを話すと性差別だと糾弾される生まれながらの不妊(しかも異性は気軽に、あんたって『特定不妊』っぽい笑と言ってくる)」があるとすれば、だいたいわかるかもしれません。

 さて、恋人を選ぶ時、ありとあらゆる差別が許されます。それが自由主義です。黒人は嫌だ。在日コリアンは嫌だ。障害者は嫌だ。身長が低いのは嫌だ。九州出身は嫌だ。一重は嫌だ。それは自由主義の当然の宿命で、責めることはできないでしょう。男性と比較して女性は、その「許される差別」が激しいのです。事実人種や障害の有無でも性差が顕著です。女性の好きな「ハイスペ」は、「差別される属性ではない」ということを濃厚に含んでいるのです。

"男性の58%が人種的嗜好を表明したが、女性は74%が人種的嗜好を表明したという。"
https://note.com/beatangel/n/nd1f80fe842c8
"性的関係を得ている自閉症男性は16%である1方、女性は46%が関係を得ており"
https://note.com/beatangel/n/n131507aa1da4
"健常者の女性で障がい者と結婚してもよいと言われる方が、非常に少ないんです。男性健常者は、障がいがあっても問題ないと話される方や、障がい者の相手がよいと言われる方もおられるのですが、女性ではめったにいらっしゃいません。"
https://www.cyzowoman.com/2016/08/post_21505_1.html
"あと、僕の経験でお話しすると、女性の障がい者のほうが男性と比べてお相手と出会いやすいように思います"
https://news.yahoo.co.jp/byline/murakamireiko/20190201-00112173

結婚相手に求める条件:大雑把に言ってだいたいの調査で、僅差で男性が多い容姿(とときどき年齢)以外は、女性の条件のほうが高い。

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https://www.club-sincerite.co.jp/column/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AF%E9%AB%98%E5%8F%8E%E5%85%A5%E3%80%81%E7%94%B7%E6%80%A7%E3%81%AF%E8%8B%A5%E3%81%95%EF%BC%81%EF%BC%9F%E7%94%B7%E5%A5%B3%E3%81%8C%E7%B5%90%E5%A9%9A%E7%9B%B8%E6%89%8B%E3%81%AB/

 当然障害の有無や人種以外も、低スペかどうか、つまらない大学出じゃないか、悪い育ちじゃないか、実家が貧しくないか、そして容姿もしっかり見ます。よく言われている経済力でさえ、氷山の一角に過ぎません。男性も容姿や年齢などでしますが、ほとんど女性の方が厳しいのです。つまり男性は女性とは違い、何らかの被差別的な身分になれば恋愛はとても不利になります。女性にはエイジズムやルッキズムが襲いますが、男性には階級差別、職業差別、学歴差別、障碍者差別、人種差別、そしてもちろんエイジズムとルッキズムも襲ってきます。その上、苛烈さと言って問題ない需要差が15倍あります。実は女性は選ぶ性で、選ばれるための努力の必要性や、そこから外れたものに対するあたりの強さは、男性のほうが恐ろしいのです。

 なぜでしょう?嫌な言葉ですが、「子供に『劣悪』な遺伝をしたら困るから」とかかもしれません。しかしそれは男性も同じです。これはおそらく、女性がこの領域で特権を持っているからです。倍率が高い企業は好き放題に就活生を落とせます。そして「企業は差別してはならない」と法律によって縛れますが、個人を縛れば自由主義に反します。だからこそ「許される差別」は無限に行うことができるのです。男性は就活より露骨な「許される差別」の中、自己アピールで嘘を付き、数撃ちゃ当たるで大量にエントリーシートを書き、障害者の自分では・顔が悪い自分では・貧しい自分ではそもそも席がなかったと悟るのです。

「席?自分に席があてがわれるという差別的な考えだな」と思うかもしれません。しかし、女性に圧倒的に席があることを忘れています。もし障害者でも、顔が悪くても、貧しくても、男性のようにはならない。「女性にも男性並みに正社員の席があてがわれるべき」という思いは、差別ではありません(でもそしたら雇用枠とはともかく女性の人権は……?と思う方は、解決法の項目を待ってください)。

 嫌な言い方をすれば、女性がもし恋愛していなくても、女性という属性でいつでも愛される可能性はあるし、選ぶ性別であり続けることができる。ルッキズムやスラットシェイミングなどの苦境にあったとしても、殆どの場合男性だったらもっと不利な状況になっていたでしょう。そしてそういう男性については、女性がどんなにいい人であっても想像することがとても難しい。だから、「なんでそんなに恋人がほしいの?」と思ってしまう。日本人には、明確な死の危険を冒してそして殺されていくミャンマーの抗議者の気持ちはわからないでしょう。「なんでそんなに自由がほしいの?」と。これは仕方がありません。それが特権の恩恵がわからないほど恵まれた、マジョリティの宿命です。レイプの苦しみが想像できない男性だって多くいるでしょう。

  更に、それに加えて非モテには「男らしくない」ので、偏見にさらされることになります。女性に対しては起こりません。これはもう「非モテ」自体が「非処女」のような差別的に使われるような言葉であるのに、悪い印象とつなげても悪いと思わない人々がたくさんいることでわかるでしょう。偏見の犯人を男性だけになすりつけるのは、明らかに不誠実です。例えばその「許される差別」を軽減してほしいというような意見が出ても、「低スペを愛せって無理」のようなコメントがすぐ出ることです。「ブスを愛すなんて無理」といえる人は、フェミニストではないと思います。

 つまり

非モテ男性はホモソーシャルでマウントを取るため、ただ支配欲で女体を欲しているミソジニスト

なのではなく

男性で弱者というだけで差別を受け、極端に性や愛から排除されているため、飢えていて、相手が誰かかまっていられないがゆえの「キモい非モテの動き」をしていた

 というように読めます。再び冒頭の内容を見てみましょう。

非モテ」自認の男性は、女性そのものではなく「有名人・美人・スタイルがいい女性を利用した性経験」から、ホモソーシャル内の男性からの「あいつすげー!」「負けました」というような承認を求めているだけ。
だから「女は暴力的なイケメンのヤリチンが好き」と女を見下しているのに「モテたい」と言っているのはその証拠で、正確には女にはモテたいのではなく、道具として使いたいだけ。
そんなだから、「自分を"弱者"にする社会構造」に興味がなく、「男らしさの呪縛」からの解放を「負け」と捉えるので、非モテをこじらせ続ける。

 結論から言えば、性経験を求めているのは、女性を道具にして男性からの承認を得たいのではなく、単に圧倒的に不利な上「許される差別」で恋愛から排除されているから「もうなりふりうかまっていられなくて誰でもいい」となっているからではありませんか?
 そして、「女を見下している」のではなくその「許される差別」を「差別的だ」と非難しているのではありませんか?(女性を顔や年齢だけで選ぶことを非難するのは男性を見下すことですか?)
 最後に、「自分を"弱者"にする構造」には興味がないどころかとても興味があって、それに気づいて批判しているのではないでしょうか(その正当性はともかく)。そしてこの文脈において「男らしさの呪縛」を解く、というのは「ゲイの、男性を愛したいという呪縛を解く」ことと変わらないのではないでしょうか。

おまけ:ちなみに本当に、イケメンは暴力的な傾向があるらしい

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https://twitter.com/sumomodane/status/1366725921235869703

 となると「ホモソーシャル説」は、あろうことか犠牲者を加害者と間違えた理論の可能性があります。これは犠牲者非難といって極めて危険なことです。性被害にあった女性が非難されたり、しまいには親族から殺されたりするあれです。更に上記の、人の性的指向に対する直接的な攻撃であるという側面を考えると、ホモソーシャル説が間違っていた場合は、それ自体が危険で有害なセクシズム的な考えということになります。そして、上記のホモソーシャル説は理論だけで根拠がないのです。

 たかがモテないだけで何を?と言うかもしれません。
 性は人の心を粉々に破壊する要素です。レイプだって、物理的に考えればただ少しの強引に間乗っかられただけです。しかし違います。それは魂の殺人になります。教師と生徒の恋愛だって、あとから考えると対等じゃなかったと思うだけの、ただの恋愛失敗談ですか?違います。人生をぐちゃぐちゃにします。男性が男性を好きであっても、仕事にも健康にも関係ないじゃないか?違います。彼らは今でもそれで首を吊っているのです。ならばどうして、弱者男性が性に苦しんだときだけ、蔑視できるのでしょうか。「飢餓」はわかりやすい苦しみの理由ではないでしょうか?

 あなたが障害者や貧困者、苦しみの中過ごしている人々のコミュニティにいるのなら、恋愛はときに人を救う唯一の手段になることも知っているでしょう。「ロケットマン(2019)」や、twitterの発達障害の当事者の漫画などを見れば分かる通り、少なくない彼ら彼女らは結局「わかってくれる彼氏ができて助かった」ということでしか救われないこともあります。人から愛されない自分を愛するというのは、あまりにも難しい。それで死を考えない程度に悩む人の多くは、実はすでに愛されているのです。そして愛される人にはジェンダーギャップ、偏りがある。男性は「許される差別」を比較的しません。しかし女性はしっかりしてしまう。だから、非モテ男性であるということはもう希望はなく、苦痛を終わらせる行動を取ることになります。


 しかも件の理論について、よりによってマイノリティである非モテを引っ張り出して性的指向を攻撃するようなことは、ただの差別です。
 聞こえますか?ただの差別です。差別と戦っているのではありません。差別しているのです。女性は男性の肋骨から作られたから劣等、黒人は肌が黒いから神から愛されていない、在日コリアンには大和民族の血がはいっていないから嘘を付く。そして、非モテ男性はその家父長制的意識から支配欲のみで愛はない。これらの距離はありません。根拠のない理論で、マイノリティを罰して安心しているのです。非処女を「汚れて非道徳的」と非難するような言説と何が違うのでしょうか。

 つまり「ホモソーシャル説」は、特権を謳歌し、「許される差別」をし続け、被害者の苦しみを極限まで蔑視し、それどころか彼らがマイノリティであることを理由に、性的指向が加害的だと決めつけるものです。そんなつもりがなかったのは分かります。しかし、差別を止めさせるはずだったフェミニズムの気高い理論が、異民族の迫害にお墨付きを与える神話のごとく使われるようになってしまったのです。

解決法は……?

 しかし、この問題の核心は「『席』を分配しようとしたら著しく人権を侵害する」ことでしょう。私には解決策は多く思いつきません。しかし、

1. 自分の特権を謳歌し
2. 「許される差別」をし続け、
3. 被害者の苦しみを極限まで蔑視し、
4. 
それどころか彼らがマイノリティであることを理由に、性的指向が加害的だと決めつけた。

 4.は止めることができます。非モテ男性を人を愛せない支配欲の化け物であると主張することをやめれば良いのです。フェミニズムの理論との整合性が難しいかもしれません。ですが私の理解では、フェミニズムは差別を許しません。理論が現実にそぐわなければ、理論を変えるべきです。その逆は暗黒への道です。
 3.も止めることができます。そういった苦しみを持つ人間を、性的指向の違いで悩むゲイや、性的視線で傷ついた女性を見るのと同じ目で見るのです。あなたが支配欲しかない化け物ではないように、彼らもちがうかもしれません。性別が違っても、彼らは人間なんです。人間として見てもいいじゃないですか。
 2.は、難しいでしょう。個人の自由があります。人には特定の人種を避けて結婚する権利さえあります。もし「許される差別をしない」人がいれば、ジェンダー差別にとらわれない素晴らしいことだと言う空気を作っていきたいと思う程度です。

でも男女の給料格差がある中でそれをするの?

 そもそも3.と4.は給料格差関係なく改善できるはずです。そして、フェミニズムが力を持ち4.が現れる前は、インセルはとても静かだったのです。3.も達成されれば、苦痛はかなり減るはずです。言っても馬鹿にされないというのは、ものすごい安心をもたらします。

恋愛以外の愛もあるのでは?

 恋愛以外の愛、それは親友などでしょうか。非モテの男性は明らかに貧困の男性によっていることがわかっています。貧困の男性は友人関係も、同じ貧困の女性と比較して半分くらいなのです。そこさえないのです。


では……

 命が関われば、人はパニックを起こして当然です。あの事件は、何を言おうがその属性の人をその属性というだけで殺すというヘイトクライムです。同じことは白人を狙うイスラム過激派のテロリストにも言えるでしょう。そこで、「すべてのイスラム教徒は異教徒を人と見做さないので、彼らの苦しみもこの国を乗っ取れない苦しみでしか無い」とするか、「テロリストを根絶すべきだが、そうでないイスラム教徒が不利な構造には賛成できない」とするかは、きっと読んでいるあなたが平等と公平を愛するかどうかで変わるのだと思います。

 「ゲイとかいう男性を性加害する支配欲の塊がいる」と考えるのではなく、「男性を愛する男性たちが居て、彼らにも苦しみがある」と考えることはできます。理解はできなくても、差別を止めることは、できるはずです。






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