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紫の神そらにしろしめす(後篇その1) どらま・えろいこみこ

 

 死刑執行人もまた死す。囚人甲冑を着せられて沈められた勘え当て者が家族の紋章すべてを逆さまに彫り尽くした重密な金属のうちがわに細工された鐵の処女の槍の穂先がうみだす血の海の藻屑となって消えゆく。

 

 
楕円のなかで麗子は、揺り籠にゆられて沈んでいく。
 フリードリヒ・シラー的な悪鬼の 貪欲どんよくとルドルフ2世的な思惑のみやびさとを兼ねて持ち備えた大司教の城砦庭園でくりひろげられるページェントの麗々しい配役さながらドイツ よろいの名工のわざで綴った鎖かたびらの うろこかおりたかく真 珠 珠しんじゅだまの奔流にしてうちならすほどの羽毛を纏って、甘い、どろっとした甘い、あまいフルートのねいろをひびかせる水鳥たちの き声を沈鬱な刺繍クッションの織りかさねにして麗子とメイドは眠りにつく。すくない口数のふたりは楕円のかたちをえがいたふたりだけの領土の中心でお互いのひとみに吸血鬼の絵物語を、くちびるには死と乙女の舞踏会の拡翼をうちひろげると、湖底海底をしのぐ水底の領土の円周はその周回軌道の衛星が燃え盛る無秩序を内包して明滅する世界を幾百となく増加させる永久運動がくりひろげられていくのにまかせていた。
 その日もメイドはじぶんを 莫迦ばかにし続けた人間たちへの復讐を手の込んだ遊びにして暇をつぶしていた。洋館に居ついたじぶんを蔑んだ同僚たちを一人残らず、ブローチに め込まれた銅版画から抜け出した死霊のすがたで池をおよぐさかなの濁った光を灯す蝋燭台 ちにしたてあげ、西暦2020年代に 蔓延はびこった致死性の伝染疫病で世界中が防毒マスクに覆われていた頃に麗子の父たち伯父があるときは自分達で武装し或る時は彼らの指図下においた有志たちそれぞれの暴力で、マスクをつけずに外出していたり きたないマスクやずれたマスクをつけていたり敢えてマスク無しで行動する意志をしめす集団や個人を捕らえて突き落とした池の底いっぱいに転がったしかばねのむれの 蠟解ろうかい絨毯のうえにずらっとならべる。メイドの手指が幾重もの次元の狂奔者のシルエットをうかべ戦慄の狂い咲きを奏でる綾取りの紋様の雷撃をうみだし、扇のひとあおぎで帝国が一晩のうちに消え失せるように、青蠅あおばえ皇女殿下エリス・ベルゼビュトの入れ墨をほどこした両腕の、脈と血管のすべてが電撃のゆびさきに収斂しゅうれんされて生まれた暴風雨が蝋燭の火を100燭も200燭もむしりとっていく。呪いの人形のモデルたちは陸のうえで突如おぼれ死ぬと目のみえないさかなの生霊のなかにすいこまれて血膿ちうみいろの池を彷徨いつづける。たとえ池の水が枯れはてて、けがされた薔薇の味となって廃残の木乃伊ミイラとなっても、死ぬ事だけは決してゆるされない。エリス・ベルゼビュトとは麗子が好きで堪らない漫画のキャラクターで、円卓の中央をくりぬいて秘密警察長官の椅子にすわったエリスの脳内描写のなかで西の皇帝陛下と東の皇帝陛下が密告をつうじて右脳と左脳が暗幕ごしに密談したり、ふたりのままひとりになったりひとりがエリスひとりでひとりのエリスふたりがひとりで考えたり、その対話が愛と欲望といさかいのかげにつつまれると円卓を盤面にしてぶつかりあう、生き神ふたりの人格の東洋黒魔術こくまじゅつ的遍在様式の駒と西洋自然魔術的偏在様式の駒が、まるでアニメみたいに視覚を幻惑させるのだとか。 

 楕円のなかで麗子は沈んでいく。
 その日の夜も麗子は公園に行った。甲冑紋章家族は、水の上を走れるようになった麗子を見張り、麗子の身におこった奇跡の期限が切れるのを、見届けてやろうとして、船首にまがまがしい黒鳥を掲げたボートを漕ぎ出し、麗子の失楽の瞬間を待ち続けるのだが、水のうえの麗子は、舞台役者の尊大な上手さで水没の真似をしてみせるくらいに死の全能に護られていた。自分の役を自分自身が舞台のうえで演じているブラヴァツキー夫人がいまの麗子で、家族が絶滅恐竜の最期っをふりしぼるすがたに躍起になっている様を眺めて痛快をかみしめた。黒鳥のくちばしから粉薬をばらまいている様子が卑小な戯画になって見える。火薬を材料に作ったダイナマイト漁と同じかそれ以上の効果を有する生け捕りの粉薬だったのを麗子は知っていたが死人にその効果があるはずがなかった。麗子は水に転げ落ちてしまうふりを崇高な者への愛の気持ちで完成させる絵筆のまえに示すモデルのように表わしてみせると、その直後の振る舞いはこうだった。
 楕円のかたちがほぐれた円周のなかで、肩まで水浴みした麗子が繰り広げるオーケストラの指揮絵図は水面を走る。麗子ファウストメイドメフィストが水のなかに築いた王国の、
 ファウストゥス博士が発明し帆布から音響を発する<さまよえるオランダ幽霊船>が靄から出現し、
 指揮台のあらびとがみのオットー・クレンペラーが、ヘンデルの『メサイヤ』ではなく、80分くらいの長さだと形が気持ちよく整うのを100分かけて指揮した交響曲の録音を、池いちめんに放射した。
『復活』という副題を掲げられたその交響曲は、2020年代後半に疫病が沈静化し全国に漂っていた虚無を押しのける勢いをふるって各地で陽性的に演奏されたこの曲を1971年にクレンペラーはイギリスのオーケストラを指揮し、その100分のなかに時間の流れを超越する石組の城郭に築きあげると、救済的復活への安易な希望に「否」を突きつける厭世観の城主の服を纏い、城主のコレクションの銅版画からぬけでた武装天使の雄大さと叛逆天使の傲慢さが漲った白鳥の翼の合唱にのって群騎の疾走をえがいた。
 クレンペラーをとおして麗子に導かれた騎手たちが、その体躯を奇天烈な芳香でつつみこんだまま馬から降り、池からたちのぼりはじめた紫いろの靄と入り混じりながら、ボートのうえの紋章家族にむけて、手招きする。家族には恐るべき事態がおとずれた。『復活』ではなく『メサイヤ』の作者のヘンデルがべつの仕事で作曲した『水上の音楽』が彼等の耳に心地よくとどき、夜は彼等の目の前で晴れ渡る真昼となって、メサイヤに手招きされて水のうえをあるくペトロのすがたをうかびあげる幻覚に狂わされた。黒鳥のふねの騎士は、鎧のおもさを忘れて水面に降りた。
 楕円は、その円周を紫色にとろかせると、水棲食虫植物の食欲で、甲冑家族と、かれらが請求爵位をひとつ残らず手に入れた暁に築き上げるつもりでいた、
 ドイツ式行進の誇大さが昼夜とどろく、ゴシック的で、軍閥的に重厚壮麗な文明のまぼろしを、食べ尽くした、味が薄そうに。






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