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紫の神そらにしろしめす(前篇) どらま・えろいこみこ
日本の首都の首まわりで宝飾のふるぼけた色つやを広げているK....町に 棲みついた大家族の、その長女が、西暦2046年の6月の梅雨季節に似合わぬきらきらとした真昼につつまれた自動車学校で、教習車をぶつけて大破させた。
長女は少年のような体形の未成年者で、アニメや漫画に戯れて、うすぼんやりと生きていたが、その家族はホルシュタイン=ゴットルプ・イトウ公爵位請求家にしてバイエルン・ニシ公爵位請求家で同時にポチョムキン=タヴリーチェスキー・ジコウジ公爵位請求家、ならびにブラヴァツキー・ドルゴルーコフ・ヴォルンツォフ・ヒジカタ公爵位請求家であった。
麗子9世は、かすりきずひとつ負わなかったが助手せきの講師が大けがで入院した。くるまは、修理不可能なほどの残骸になった。
麗子9世....麗子の事故をめぐる一族会議がおこなわれた。
洋館建ての屋敷に封建時代の緊張のたかさにもとづく格式の復古に心を腐らせる何十人もの亡霊がお仕着せ従者や怪物フォルムのメルセデスや古雅な馬の六頭立て馬車もろとも吸い込まれ、暗やみの居間の壁の燭台に、一斉に火がともされると、一族の長テーブルが、厳格な席あらそいに従うドイツのシュタンデスヘル身分請求者たちの、門地の偉大さの順に居並んだすがたをあらわにした。
洋館はゴシック精神の奥義がそそがれた陰鬱建築であり、尖塔の群が張りつめた垂直線を、尖塔教会の周囲に街がひろがる風土さながらに、その風景をそびやかしていたが、二十一世紀の温暖化が産んだ凶暴な悪天候がK市に押し寄せてくると、雷雨にむけて、此処に落ちてくるがいい雨樋どももガーゴイルの鉄砲水を吐きたがっていると、生き物じみた威圧をあたえていた。内装は、拍車を鳴らして歩く足音に慣れた床が火打石のモザイクを張りめぐらし、映画『恋のページェント』でマレーネ・ディートリヒ演じるエカテリーナがドイツから嫁いでいったロシア宮廷を、あたかもバイエルンの狂王ルートヴィヒ二世がヴェルサイユ宮殿をそっくりそのまま再現した情熱と欲求に倣うように、映画を飾りたてるゴシック彫刻のおびただしさの、一点一点にいたるまで、名匠の石工たちの手で再現させた。
元帥錫杖と、褻瀆との結婚式の不滅化、友愛と民主主義の埋葬式の不滅化を象嵌し尽くし、上等な蝋燭煙と香炉煙が思うさま舞いまわるロシア奇華楽のドイツ箱庭に仕立てていた。
一族は、家に帰ってきた麗子を、エントランスの従者たちの手で洋館の外装と内装に溶け込んだ、公爵位請求家令嬢の古雅な衣裳で縛りあげ、一家の長女をつるしあげにする正しさに酔った。
彼等はこんな時が訪れると、先祖から吸い続けている活力を存分に放射するのである。
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つねに何かを考えていて、映画でも本でも漫然と読まずに、つねに目的を求めて対峙しつづける彼等の、要塞目線な眼球の水面には、先祖たちが綺羅びやかな楼上で牛の血と内臓がまじった火酒を飲んでいる荘厳図がはっきりと浮かんでいる。俗人を侮蔑するための、我欲の強い流れを吐息にすると、居間の紫味をおびた暗やみに隈取られた銅密な輪郭の半身すがたを、金色の吹奏楽器と派手な騎兵刀の抜身のむれの甲冑装飾突撃の土けむり沸騰体のパノラマ旋回へと、そそぎ込む。
「乗馬靴ではなく、スニーカーを履いていたとは何事だ」
「コルセットを身に着けわすれたとは何事だ」
唇が白くなって顔が底光りするような、ドイツとロシアの蒼ざめた血の遠いつながりと日本人の体躯をとつなぎあわせる伝奇性がふるえた。
「わが家の長女がおこした事故が壁面の正面衝突だけだったとは何事だ」
怒りの矛先は、妖しいくもゆきをひろげはじめた。我欲から発しているのに、それを潔白さで装うとしているつもりで発した言葉なのだろうが。
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「綺羅を尽くしていと太き腕なる豪胆公は戦いで武器を暴発させたるあと、素手で黒龍に絡み付いてその頸をへし折ったるぞ」
月が満ち欠けゆく運動へ生贄の一族供物の献上を、何世紀もの繰り返しが妖精の翅の積り具合の腐葉土状の落ち葉の光沢の錯綜が生みだした光を内包する一族の格式の長テーブルは生贄に反応すると、そのすがたを円卓へと変形させ、麗子にはロワイヤル髭もカイゼル髭も禍禍しげな家庭劇のページェントを再現した銅版画の鮮麗さで迫ってきて、未成年者の目には猛毒質なパノラマは緊張の高さを保ったまま散漫な気分を創り出し、数百年分の三日三晩にわたって、廻転し尽くした。
「そのとき公は裸足だったるぞ。その証拠は写本に描かれておる素足は唐辛子紅に染み果てし」
一族は、古今東西の高位貴族家と爵位請求家の規範をたれるように、家族全員が、本音を、大変に仲良くぶつけあった。
麗子の家族たちは、疫病が猛威をふるった2021年には、国際オリンピック委員会に乗り込んで天井画が崩れおちるほどの啖呵をきり、委員会幹部の貴族ぜんいんの爵位と財産をはく奪する署名を世界によびかけて、強行開催されかかっていた東京オリンピックを阻止に追い込んだ。日本じゅうの支持と人気を博し、世界じゅうの貴族階級たちから恐れられ、爵位王位請求者たちからは畏敬されてきたが、それもいまはもはや、過去と先祖の功に奢ることしか関心を持てない、高貴なかおりを四散されるふりをしたがる、膨張しつくした己惚れの紋章家族になり下がっていた。
一族をまるごと飲み干せる居間の壁面には、今上天皇の肖像画の日本画の筆致とならんで、麗子を除いた一族のだれもが尊崇してやまぬ例の豪胆公を高額なバケガク絵の具と油絵筆の濃彩を駆使した肖像画と、朧げな光と翳と幽かな沈黙、目と口もとにうかぶ驕りをうかべた肖像がつらなって掲げられていた。彼等のあしもとにひろがる地下には、霊廟が無数の死を築いていた。公爵廟にはもちろんどれも本物のご遺体などなく、一族の欲望がにぎにぎしい横死の連なりの姿をしているだけだった。
そんな家族が麗子を見る目のむれには、長女の地位と方位に貼りつけられた名前と、名前に着せた衣裳の寒々しい豪華さだけが映っていれば充分だった。
家族総出のつるしあげから解放された麗子は、長女用の部屋の形をしたロココ・ゴシック曼荼羅の中心によこたわった。
天窓の絵硝子をほんのりと見つめ、『メサイヤ』のハレルヤコーラスを全身に浴びた。クラシック音楽界の無冠の帝王であるらしい指揮者ウィレム・メンゲルベルクが録音したドイツ語版の演奏録音で、瀟洒なジャケットに収まったレコードだった。クラシック音楽には興味がないが、ハレルヤは知ってる曲であるし、この音楽を聴く開放感は、家族によって叩き割られてしまったアニメ映画『偽書淫書 狂えるオルランド』のCDの、いわば代替であった。
部屋から数歩の距離に立つ、絹織り袖のお仕着せを纏った従者の耳にも届くので、アニメだの漫画だのアイドルだのを拒絶する武家貴族的教育の砦である洋館の密偵役でもある彼らの不信感をはぐらかすためのものでもあった。
この家にはヘッドホンの差込口がないレコードプレーヤーしかなかった。縫いぐるみの中にCDラジカセとヘッドホンを隠して持ち込んだら即座に発見されて取り上げられて爆破された。
二時間後の深夜に、麗子は自転車に乗ったまま、家とは庭続きになっていてK....町のシンボルとして日本中に知られる恩賜公園の池のなかで胸の高さまで水没していた。
池と地面を隔てて分ける柵が張られていない弁財天の右手から、毎朝に通学で乗る自転車を漕ぎ出して出帆し、水のうえを走ろうと意地をふるったのである。
昼間の池にうつる幻影を夜の目でひきだそうとする麗子の目のなかには、水面が床か町の佇まいになっていた。大きく橋がかかった向こう岸までひろがってみえていた。
麗子は歯噛みした。一家の先祖の神秘主義教母ブラヴァツキーに、家族縁を通り越して自分との血のつながりの奇跡にひざまづきたくてしかたないのに水のうえを男装で騎乗し馬をはしらせるブラヴァツキーの姿に手が届かない。眼には、涙しか溜まらなかった。
昼間の公園には、白鳥の意匠のボートが逍遥する風情で池をただよっているのが麗子の部屋の窓まで見えてくるのを、カーテンで覆い隠していた。
夜になると麗子は家をぬけだし、そうして夜ごと自転車ごと湖上に横転した。毎夜にわたって公園の鳥たちは水音に驚くどころかその気配さえも見せず黙り続けていた。
公園もその池も、みんな一家の、冷笑をうかべた、意地悪な眼つきの白鳥たちの従者であった。
ビリヤード室に掲げた、ふるい油絵のなかで、オフィーリアの水死のモデルになった麗子の大叔母は、恩寵公園の池のまんなかに花の絵巻を敷き詰めて、拗ねたような微笑で、生暖かく浮かんだ姿をさらしていた。
ゴシック建築のビリヤードテーブルには台の内部から蠟人形がふたつ飛びだす仕掛けになっていた。
それは麗子がまったく知らない仕掛けで、そのひとつは見すぼらしい三輪づくりのチャリオットの騎手の麗子像にかたどられ、もうひとつはというと洋館を馘にされた或るメイドの姿で、「麗子さま」に秘恋をつのらせている事が同僚のメイドの口から一族にばれて、奢侈な宮廷人の異邦者として侮辱され、しおれつくしていた。わざと球をぶつけて嗤うために仕掛けをほどこしたのは言うまでもない。
ビリヤードの玉は一族の誇りの証の例の豪胆公に従属する、夜一杯にかがやく星を綴り合わせた絵姿の龍をふうじこめた天球儀で出来ていた。
麗子は一族の、武装された権力から敵視されるようになっていた。
その場所を見つけることができたのは、その場所の湖水だけは、どことも違っていたからだった。
冷淡であるのに、その場所だけは、ぶきみなぬるさで麗子の服と、素はだに纏いついてきた。
麗子にむけてガーゴイルが、ぬるい砂金の満潮の狂った月夜をふらせる。
♰
真っ赤な服の、ひとみが水銀いろに染まったトルコ近衛兵が-----------スルタン宝珠状の球根チューリップ猛毒がくちから吹きあがる深紅のころもを纏ったまま斬首される。
スルタンのみやこは猛風が吹いて眼もあけられないような死臭の塵が、夜の幾何学的な街路にひろがっていた。
叙事詩『狂えるオルランド』の剣豪だった「オルランド首切り役人伯」が、宮廷の名誉職人になって、盟友の手で狂気から解放されることなく、
永遠に、
破壊の大太刀をふりまわしつづける偽書の、
真筆を凌駕する分量と迫真性に、真正面から追突される。
攻城槌が体当たりする。空中城塞に空中城塞を追突させるように。
♰
極点地に立ちつくす沈黙が強靭な水脈の円の輪をひろげる。
水に浸かった麗子の足元の底が薄く割れはじめたのだ。
麗子の躰が、穴の泥湯に入るように、粘気を吸収する。
麗子の躰が、着ている服を通り抜けて、
湖水が麗子の命を締め上げていった。
沈黙が八方にひろがる。
麗子の躰は、死へと溶けるように光った。
中篇につづく