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紫の神そらにしろしめす(中篇) どらま・えろいこみこ





 麗子を思い詰める胸やけをかかえて洋館を くびにされたメイドが身投げをしたその場所は、麗子の身を水底へとひきずりこむ闇溜まりになって、恩寵公園の水温を其処のわずかの区域だけ 甘暗あまぐらきまわし、湖水のサイレンへと化身した冥土の妖力の圧縮を発して止まなかったのだ。麗子は命の灯をもやし終えていた。
 メイドは言った、吐息まじりに・・・・・・・・・・・・ようこそいらっしゃいました麗子様、今日から一緒にくらしましょう。



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麗子は自分のからだが、香水のなかに蕩けていくような心地で、浴室でメイドにからだをふいてもらって、なまぬるい香水を擦りこまれると体中を、ひとところも余すことなく隅から隅まで、メイドのくちびるが這いまわるのを味わった。メイドのくちびるのなかは息の発光が冷たく甘く熱く、淫蕩の黒くも暑い息の雲と氷の結晶が咲き乱れ、くちびるの左右を這う、手のひらの指の八つの股からは、扇のつづれ織りが炸裂する恋と狂乱と頭骨の山を披露して惜しげもなかった。
 麗子はメイドに手をひかれ、ふたりでいっしょに暮らす水没楼閣の、小粒のダイヤで六角周囲をえがいた、中心へ中心へと、漂っていく。


 メイドはK…..町の麗子の洋館に行き着く前、黒い鎖に黒い愛玩文鳥に黒いレェスに黒手袋、黒い錠剤の黒づくしに溺れていた頃の最後の名残りのくちびるのなかを、ステンドグラスの黒い表面が変色の翳りにおおわれてその容貌を、まるでそれは帝国的に憂鬱で手の下しようもない可憐なはなびらの渦を黒くも暑い息で吹き荒らし(麗子様のためだけに弾く罪深いショパンの曲を存分に披露できる燭台付ピアノもあって麗子様のためだけに用意された銀縞黒縞大理石の暖炉を帝国的幾何学を駆使した天蓋寝台状に改築した撞球台のある楼閣、麗子様のためだけにすべてを闇へと葬る娼館づくりの楼閣)麗子をつれていく。楼閣の、奥の院に設えた、水槽人形の刑場へと。     
 ところがである、月光環が池を満たすと途端に、麗子の肌のうえから、水葬が溶けてながれて真空状態になった肌を重力が乗っ取り、麗子はK…..町の洋館の麗子の部屋のベッドのうえに積まれた、びろうど張りの棺桶におち、まるで目にみえない彫刻家の手のなかで眠りから目を覚ます姿に彫りあげられた我が身を認めた。麗子は健気な心地でびっくりしたが、くすくすと、気持ちよさの充満した嫌らしい笑いを零した。 







 麗子が命の灯をもやし終えてから一週間の時間が経った。
 麗子が教習者をぶつけて大破させた自動車教習所の講義室が衣替えして軍事法廷となり教員スタッフがすわる六脚の肘掛け椅子が用意されると、椅子にあわせてあつらえられ、その首まわりに紫の縫いをあしらった法服を着こんだスタッフはみな馬子にも衣裳で、日本画の格式からぬけでた大審院法服の絵姿をみるような判事の威風を居並べ、それぞれの胸には一族への敬意をこめた勲章をあたかも君主国の臣民が宗主国の勲章を誇り高く佩用して出席するようにかがやかせていた。
 講義室には教習車を大破させた麗子の証言台が鎮座した。証言台は、ドイツやロシアの敵対国からあつめた 鹵獲ろかく品のかずかずを派手にちりばめると、それらひとつひとつを一族に従属する神のひとりひとりに仕立て上げ、教習者事故を聖セバスチァンを希求し、古代の希臘とローマを馥郁に幻視する霊力を有する、絢爛な多神教嗜好へとすりかえていた。法廷に撮影隊が入ってきた。撮影隊長は、映画『サンセット大通り』のエリッヒ・フォン・シュトロハイムを気取ってロシア帝国陸軍親衛ツァールスコエ・セロー狙撃兵第2聯隊大尉の正装に乗馬鞭と、ロシア人の血がしみた白い顔面からは尖った髭が生えて深い目の右目には金の鎖が垂れたモノクルを嵌めていた。彼の正体は麗子の大叔父なのだが、映画監督を自称して聯隊合唱曲をとなえるスタッフが兵卒や下士官の供揃えをえがいていた。
 教習所と、一族の洋館の敷地とは同じ地面と同じ地下で夜の闇よりもふかい暗さで繋がっていた。教習所もおなじ家なのだという安心な気持ちと植民地を手ぶらで歩くことへの安心感と、おなじように繋がった土地に無名戦士墓地も射撃場も築かれていることから生まれた安心神話の三つ巴が、一族から思考力の一切を奪っていた。 
   
「壊したくるまは----------」
 麗子は生きている人間と同じことをして生者のふりをしていた。家族が常日頃から麗子に言って脅したり彼等自身も恐れているような地獄など何処にも無いことがここ数日ではっきりとわかった。

「壊したくるまは----------おもうさまに、買い上げていただきます」
 死人の口で、大帝国海軍の練習艇を教練中に事故で沈没させてしまった華族家の次男坊あたりが法廷で平然と言ってみせるようなセリフを台本通りに言ってみせながら、生きていた頃には出来なかった、家族の思い込みが築いたバベルの塔を茶化して見せる身振り手振りを撮影カメラの視線のなかで炸裂させてバベルの塔が無双の頑丈さを誇示して衝撃を吸い尽くしてみせた挙句の果てに真ん中から折れる様子を託したすがたを舞踏じみたうごきで表現して見せた。     
 麗子は体質が変わってクラシック音楽を楽天的にうけつけるようになっていた。指揮者ニコラウス・アーノンクールのきわめて残忍な指揮台呪術師の轟きをうみだした。神聖ローマ皇帝レオポルト2世を先祖にもち、伯爵家の当主のアーノンクールが、洗練の極みを尽くして野蛮さにしか信仰をみいだせない姿で指揮し、レオポルト2世のいもうとのマリー・アントワネットに求婚したモーツァルトの『レクイエム』の合唱を『メサイア』へと、暴れ馬の六十頭立て霊柩馬車にして合流させるさまを麗子は掴み取った。預言書からの抜き出しのモザイク絵巻紋様でできた『メサイア』を構成する書のページそれぞれに穿たれた鍵孔に鍵をさし込む音をどこか特定部位に張られた毛細神経が感じたかと思うと音は、たちまち麗子の全身にひろがっていく。毛穴をつたわって侵入してゆくのを誘導し、合流させ、手品地獄な法廷演劇にぶつけて粉砕するにふさわしい炎になった『メサイヤ』のハレルヤコーラスを耳の奥いっぱいに充満させ、さらにはメサイアの歌詞である聖句の一点一句に至るまで逐語霊感が脈動するのを、麗子はひとつの大きな燃える塊にして、書の強烈な言葉に酔い、武器にしやすい槌鉾にすると、教習所とそれを築く土台のあちこちに振り回していった。
 いっぽうで麗子の暴虐さは冷静さを同居させていた。一族どもはドイツやロシアの欲望を、要塞の地下に投獄して爆発しかかっているその噴火口に重石を積んでいるのだから、それを取り除いてやればいいのだと。「地雷火が仕懸けてあるから、審判の合図がとどろくが最後、霊廟は空へ飛ぶぜ」宇宙の霊魂をゆさぶる海戦の水柱が噴きあがるのがK….町のどの方角からも見えた。教習所のばくはつは、洋館に飛び火し、両方とも残骸に生まれ変わった。



 
 洋館の住居人一族は、敷地の建造物のあれこれに身を寄せ合い、自分たちの身に起こった偶然を肉食巨大恐竜並みの思考の回転力で探り合い始めた。だが既にすべてが遅いのだとは、だれも気がつかなかった。一族が溜め込んだ銃器のすべてを池に放り込んで葬ることを提唱した者がいたが、彼の方が反対に、武器の総重量分の囚人甲冑を着せられて、海中ふかくに葬られた。








♰♰♰


後篇に続く


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