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23  最後の幕開け  【小説】





(学生の時以来だな・・・)
 涼介は煙草が吸えない苛立ちと共に、明るい時間に座れない場所で女性と待ち合わせるという、自分のスタイルの中には既に存在していないデートの始まり方に戸惑っていた。
 10月18日土曜日の午後、涼介は小倉駅新幹線改札口の前でまゆみを待っていた。
(このまま知った奴に会わなきゃいいけどな・・・)
 往来の多い連絡通路と改札口の間にあるスペースの壁に涼介は寄り掛かり、小倉に来た事がないというまゆみの希望を全面的に受け入れた事の後悔を胸に、人通りに背を向けていた。
(・・・それにしても遅過ぎるな)
 涼介は左肩を壁から離し、組んでいた腕を解いてサングラスを一度右手で触り、改札正面にある時計を見た。
 時計の針は午後2時15分を指していた。
(何かあったのかな・・・)
〝今から新幹線に乗るね〟というメールを50分ぐらい前にまゆみから貰ていた涼介は、既に姿を現していなけらばならない筈の時間を30分程過ぎている事実に、ある種別次元の不安を掻き立てられていた。
(この中に居なきゃ電話だな・・・)
 涼介は新幹線から降りて来た人達がホームからロビーに繋がる階段を一団となって下りて来る光景を見つめながら、今度こそこの人波の中にまゆみが居て欲しいと思っていた。

(まったく・・・)
 散け行く一団の中にまゆみがいない事を確認した涼介は、シャツのポケットから携帯電話を取り出した。
 改札正面の時計は午後2時40分を指していた。
 涼介の周りには、涼介と同じ様に携帯電話を取り出している人達が何人か居た。
「お待たせっ!!」
「・・・・・」
 涼介は突然耳元で響いた声にゆっくりと振り向いた。
「びっくりした?」
 まゆみは笑顔を弾かせていた。
「・・・来てたんだ・・・」
 涼介は携帯電話を閉じ、何時もより低く落ち着いた声でそう言った。
「あれ? 驚かなかった?」
 まゆみは涼介の冷めたリアクションに拍子抜けしていた。
「・・・そうだね・・・」
 涼介は無表情でそう言った。
 待ち合わせの時間を過ぎても連絡の無いまゆみに何かトラブルでもあったのではないかと心配していた涼介は、まゆみの不意打ちに人間らしく反応する事以前に、不安や苛立ちが自分の顔に齎らしている筈の厳しい表情を消す事に精一杯だった。
「何だ・・・」
 まゆみはがっかりした仕草を見せながらも、涼介の傍に居る事の嬉しさをはっきりと表情に浮かべていた。
「・・・何時いつから居たの?」
 涼介は自分の目に出ているだろうまゆみに対する冷ややかな感情がサングラスで隠れていて欲しいと思いながらそう聞いた。
「さっきメールした時にはもう小倉に居たの。ちょっと街をぶらぶらしてた」
 まゆみはそう言って、意地悪な自分を優しく叱って欲しい素振りをちらつかせた。
「そう・・・」
 涼介は既に小倉に来ていたまゆみを改札口でずっと待っていた、ある意味滑稽な自分の姿を思い浮かべて冷笑した。
「・・・待たせちゃってごめんね・・・」
 涼介の表情に何かを察知したまゆみは、加える予定の無かった甘さを声に混ぜた。
「いや、いいんだ・・・じゃ行こうか」
 涼介はまゆみの変化に反応する事無く小倉駅北口方向に踵を返し歩き始めた。

「涼介、歩くの速い・・・」
「・・・ごめんな」
 涼介はまゆみの声に振り向き、露骨に歩く速さをまゆみに合わせた。
 10月にしては降り注ぐ日差しの強い午後、二人は肩を並べて小倉駅北口のメイン階段を降りていた。
 まゆみは涼介と久し振りに並んで歩きながら、これから始まるデートに胸をときめかせていた。しかし涼介に行使した策略が成功だったのかどうか、心の隅で振り返ってもいた。
 涼介はデートの幕の開け方についての感想を何時まゆみに聞かれてもいい様に心の準備と気持の整理を急ぎ、サングラスの奥の目に柔らかさを取り戻す為に、態とまゆみを置き去りにした歩き始めた事の〝それらしい〟理由を考えていた。

「此処に停めてたんだ」
「そうだよ」
 涼介は自分の車にゆっくりと向かっていた。
 二人は小倉駅北口の直ぐ目の前にある駐車場の中を歩いていた。
 日差しは容赦なく駐車中の車を照り付けていた。
「・・・余り喋んないのね」
 まゆみは涼介の後ろを歩きながら、少しずつ緊張し始めている今の自分の状態をそのまま涼介に向けた。
 デートを待ち侘びていた三週間の間、涼介への思いをより一層強くさせていたまゆみは、初めて迎え様としている二人きりになれる空間を前に思考を微妙に固くしていた。
「何時もと変わんないよ」
 涼介はそう言いながらポケットから取り出していたキーを車に向け、ハザードを二度点滅させた。
「この車?」
「そうだよ」
「・・・日本車じゃない・・・よね?」
「そうだね」
「格好いいね」
「・・・・・」
 涼介はドアに手を掛けた。
「何て車・・・だったっけ?」
 まゆみは助手席側に回り込みながらそう聞いた。
「・・・BMだよ」
「そっか、BMだよね・・・BM・・・W!」
 まゆみは車の屋根越しに見える涼介に向かってそう叫んだ。
「・・・・・」
 涼介はまゆみに一度笑顔を見せて、車に乗り込んだ。
(やっちゃった・・・)
 まゆみは笑顔を引きつらせながら、何であんな話をしたのだろうと思っていた。
「ふぅ・・・」
 まゆみは恥ずかしさを誤魔化す様な溜息ためいきを吐いた後、助手席のドアを開けた。

「・・・暑いねっ」
 涼介に見せた醜態を取り繕ろう事だけを考えていたまゆみは、駐車場で1時間近く日差しに晒されていた車内の温度を率直に言葉にした。
「ごめんな」
 駐車場の出口ゲートにコインを入れ様としていた涼介は、その動作を止めてエアコンの温度を下げた。
「いや、そういう意味じゃなかったんだよっ」
 まゆみは慌てて否定した。
「分かってるよ」
 涼介は笑った。
「・・・・・」
 まゆみは言動の一つ一つが裏目に出ている事に焦っていた。

 二人を乗せた車はKMMビルとリーガロイヤルホテル小倉の間を抜け、199号線に出ようとしていた。
 車内は静かだった。
 まゆみは落ち着きを取り戻そうと必死になっていた。
「・・・涼介の車に乗れて嬉しい」
 まゆみは慎重に言葉を選んだ。
「そう?・・・初めてだっけ?」
「うん」
「・・・ようこそ」
 涼介は少し気取って見せた。
「えっ、あ、こちらこそ・・・」
「ははっ〝こちらこそ〟ってお洒落だね」
「え?・・・そう・・・かな・・・」
 まゆみは予期せぬ会話の流れに照れていた。
「・・・映画だよね?」
 涼介は穏やかな笑顔を一瞬まゆに向けた後、そう言った。
「うん・・・」
「・・・散歩したかったんだよね?」
「・・・うん」
「了解」
「・・・優しいね・・・」
 紫川手前を左に曲がり、ガードを潜っていた車は小倉の目抜き通りに向かっていた。
 車内の空気は心地良く乾き始めていた。
 まゆみの表情には柔らかさが戻り始めていた。

「こんな風になってるのね」
 まゆみは目の前に広がった予期せぬ景色に少し感激していた。
 涼介は北九州市役所の地下に広がる市営駐車場に車を停め、市役所に隣接する勝山公園の中に出られるエレベーターを使い、まゆみを地上に誘っていた。

 肩を寄せ合っている二人は中央図書館や市民プールを囲む様に形成された緑豊かな場所に背を向け、勝山公園の直ぐ横を流れる紫川沿いに向かって歩いていた。
 木漏れ日が張り巡らされた芝生の上に落ちていた。
「涼介、ありがと」
「・・・こちらこそ」
「もう・・・」
 まゆみは話す必要の無い沈黙を楽しんでいた。

「ね、何考えてる?」
 まゆみは沈黙に充分浸った後、涼介にそう聞いた。
「・・・昼間のデート、苦手なんだよ」
 話す事が無く、何も考えていなかった涼介は正直な気持ちを選んだ。
「・・・そう言ってたよね・・・」
 まゆみは涼介の言葉に困っていた。
 二人は紫川を見下ろせる桜並木の中に居た。
 対岸には小倉を彩る建物が林立していた。
「映画館に入るのも10年振りぐらいなんだ・・・煙草吸えないし」
 涼介は遠くを見ながら正直な言葉を被せた。
「そう・・・」
 まゆみは更に困っていた。
 涼介は遠くを見たまま歩いていた。
「・・・らしいって言うか、涼介って不思議な人ね」
 まゆみは涼介を見ながら心の中を忠実に言葉にした。
(不思議な人か・・・)
 涼介はまゆみの言葉に笑顔だけで答えながら、擦れ違って行った女性が必ずその言葉を放っていた事を思い出していた。

 二人は桜並木を抜け、紫川に掛かる太陽の橋を渡っていた。
「ここだよ」
 涼介は太陽の橋の欄干を建物の一部にした様な、紫川の土手も敷地の一部にした様な、そんな位置に建つ東京第一ホテル小倉を見ながらまゆみにそう言った。
「うん・・・」
 ずっと手を繋いで歩きたいと思っていたまゆみは、その思いを帰り道で実現させ様と自分に誓った後、涼介に笑顔を向けた。

「・・・次は4時10分か・・・まだ1時間以上あるな・・・コーヒーでも飲もうか」
 映画館は東京第一ホテル小倉の地下に在った。涼介は映画館専用のエントランスには向かわず一度ホテルの中に入り、ロビーの脇に在る室内階段を降りて映画館の前迄来ていた。
「・・・うん」
 まゆみは降りて来たばかりの室内階段へ踵を返した涼介の背中に返事をさせられていた。

 二人は東京第一ホテル小倉一階ロビーにあるラウンジに居た。
「博多の方が良かったろ?」
 涼介はサングラスを外しながらそう言った。
 二人は窓側の席に案内されていた。ラウンジと紫川の間にはホテルの中庭が美しく広がり、中庭の一角を占めるテラスにはオープンカフェ用の白いパラソルが綺麗に立ち並んでいた。紫川の向こうには二人が歩いて来た公園の木々が風に揺れ、その先では小倉城とリバーウォーク北九州の斬新なビルが、時代を超越して描かれた一枚の絵画の様な趣きで寄り添っていた。
「ううん、そんな事ないよ」
 まゆみは窓の外に広がる景色を見ながらそう言った。
「・・・まぁ、ゆっくりしようよ・・・」
 涼介は窓の外に顔を向け、まゆみや小倉という街に愚かな態度で接している自分の心をぬるく見つめていた。
「・・・・・」
 綺麗な姿勢で座っているまゆみは、優しい瞳で涼介を見つめていた。

 二人の前には飲み物が運ばれて来ていた。
 涼介は窓の外を眺め続けていた。
(最低の男だな・・・)
 涼介は長い沈黙をそのままにしている自分を苦笑いで区切り、コーヒーにゆっくりと手を掛けた。
「何故笑ったの?」
 カップをソーサーに戻し、煙草に火を点け様としていた涼介にまゆみは聞いた。
 まゆみはコーヒーを飲む前に涼介が一瞬浮かべた穏やかな笑顔を見逃していなかった。
「?・・・いや、何でもないんだ・・・」
 涼介は煙を一息吐いた後、まゆみの質問に対してそう答える事しか出来なかった自分に未熟を感じていた。
 窓から差し込む太陽の光は、涼介の顔に漂う気まずさをくっきりと浮き彫りにしていた。
 まゆみは涼介の顔を見つめたまま、次の言葉より沈黙を選んでいた。
「・・・あそこに行ってみる?」
 涼介は窓の外を指差し、まゆみの心を探る様にそう言った。
 テラスには十本近くの白いパラソルが傘を広げていた。そしてその中の一組のパラソルに、笑顔を弾けさせている若い男女の姿が見えていた。
「・・・此処でいい」
 まゆみは柔らかい風の様な声で涼介の誘いを断った。
「そう・・・」
 涼介はまゆみと出会って以来、初めて受身に回っている事に少しだけ焦っていた。
 まゆみは綺麗な姿勢で涼介の顔を見つめていた。
 涼介はまだ幾らも吸っていない煙草を消し、まゆみの視線を避ける様に窓の外を眺めていた。
 まゆみに他意は無かった。まゆみは椅子に深く背を凭れ、時折り頬杖を付き、時折り眩しそうな表情を見せる涼介に心を奪われ、このままずっと涼介を見つめていたいと思っていただけだった。
 涼介は場所を変える事も会話も欲しがっていないまゆみに困っていた。そして自らが自由に操れない沈黙を嫌っていた。
「・・・・・」
 涼介は眩しさを嫌がる素振りを見せながらサングラスを掛けた。
 まゆみは幸せを感じていた。
 涼介はまゆみと目を合わそうとしなかった。
 パラソルの下では若い二人がはしゃいでいた。
「・・・・・」
 涼介は立ち上がった。
 まゆみは涼介を目で追った。
「・・・トイレに行って来る」
 涼介はそう言ってまゆみに笑顔を残し、歩き始めた。
(ほんと駄目だな、俺は・・・)
 涼介は自分を見つめ続けるまゆみから逃げる様に席を立った事に辟易としていた。
 まゆみから〝何故笑ったの?〟と問い掛けられた時、涼介はテラスではしゃぐ若い二人の聞こえる筈のない声を心に感じていた。そしてその声に因って忘れる事の出来ない一人の女性との過去が揺り起こされ、脳裏にその女性の顔を鮮明に蘇らせていた。
 涼介は窺い知る事など到底出来る筈の無い心の内をまゆみに見透されたと思い込み、動揺していた。
「最低だ・・・」
 涼介は歩きながら呟いた。
 テラスに咲いたパラソルの下で無邪気な姿を見せている若い二人に、涼介は圭子と過ごした羽田東急ホテルでの一日を思い出していた。そして第一ホテル東京シーフォートで圭子に晒した、ぬるく不甲斐ない自分の姿も思い出していた。
(ほんと最低な奴だ・・・)
 涼介は何処までもまゆみに対して失礼な自分を嘆きながら、まゆみとのデートの幕開けを東京第一ホテル小倉の地下に在る映画館にしようと考えていた一週間前、意識の片隅にはっきりと圭子が居た事を振り返っていた。そしてずっと封印していた圭子との想い出を、まゆみの前で振り返えってしまうかもしれないと考えた自分を思い出していた。



#創作大賞2024
#恋愛小説部門


ぬるい恋愛✉〝情熱という、理想というmelancholy〟

美位矢 直紀


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