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箱根芸者を残すために歴代組合長がやってきたこと | 箱根芸者物語#3
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観光客が行き交う箱根湯本の商店街。
一歩奥の道をゆくとそこには歴史ある、箱根芸者衆が集う「湯本見番」がある。
見番が建ってから70年。今や令和の時代に。
何がどう変わったのだろうか。
変わりゆく時代に合わせ、伝統を守り花柳界文化を継承する「湯本見番」
知れば知るほど奥が深まる花柳界文化の世界。
ちょっとのぞいてみませんか。
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19才で芸者の世界に飛び込んだ現組合長の舘美貴子さん。
彼女が19才の時に見た箱根芸者文化の様子を語っていただきました。
組合長のお話
「もっと多くの人に知ってもらわないと、いずれなくなっちゃうな」
私が箱根芸者の世界に入った当時は、猫の手も借りたい忙しさで、
お座敷のお客さんだけでも箱根芸者組合としては十分すぎる程の仕事がありました。
自分の置屋に舞い込むお仕事だけじゃなくて、他の置屋にもひっぱりだこだった日々。
本当に忙しくて「ちょこん。」と、座っていただけでお仕事が毎日のように舞い込んできていました。
それが今じゃ、ぱったり。
昭和元年の一番忙しかった頃と比べると、
本数(お客さんについた時間)でいえば、約5分の1に減っちゃった。
芸者の数はその頃と比べると3分の1くらいかな。
売上や仕事が減っていくのを見て、思ったのね。
「ああ、もっと多くの人に知ってもらわないと、いずれなくなっちゃうな」って。
私が独立して置屋を持ち始めた時に、営業推進委員というのを立ち上げました。
営業推進委員会では例えば「きらりこ」という名前の公募をしたり。
旅館組合さんとの連携を深めたり。(それで「箱根の舞」が実現してます)
また、私が組合長になってからイベントごとがとっても増えました。
「箱根をどり」を始めたのも私が組合長になってから。
今は年に1度だけど、昔は春と秋で2回やってました。
新年会も昔からやってましたが、芸者衆のみが集まるようなものでした。
自分達だけが見てるのはもったいない、、ということで、今のようなお客さんにきてもらうシステムになりました。
実現するのも簡単じゃなかったよ。その当時は誰にも相手にされなかったし。組合長になってから実現させることになった。
箱根芸者の事を昔から知ってる人は
色々な事をやってがんばってるよね、と見てくれているはず。
そんなこんなで、だんだん旅館組合や箱根町が支援してくれるようになった。
文化を守ろうと、地方の育成の為の支援なども積極的にしてくれるようになった。
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日本中どこ探しても二足のわらじをはいている芸者はいない。
それは箱根芸者の「知られていい部分」であり「知られたくない部分」でもある。
今となっては、それは絶対に箱根芸者を守っていくために必要なことだったし、
賢明な決断だったとも言えると思う。
前の組合長を担っていた池田屋さんが30年くらい前かな、にやったことでした。
「これから洋服が多くなり、コンパニオンさんと競争していくことになれば
芸者の活躍場が必ず少なくなっていく。」
そう言って、芸者の仕事を守るために私達はコンパニオンのお仕事もはじめました。
外部から入ってくる彼らに私達の仕事分がもっていかれてしまう、というところが懸念だった。
始めた当時は「コンパニオン部」と「芸者部」を分けていたんです。
当時はさほどコンパニオンを呼びたいお客さんはいなかった。私自身も現役で洋服を来たことはなかったからね。
でも、その7年後くらいからかな。
今からで言えば、23年前くらいから洋服の方が注文が多くなってきていた。
だんだん仕事がない芸者さんたちも「いってきなさい」と
コンパニオンとして送り出されるようになった。
それが始まり。
「コンパニオン」として洋服ででているのは箱根芸者にとっての生活のため。
昔は旦那衆がいたのよ。「旦那衆」って言っても変な意味のではなく、
「芸事をやる芸者衆を応援する」ような純粋な人たちがいた。
別に、それと引き換えに何かをしてもらおう、ということはなかった。
だから昔は芸事だけをやっていても、生き残れたのよね。。
今は引き換えが求められる。「お金頂戴」って言えば「なにしてくれるの?」って。
この時代になって、ご察しの通り、洋服の比率はどんどん多くなってきてます。
そこの部分は声を大きくして言えませんが、生き残ってきた確かな印ではあると思うの。
よそと話しても、ここ(箱根)の組合くらい整っている場所は他にはない。
退職金、納税の為の貯金などの福利厚生だったり。京都の方にも実はないのよね。
私がイベントを始めた理由は「芸者」を残すためでもあるの。
「イベントにでること」は女の子達にとってのモチベーションになるでしょ。
例えばお稽古に新しい子が来始めた、と。
真面目にでてると箱根の舞に出ないか?とチャンスを与えられる。
もちろん今、こうしている間にも芸者はどんどん少なくなっていて、細くなってきていて、
芸者が残らないんじゃないかっていうのはちょっと不安。
今、置屋に対して口酸っぱく言ってるのは
「とにかく女の子を入れて、育ててください」ということ。
女の子達を「芸者」にするためにはね。
組合が女の子を作るんじゃなくて、置屋が女の子を作るんだよ。
お母さんが直接、女の子を見てるから。
いかに女の子をおだてて、褒めて、お稽古にいかせるか。
「今日朝早いね〜、偉いねぇ。」「昨日の夜遅かったはずなのにねぇ」
「入ったばかりなのにもうその曲踊れるの。偉いねぇ」
違う置屋の子にも声をかけるの。
周りも、お母さんも、皆で育てるの。
女の子一人でなるわけじゃないし、置屋のお母さんが一人でなるわけじゃないからね。
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箱根芸者の世界に飛び込み、花柳界文化のリタッチを通じて芸者ショーの立ち上げに挑戦する西村環希が芸者の世界での新しい学びや気付き、考えたことを皆さんにおすそ分けします。
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箱根芸者さんとのお話、著者が感じたこと
「なんで芸者になったんですか?」
“Why did you decide to become a Geisha?”
Meet Geishaのショー内で必ずと言ってもいいほど、
お客さんが芸者衆に聞く質問です。
ちょっと答えに迷いつつ。
あるいは口からスラスラと。
女の子達はこう答えます。
「和服が好きだから」
“Because I like Kimono”
「日本舞踊が好きだから」
“Because I like Japanese traditional dances”
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実は、芸者さんの中には切ないストーリーを持つ人もいます。
女として、めちゃくちゃかっこいい仕事だと思うんだ。
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彼女たちが発する言葉は、時に私をドキリとさせる。
私のいる世界では「公の場で発言することはタブー」とされてる言葉達。
彼女たちははっきり言う。
「あなたとは、全く違う世界に住んでいるからねぇ」
それらは私を不快にさせることは全くなくて、むしろ清々しいのだ。
彼女たちの生きてきた道が透いて見えるような、言葉達。
その言葉達の遠慮も恐れもなく、真っ直ぐな様子をとっても美しいなと私は思います。