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置屋マネジメントで箱根花柳界をひっぱる凄腕女将 | 箱根芸者物語#7

観光客が行き交う箱根湯本の商店街。

一歩奥の道をゆくとそこには歴史ある、箱根芸者衆が集う「湯本見番」がある。
見番が建ってから70年。今や令和の時代に。
何がどう変わったのだろうか。

変わりゆく時代に合わせ、伝統を守り花柳界文化を継承する「湯本見番」
知れば知るほど奥が深まる花柳界文化の世界。

ちょっとのぞいてみませんか。

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今回は、10名以上の芸者さんを束ねる凄腕の置屋の女将であり、箱根芸能組合の役員かつ広報を務める松芳さんです。

まつよしさん5

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「つまらなかったのよ」

出身は群馬県の前橋で、実は真昼さんと同じ。車で10分くらいのとこに住んでいたみたいなのよ。

高校を出てからはOLやってたの。
家具会社の営業事務で、小さな会社だったけど、工場もあって200名くらいの社員がいたかな。

父親の取引先だったこともあって、
「女の子は小さい会社で大事にされて、嫁に行くのがいい」と思っていたみたいで、「ここがいいんじゃない」って感じで、あまり考えずに入社したのよ。

30年くらい前だから、「女の分担」というのがあったの。
朝礼が終わると電話を拭いたり、机を拭いたりお茶をいれたり。

でもその仕事をどれだけやっても、自分に反映されるものは何もないわけ。
営業の人たちが、どれだけ家具を売ったかで、会社全体の成績が決まるのよ。
で、つまらなくて「私の求めてるのはこれじゃない!」と1年半ぐらいで辞めちゃったのよね。

その後は、昼はスパゲティ屋さん、夜はスナックでバイトをしていて、割と一生懸命働いてた。
そしたら当然、なんと同じ日にそのスパゲッティ屋とスナックが
「店を辞める」と言い出したの。

すごい偶然なんだけど、でもいずれ家は出たいと思っていたし
このタイミングだと思って。その当時は「和服コンパニオン」として募集していた箱根での仕事が、寮完備で待遇もよかったので面接に行ったのがきっかけだった。

でも、すぐ逃げれるように、ボストンバッグひとつで身軽にして
箱根に来たのよ。1ヶ月ちょっとして、最初のお給与をもらった時、けっこう高額だったんだけど、生活も大丈夫だとわかって、そこで荷物を色々まとめて持ってきたの。

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「絹でまとわれている意識」

OLの時は、「社長」は雲の上の存在だった。
芸者の仕事をはじめて、いろんな人と実際に会って、経営者って魅力的だなって感じた。社長だけじゃなくて、部長や課長、大切な責任を持っている人たちが「こういうことを考えてるんだ」と知れるのは貴重だった。

お稽古もけっこう頑張ったのよ。
置屋のお母さんにお願いされたことにNOと言ったことはなくて、
「お稽古ごとが大事」と言われてから行っていた。

お母さんの言葉で『日本舞踊、お稽古ごとで身につけたものは、いつか花柳界を去っても必ずあなたの「財産」になる』っていうのがあるんだけど、今もその通りだと思う。

着物の動きが一番美しく見えるのがやっぱり、日本舞踊なのよね。
初めは着物も一人では着れなかったし、お仕事は慣れないことが多かったけど、全身を「絹で纏われてる」という意識を持たないといけないのよ。

「芸者を抱える」

7年芸者をやると置屋をもてる(=独立できる)、というのが箱根の花柳界のルールなの。20代後半に箱根に来て同じ置屋で働いてた妹と、一緒に独立を考えていたんだけど、私と妹が同時に抜けられちゃうのは困る、と当時の置屋のお母さんに言われて、色々話し合いをしてたのよね。ようやく9年10ヶ月経った頃に独立したの。

自分の館を持ちたい、誰かの傘下じゃなく動きたい、という気持ちで独立して、5年間くらいはゆっくり気ままに妹と二人で置屋をやってた。

ただ、バブル崩壊とかで、よくしてくれてた旅館さんの経営がよくなくなってしまったり、自分たちもお座敷の機会が減ったり、やっと決意して女の子(芸者さん)を入れることにしたの。

けど、置屋を持って、女の子を抱えるって部屋と着物をそろえるのが結構大変なのよ。着物は最低でも10枚は必要で、季節で3種類の着物、それに加えて帯を用意しないといけないからね。

関わった子達は全部で100人は超えてる、120、130人はいるんじゃないかな。大変なことやトラブルもあったけど、今は、女の子たちを入れる決意をしてよかったと思う。

「向いてたんじゃないかな」

現役でやっていた頃より、置屋を持ってからの方が、自分に合ってる気がする。現役の頃は「芸者としての自分をいかに売るか」で、置屋は旅館から仕事をもらって、女の子のマネージメントして、自分の置屋のルールを作って、いろいろ切り盛りするのよね。

大事にしてるのは、「アメとムチ」。

私がアメを3個あげても、受け手は1個しかもらってないと思う。
私がムチを1つ打っても、受け手は3つ打たれたと思う。

だからアメは自分が想定しているよりも多くあげるようにしている、その隙にムチを1つね。

気持ちよく働かせたいのよ。
「ごはん行きましょ」って甘えてくる子もいるし、そうじゃない子もいろんな子がいる。いろんなニーズがあるから、そのニーズに応えてるの(「だからあとで私のニーズに応えてね」というメッセージよ)。

かわいいだけじゃない、腹も立つ。
腹が立つけど、感謝もしてる。そんな感じかな。

「花柳界を滅ぼさない」

花柳界って流行りの職業じゃないのよ。

でも、着物の美しさ、立ち振る舞い、おもてなし。
これは「日本の文化」で「日本の美」なの。
箱根が150人の芸者を10年続けたのはすごいと思っている。
お客様、旅館さん、ロマンスカー、小田急さん。箱根という土地柄に支えられたと思うのよ。

人数は減っていくのは仕方ないし、これっていう方法は今はわからないけど、残していきたい。時代の流れにうまく乗れるとこは乗って、柔軟に考えていかないとダメよね。

10年経てば、組合長だって新しい人になるし、になっていかないとね。
組織というのは、若い力が入っていかないと存続しないと思うの。

置屋というのが魅力的な仕事になっていけばいいな。


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