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常に自分の限界を超えていきたい。女子プロレスラー岩谷麻優選手の半生にサイボウズ青野社長が迫る

2024年2月7日(水)に開催された meetALIVE 開催50回記念特別企画「六本木無限大記念大会」。第2試合(セッション)に登場したのは、スターダム所属の女子プロレスラーで現IWGPチャンピオンの岩谷麻優選手です。
高校時代に対人恐怖症になり、2年間引きこもりの生活をしていた岩谷さん。なぜ、プロレスラーを志したのか。そして、幾度の脱走を経験しながらもプロレスに戻ってきた理由とは 。
ファシリテーションを務めたのは、サイボウズ株式会社・代表取締役社長の青野慶久さんです。自社イベントにアントニオ猪木さんを呼び、闘魂注入してもらうほどのプロレスファンである青野さんが、「人生の可能性」をテーマに岩谷選手の半生に迫ります。


青野さん
岩谷さんの著書『引きこもりでポンコツだった私が女子プロレスのアイコンになるまで』が、2020年に刊行されました。現在の姿からはまったく想像できませんが、本当に引きこもりだったのですか。

岩谷さん
はい。若いときは、人間関係のトラブルなどいろいろありますよね。対人恐怖症になって高校を4カ月で中退しました。それから2年間ずっと引きこもっていました。

青野さん
引きこもっている間は、何をしていたのですか。

岩谷さん
私はポジティブな引きこもりでしたので、マンガを読んだり母がいない時間にごはんを食べたりして、自由に過ごしていました。

青野さん
お兄さんがプロレス好きだったようですね。

岩谷さん
兄が2人いるのですが、真ん中の兄がプロレス好きでした。ある年の大晦日、兄がテレビでプロレスを観ているとき、私はまったく興味がなかったのでチャンネルを変えようとしました。すると、兄が「ニートにチャンネル権はないから」と言って、変えさせてもらえなかったのです。それで仕方なくプロレスを観ていたら、引き込まれてしまったのです。

あれ?! さっきまでボコボコにされていた選手がやり返している。そして、最後にはその選手が逆転して試合に勝った。その姿に感情を揺さぶられました。それからプロレスにハマってしまって。兄が試合に誘ってくれて、初めて生でプロレスを観たときに「プロレスラーになろう」と思いました。

青野さん
私もプロレス観戦は好きですが、1回もやってみたいと思ったことはありません。なぜ、観戦する側からプレイヤー側になりたいと思ったのですか。

岩谷さん
それまでの2年間ずっと引きこもっていたので、将来がまったく見えていなかったのです。同級生が進学や就職などの進路を決めていく中で、自分には何の取り柄もないし、資格もない。このまま引きこもりのまま、死んでいくのかな。そんなふうに考えていたとき、プロレスが好きな気持ちが芽生えて、失うものが何もないからプロレスで死んでもいいと思ったんです。「自分を変えたい」という焦りもありました。

青野さん
「失うものが何もない」との思いが、一歩を踏み出す強さになったのですね。
ご両親には反対されませんでしたか。

岩谷さん
母から大反対されました。後から聞いた話なのですが、母もプロレスが好きだったそうで、だからこそ自分の娘がプロレスラーになることが想像できなかったようです。祖父に話したら、「ふざけんな」と言われて、前蹴りされました。母も祖父も説得できなくて、もう家出するしかないと思いましたね。

ケータイサイト(当時の週プロモバイル)で女子プロレスラーのコラムを読んでいたら、そこに「練習生募集」と書いてあったので連絡しました。「家出する覚悟はあるのですが、所持金が6000円しかありません」と当時の社長とGMに事情を説明すると、「そこまでの気持ちがあるならチケットを送ってあげるよ」とおっしゃってくださりました。

ずっと引きこもりだった私に郵便が届くことは、めったにありません。郵便物を母に見られたら家出をしようとしていることがばれてしまいます。だから、数分おきに郵便受けを確認していました。そうしてチケットを受け取り、コンビニの袋に下着だけ詰めて家を出ました。


青野さん
上京後、練習生としての生活はいかがでしたか? 

岩谷さん
2年間ひきこもっていて運動もまったくしていなかったので、病的なくらいガリガリでした。腕立ても腹筋もできないし、倒立しても頭から落ちていました。

青野さん
いまからは、想像できないですね。

岩谷さん
デビューから1年間は、シングルで勝てなかったです。「スターダム最弱決定戦」のような試合に出ていましたね。私が上京した当時は、団体の立ち上げ時期でした。旗揚げメンバーが5・6人いましたが、私には何も期待されていませんでした。真っ先に辞めると思われていたのではないでしょうか。

青野さん
立ち上がったばかりの団体に飛び込むことに、不安はありませんでしたか。

岩谷さん
世間知らずで、プロレス業界のこともよくわかっていなかったからこそ、飛び込めたのだと思います。そのおかげでいまがあるので、結果にはよかったです。

青野さん
3回脱走したことがあるそうですね。

岩谷さん
はい。私、脱走癖がありまして、プレッシャーがかかったり嫌なことがあったりすると、すぐ逃げたくなるんですよ。いまは、違いますけどね。

初めて脱走したのは、有田哲平さんの番組の撮影前日でした。あまりの練習のきつさに「もう嫌だ」となってしまって。「体調が悪いので練習を休ませてください」と言って、練習を休みました。みんな練習に行っているので、寮には誰もいません。その間に段ボールに荷物をまとめて実家に着払いで送り、そのまま脱走しました。

あのときは、関係者のみなさまに大変なご迷惑をかけてしまいました。いまだに有田さんにお会いすると「おまえ許さないからな」と言われます。

青野さん
その後、トリマーになりたくて専門学校に願書を出したという話もありますが、このときも練習が嫌になってしまったのですか。

岩谷さん
そのときは、本当にトリマーになりたかったんです。でも、高校を卒業していないので、まず卒業資格を取らないと専門学校に入れません。最低4年はかかるので、早いうちに行動をしたほうがいいと思って。それで、「スターダム辞めてトリマーになります」って団体にも話して、メンバーにも退団の挨拶をしました。そして次の日、普通に練習に参加していましたね。

青野さん
切り替えの速さも個性的ですが、戻ろうと思ったのはどうしてですか。

岩谷さん
プロレスをやっていると、お客さんが自分のこと見てくれます。360度から声援がもらえる。引きこもりをしていたころの自分には、あり得なかったことです。これを経験してしまうと、なかなか離れられません。

青野さん
ファンの声援に支えられて戻ってきたのですね。次の脱走は、どんな状況でしたか。

岩谷さん
大阪で試合があるため早朝からバスで移動予定だったのですが、集合時間に遅刻をしてしまって、そのまま試合をすっぽかしてしまったのです。先輩に怒られるのが嫌だったので、ケータイの電源を切って家に引きこもりました。当時、家賃3万5000円の5畳ぐらいの部屋に住んでいたのですが、怖い先輩が訪ねてきて玄関のドアをドンドン叩いたり、チャイムをピンポンピンポンと連続で鳴らしたりするので、余計にひきこもってしまって。同期や後輩などいろいろな人が訪ねてきました。

それでも居留守を使っていたのですが、最終的にはベランダ側から室内をのぞかれて、私が部屋に居ることがばれてしまいました。さすがに、もう居留守は使えないので、仕方なくドアを空けるとゾロゾロ選手が入ってきます。家の中を見られて「よし、寮に戻ろう」って言われて、強制送還させられましたね。それからは、もう逃げることはなくなりました。

青野さん
逃げなくなったとのことですが、何かきっかけがあったのですか。

岩谷さん
同期で仲の良かった選手が、ある試合をきっかけに引退することになったのです。エース的存在だった選手が急にいなくなってしまって、スターダムは存続の危機に立たされました。そのときに、「自分が団体を支えなければいけない」という意識が芽生えてきました。それから変わりました。

青野さん
いまはIWGPのベルトもプロレス大賞も取られて、名実ともにスターダムのエースになりましたね。ある意味、いまなら有終の美を飾ることもできると思うのですが、激しい試合を続けていらっしゃる。現在の心境をお聞かせください。

岩谷さん
たしかに、プロレスラーとして栄誉にあずかりました。それでも、激しい試合を続けるのは、自分の限界を常に超えていたいからです。過去の自分の試合よりも、もっといい試合がしたい。過去の自分に勝ちたいんです。

青野さん
なるほど。見ているところがもうタイトルではないのですね。

岩谷さん
そうですね。でも、もう一度プロレス大賞をとりたい気持ちはあります。いまは、それを目標に戦っています。

青野さん
プロレスラーとして快感を感じる瞬間は、どんなときですか?

岩谷さん
ボコボコにやられているときです。

青野さん
えっ!殴られているときが快感? どういうことでしょうか。

岩谷さん
自分で言うのもなんですが、私は相手の技を受けるのが得意なんです。相手の技を120%引き出したいんです。

青野さん
なるほど。プロレスラーは「受け」が強い人ほど、かっこいい印象があります。

岩谷さん
そうなんです。たとえば、チョップをされそうなときに、逃げてしまったらおもしろくもなんともないですよね。技を受けて、その痛さをきちんと観客に伝えることが大事。痛いことを「痛くないです」と伝えるのではなく、痛いことは「痛い」と伝えなければなりません。それがプロレスです。

青野さん
痛い技を受けることで、強さを示す。そのときの観客の反応も含めて、快感になっているのですね。

岩谷さん
はい。観客にきちんと伝わっていることがわかるとうれしいです。

青野さん
今後、海外進出をしてみたいという気持ちはありますか。

岩谷さん
海外は会場の規模も大きくて、入場の演出などもすごい。あのような大歓声の中で試合をしてみたい気持ちはあります。

青野さん
一人のプロレスラーとして、海外の大きな舞台で活躍される。それは、すばらしいことだと思います。一方で、海外で活躍することは、海外のプラットフォームに貢献するこということでもあります。そして、気が付けば日本のプラットフォームが弱くなってしまっている。われわれIT業界は、そこで悔しい思いをしています。だから、岩谷さんには、日本にいらっしゃるのであれば、海外から日本にお客さんを呼び込んでくるようなご活躍を、ぜひお願いしたいです。

岩谷さん
はい! 私もそうなりたいと思っています

引きこもりから女子プロレスのアイコンへと人生を切り開いた岩谷さん。幾度の挫折を乗り越えて戦い続けるその姿に、人生の可能を感じずにはいられませんでした。

ライター コクブサトシ @uraraka_sato
meetALIVE プロデューサー 森脇匡紀 @moriwaking
meetALIVE コミュニティマネージャー 小倉一葉 @osake1st
サムネイル写真:集合写真家 武市真拓

meetALIVEとは…

meetALIVE(ミート・アライブ)は、「今、会いたい人に会える」を目指すコミュニティプロジェクト。
「毎日をより楽しく、世界をより豊かにしよう!」と挑戦を続けるイノベーター達と語らう企画を用意しています。

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