まるでだまし絵のような社会人10年目
こんばんは。釘です。
今日は足跡として社会人生活を振り返ろうと思います。
人生は砂漠を彷徨うものだと思ったのですが、この写真は空です。砂丘です。車をずっと走らせてぼおっと砂を感じていました。
中学のころよろしくずっと先に行けると思ったんですが、海に阻まれたんですね。車は空を飛ばないし、そもそも飛んでも嬉しいのか?
おいしいと思い込め、レモンの味がする。干し肉を口にする気持ち。
世の中は分からないことだらけです。そのまま朽ちていくのは怖い。知らないことは増えて、人の根本はずっと変わらない。
余裕があれば、岩手辺りに旅行に行きたいのですが、まだまだ難しそうだ。車にエアコンでも付けて、準備しておこう。
そうやってやりたいことはなくならない。
仕事も自宅からするようになって世間から離れていき、最近はFuture bassばかりが部屋の中で流れる。EDMから派生したんだっけか、Kawaii はそこにある童貞っぽさが良いですねなんて思いつつ、僕の最近の興味はとりわけモーショングラフィックスに注がれる。幾何学模様が混乱していく様は自我を引き連れる。
ある1つの世界観が表現出来そうな気がしてゲームのTime Attackをやってみたり、少し動画編集などをして楽しむ。どこかに軌跡は残すと思う。僕は表現の限界集落に住む。
今回書くのは、気付けば大学生活2回分(親不孝!)の時間が経過した社会人生活のこと。
なんとか10年生存できた社会人の振り返りで、結局「労働、それはわからん」から抜け出せず、なんとか生きて来た。そのことを客観視しておく。
こんなヤツでもまだ生きられる社会。でも、もう先はないかもしれない。
だまし絵のように時が過ぎ去ってしまった。
社会人に、なれましたか?
きっと、僕は「普通のサラリーマン」だ。
それは、どこへ出しても無蓋な生き物。
紙魚。無変態の原始的昆虫。
10年前、1万円もしない紺色のスーツを着て、品川、横浜、新宿、千葉、、、様々な場所で面接を受けた。応募は100を超え「ガクチカ」はアルバイトでちょっとしたリーダーやってました。くらいしかなく、学業はといえば、微積分でつまづく。2度落とした数学は「マクローリン展開」すら覚えられたかどうか怪しい。反対に線形代数は得意だった。マトリクスは物理にも通じていて、運動方程式を作ったり「もの」に近いからなんだろう。
数学は苦手で、物理は得意だった。大学教育レベルであるか自信はない。
理解しようとしては眠り、他のことを始め、学業に打ち込むわけでもなく、下手くそなドラムを叩いているだけの毒にも薬にもならぬ落ちこぼれの1人だったように思う。(軽音楽部には結構留年する人がいた。)
大学は情報系だった。高校時代の僕は「SEになりたい!」となんとなくITは凄いことが出来るんじゃないかと勝手に思っていた。中学辺りからインターネットに触れるようになって、面白いものがあるなとネットゲームに費やした時間と学業の出来は反比例した。
結局、僕は賢いわけでもないから、平均よりちょっと下の、就職にはそれなりに強いと言われていた大学に入学した。受験では全く対策もしていない国語を選択していたし、数学も英語もセンター試験では散々だった。(記憶の限りではそうだった。けれども正しいか少し自信がない。数Ⅰ-A,Ⅱ-B が半分も正答出来なかったのをよく覚えている。)
けれども、どうしてか通ってしまった。昔から国語だけは得意だったのは、言葉に慣れ親しんでいたからか。
ああ、嫌なことを思い出した。AO入試に落ちたんだった。
落ちた人は少なくて、僕は面接で聞かれた「料理に使われる化学反応を教えてください」に答えられなかったのをまだ覚えている。(面接の時に視界がねじれ始める現象は何なのだろう。未だに分かっていない。)
学業は芳しくない。持ち前のコミュニケーション能力で机に突っ伏していた高校時代から変わるはずもなく、本当にギリギリだった。その時から、少しずつチープな物語を書いていた気がする。今よりも熱はなかったものの、現実逃避は空想の中に入り込んでいった。
そんなものだから大きな目的意識もなく、とりあえず就職活動が解禁されたから、情報系だからSEに、皆の流れに沿って社会人へ、という大学生でも下の方から出発した人間の1人だった。
沢山受けて、やはりその面接、選考の意味をしっかりと理解できていない。生きる為には働かなければいけません。大学を卒業したのですから、正社員雇用の機会は十二分に利用しよう。
そうやって始めた就職活動。年明け前から準備をしていた。
僕が就職活動をしていたのは、東日本大震災の時だ。研究室に寄ろうと就職活動の後に大学の入り口で地震が起きた。幸いにも怪我なく、その日は少し大きな地震が起きて、電車がずっと動かない。だから歩いて帰ろう。
そんな軽い気持ちで捉えていた。
革靴で30キロ近く歩いて帰るのに疲れて、少し経ってから災害の重大さに気付く。高校生の頃、早朝に世界貿易センタービルに飛行機が突っ込む瞬間のニュースを見て、現実味を感じられなかったのと同じように、それがとても身近に起きても気付けない。
察しの悪さから、後から気付いて慌てる。
けれども就職活動はやるしかない。驕り高ぶり言語道断、3段活用。色々ある中で選考をなんとか進めようとする企業と、なんとか生き抜こうと面接に挑む僕。しかし、前述の結果である。
本当に出来るんですか? ビジネスなんて分からず、右倣えで漠然と人生を浪費して来た僕に?
どこかの面接でことごとく分からない。話が通じない。なんだか泣きたくなってきた。女々しいぞ、男の子だろう。その後の筆記試験はもうぐちゃぐちゃになっていた。上を向いて歩こうの歌詞と共に鼻をすすり、気を落ち着けて、ひとつ不採用が増える。
ここで、ひとつ訂正しておくと、僕は社会人になってからまだ9年目で、そろそろ10年になる。
今となっても、準備や社会に向けた様々な意識が不足していた様に思う。ただただ、アルバイトと散策と音楽と、そこに人生の目的も、意義も、やりがいすらもなく、同じ方向に歩いてようやく気付く。
なんとか、社会人にはなった。
社会人とは何だろうか?
報告、連絡、相談。
計画、段取り、結果、結論、成果。
あなたの表出は特にいりませんが、この価値と意味を教えてください。
そうやって履歴書を沢山書いてはミスをして破り捨て、ミカゼちゃんを描いたりしながらなんとか秋頃に特定派遣の会社に滑り込めたのだった。
IT系だけというわけではなかったし、いま僕はIT技術者でもない。
ちなみに2015年の派遣法改正によって特定派遣はなくなっている。
色々と問題を抱えていたが、晴れて就職留年はせず正社員雇用として名目上「普通のサラリーマン」となった。給料を毎月貰い、週5日働き、ささやかながら賞与が出て、狭い1Kで休日を消化する。言われたことをしっかりやる、コミュニケーションを取る。日本人、様々な就職支援企業によって規定された労働者として、1人で生活していける立場を得た。
徐々に「おや?」と思い始めた。
僕は物事の整理が覚束ない。話が枝葉末節に飛んでいく。言われたことが出来ているようでズレている。気が利かない。
そんな風に、新人だった頃からつまづきが増えていった。
資料、議事録、会議、プロパー、協力会社、色々な関係、契約が会社にはあり、出来ること、出来ないことは明確に分かれている。色々な構造を僕は知らないままだった。
気を付けていないと仕事の全体像は分からない。けれども、振られたことを間違いなくこなせばいい。
それなのに言われたことが出来ない。全体像の把握が出来ない。
だから気を付けるようにしていた。けれども「漠然とした不安」はぬぐえなかった。
果たして、僕はこのままずっと、この仕事で生きていけるだろうか。
何度か仕事が出来ないと指摘があった。理由はなんだろうか、目的が明確にならないまま、言われたことを進めている。
これがよくなかった。恐らく察しが悪いのがいけないのかもしれない。何をアウトプットするんですか、ずれて修正が入る。本筋は何か?
ただ、分からないなりに続けると出来てくる。叩かれて直して、叩かれて直して、経験に殴られて覚える。
そうやって他の人よりも時間はかかったものの仕事に慣れてきて、似たような毎日を繰り返しているように思えてしまった。やっぱり、出来ることと出来ないことはあって、もっと、出来ることを増やさないとこの先生きのこれないんじゃないか。
「このまま、で良いんだっけ?」
疑問が出てしまえば、すぐに行動に移る。
拙速なのか、行動的なのか、おそらくそのどちらもだ。
どこか、ストレスが少なく、この人生の意味も、目的も自身で定義出来ていないままに生活を続ける。
自分で色々な物事を回していく、主体となる。
受動的でいいんだろうか。学生の頃も、今も、それで本当にこの先、生きていけるのか、不安を感じた。
ここまで書いて、見えてくる「やりたいこと」の不在。大人になったのだから、何かを選ばなければいけない。けれども何も選べない。
昔から何かになりたいとか考えるのが苦手だった。小学校の時に将来なりたい職業を書きましょうの時間があって、それが何かわからなくて「料理人」を消して「バスの運転手」と書いた。
特に心から「やりたいこと」が溢れているわけでもない。個人だけが輝くように見えるSNSの中では、それらとの対比で透明だった。漠然とした「何か」を消費して、役割が失われればセルフネグレクトが顔を出す。死ぬ時だけ、その存在が「臭う」処理されたこびり付いたタンパク。厭世観の最期に見えてくるもの。
なにものにもなれない。だから「普通のサラリーマン」だ。
*****
「やりたいことは全部やるんです」
そう言って学生時代に世界を巡っていた。学業も何もかも振り捨てて、そのまま大学を辞めてしまったんだっけ。
「レールはあって無いようなものですから」
僕の知らない東南アジアの屋台の話だとか、ミャンマーの人は優しかっただとか。日雇いをしてみたり、月ぎめで働いたり。
ギターにするための木を探す仕事が大変だったと話す。
「森の中で迷いまして、木は見つけたんですが、一人ぼっちで」
うろ覚えのサバイバル知識で水を見付けた。森なのに、水が無い。どこへいっても砂漠のようなものですから。
そういった彼が飲み干すグラスの水滴が垂れてテーブルで弾ける。カラン、席を立った。
「いりますか?」
いいや、大丈夫。水は特にいらなかった。まだあるから、氷がとけて薄まったコーラを少し飲んで、特に考えない。
「とりあえず、社会に出て、それから。」
それから、それから、それから。胸ポケットから煙草を取り出そうとして、やめた。
まずは、こいつからやめちまわないと。
*****
もう少し、自分をいじめられるところへ。挑戦してみるのもいいかな。景気もそれほど悪くない。どうやら売り手市場らしいぞ。
と思い、4年ほど働いて転職することにした。学生の頃の就職活動と違ってあっけなく次も決まり、それほど引き留められることもなくすんなりと移ったのだった。(まだ20代だったから、根拠のない自信でパっと行動していた。30代に入った今、そうした自信は薄れていった。)
多くの人にとって仕事して生きるのは変わらない。ただ、働かなければならない。
生き抜くには、停滞は挟めない。この2000年ぽっちを区切っても、様々な出来事に晒されて吹けば飛ぶような命。
何かが必要だったが、何かを以てしても大きな流れに呑まれて消える。
環境が変わればまた軋む
おはようございます。挨拶から始めましょう。
認知行動療法で少しずつ、適応しましょう。
あなたの表現は、大切なので、続けましょう。
転職してからは、求められるものが違っていて苦労した。
言われたことだけでなく、自発的な計画、目的を理解したうえで、成果を出してください。困りごとは共有しましょう。
そこで気付いた。想定外に対してパニックを起こしやすい。これまではそれが狭い領域だったから、まだ何とかなっていた。ただし求められるものはそれ以上。何か、仕事を勘違いしていたような気もする。
その結果得られた「あのオッサン使えねぇ!」
1度言われたことがあります。もう結構前になるんですが、合わないときは本当に合わない。上手くいかないときは本当に上手くいかない。周囲に役に立てるように頑張りたいですが、難しいです。
仕事で上手くいかないってのはいる場所に因るものが大きい。僕は馴染むまでに結構な時間を要する。
持ち前の「我慢強さ」だけで悪い点を少しずつ直していく。
そのつもりだけど、常人以下である意識は中々変わらない。
仕事で求められているのは、計画を立てて必要な行動を全てやること。
だから、日々細かくやることを決めて、それだけをやる。途中で割り込み処理が生じる。その理解にまた時間を使う。そして人より遅くなる。
ああこの人なんにも分かっちゃいないや。と確信した人の態度は柔和なんだなあと、そこに敷かれた壁を眺めて思う。
会話をしてみて、声を発しながら「間違ってるよなあ、この反応ってことは」なんて思いながら、軌道修正。
あ、やっぱり修正できない。宿題ですね。なんつって強張る周囲の表情。
背景、目的、結論。そして計画。取っ散らかる頭で何とかやれば、同じような失敗が積み重なる。
ただ、我慢だけは得意なので、日本的雇用に胡坐を掻き泥臭くやってる内に何も言われなくなった。(呆れられているのかもしれないけど、何とか仕事は先へ進む。ささやかな成果は出て来る。髪と心は擦り減る。)
忖度が生じて、ようやく人と仕事が出来る程度の能力しかないんですが、ある程度文化や仕組みが分かってくると、何とか出来るようです。
その結果、昇進の機会にも恵まれた。ただただ、愚直に死んで覚える。そうした積み重ねが上手くいったのだろう。
環境が変われば、堂々巡り。
ただし、もっと使いつぶすような職場であったなら、ダメだったと思う。
こんな僕であるので、今の世情を考えると思います。
「使えねえからな、石垣積むのが精いっぱいよ」
この先の身の振り先が本当に厳しくて、他に出来ることがないか価値はないか、と思いながらも具体的な方針は決まらずにいる。
30代、40代、50代、そうやって先を考えて、具体的な計画はまだない。
絶滅危惧種は行く先を思う
間もなくですよー! お急ぎくださーい!
そう言われて踵を返す。
外から出なくなった折にこの記事を読んだ。
組織での昇進というものを考え、この先の労働者としての生き方を考え、やっぱり先が全く楽観視できなかった僕は、似たような不安をあおる記事を探していたのだ。出来ることもそれほどなく、輝かしい成果もないと来れば、僕を雇う場など有るんだろうか。どうやら他の人と少し違っているようだし。
気付いていても、変わらない僕の能力。世間は常に流れ、平和というものはこの人類史上あまりない。常に何か世間は不安定になり、その中で戸惑いながらなんとかやる労働者の一群に僕はいる。
ある時は荷物を運んでいただろうし、またある時は工場でクレーンを操作する。鳥に串を指す。土を掘る。木を伐り出す。PCでメールを送る。
大きな流れに蹂躙されながらも、沢山の死者を出しながらも、僕は生きていた。さながら亡霊のように、見かけ上の自我しか持たないで労働をしているんだ。
だから飲めない酒の代わりに、不安に酔う。ああ怖い、と思うだけの満足感。酩酊はこの人生にほとんどなく、常に素面でいた。
記事に戻ろう。
どうやら、僕は「絶滅危惧種」らしい。
「一体何を言ってるのか」
ビジネスに浅薄な僕は何を訴えたいのか理解できなかった。
具体的でないのは無料だからだろうけど、ある本の切り抜き記事のようだ。不安をあおるだけあおって漠然と「投資家になれ」みたいな物言いにイライラするね。
感情をあおられた時は、ゴリラ人間に電話してやろう。
いつも気になるのは、こぼれていく人の受け皿はないのか。ということ。
この記事を書いた人が見ているのは、切り捨てなければ戦えない、生きられない。そんな社会。現在、合理的であったからそれなりに弱い人も生きられる社会であるのは間違いないけども、ここから先を同じやり方で進めば、また暴力の機運が高まる。
必要だけど、どこかズレている。
競争厳しいです、体力無いです。で、投げ捨てられた人々の行き場。とても気になる。僕もいずれそこに行くだろうから。
穿って、月給労働が間もなく絶滅するのであれば、労働者がまた日雇いの、週払いの、生活が安定しない所に追いやられる。そうして「人間の条件」の一つが阻害される。一見それは気楽に見えるが、苛烈な競争に落ち込んでいく。
本来「活動」が余暇の中で、この社会を変えていくものなのだから、そこから遠ざかれば誰のものになるのだろう。辛い所に追いやられた人たちは「扇動」されることはあっても「活動」することはすくない。
けれども「活動」にこそ、人間がしなければならないことがある。僕はアーレントの「人間の条件」を読んで、そんなことを思った。資本に基づき、営利的な権利の主張では決してない。あまりにも、一辺倒過ぎる社会システムの迎合じゃないか。
合理的に、利益を、資本を、こうした循環の中で摩耗している。弱者切り捨ての絶滅論。
ただこれも、人間らしさの一つ。
労働力を上手く使うのであれば、ぶら下がっているだけの人間は要らない。優秀な人間だけで世の中を回せばいい。ネットフリックスがそのようにして成功したんだったっけ。
果たして、果たして、こぼれ落ちていく者たちをどう考えているのか。40歳を超えた人間がスッと消えていくはずもない。(優秀な人間だけにした方がよく回る会社もあるから、合理性の角度で考えれば正しい。)
危機感をあおっているのは分かる。競争の激化によって、卓越を示せなければ、利益を出さなければいけないというのも分かる。
だから「資本家」になろう。けれど正社員の平均年収は400万円程度だ。それで投資する余裕があるのだろうか? 日々のストレスで擦り減りながら、そうしないと生きられないのか。
生きるためにどちらかをやるしかないけれど、そもそもそうした社会は良いのだろうか。この世界はずっとそうなのだろうか。
恐怖を与えた方が必死になり、生産性が上がる。常に圧力の中で、最大のパフォーマンスを。1つの側面だけがある。
選択の余地はなく、人生は全て自身が選び取った総体だ。
そうであれば「普通のサラリーマン」である僕はレッドリストに載らずにどこかで絶滅を迎えた生き物たちの1つになる。
そこで、笑顔で迎え入れられる言葉はこの1つ。
「人生逆転の大チャンス」
ひねくれもののの僕には、人生に逆転があるとは思えない。積み重ねたものとちょっとした運。そうしたもので端からは逆転に見えるだけのことだ。逆転するのは「ただコレしかない」という妄信。
この世は無常で、この社会は無明なんだ。
かつてフィジカルな群れから突出するために投擲でボスを追いやった。最初にして最後の武器はそこらに落ちている「石」だ。
かつて国にすり寄る者だけが、貴族だけが莫大な富を得た。
そしてそれを、破壊だけが均してきた。戦争、革命、疫病。その輪の中で繰り返されていく。
今も似たように、多くの資本が小学校2クラス分に収まる。
取り残された人たちがどうなるか。そこに満ちる怒りと不満はどこへ行くか。後は道を整えてやるだけでいい。人間は叩けば死ぬ。
最終的に、原始的な方法を以てまた、繰り返すのだろうか。
だからやっぱり。10年も社会人として働いた結果、
資本家とは何か。労働者とは何か。僕にはわからん。
残念なことに、この社会の中で僕は労働力を提供する他に何も持たない。つまり、この記事の中で言えば「妖精(小鬼)」である。
僕はこの小さなスキルだけで生きられない日が来る。というのを常に恐れていた。そしてそれは10年経っても変わらない。
ただ、こうした記事を読んでも、結局1つ1つ積み上げるしかない。何をやりたくて、どうすればよくて、どこに問題があるかを明示して手を動かす。
やれることは限られていて「楽」しようとしても、変わらないから。
停滞しないために
ここまで来て、客観的な評価を与えるとすれば、運が大いに関係していたが、自己評価に対して周囲から見られている能力はそれほど低くはない。しかし、それは1つの組織の中だけの話である可能性は高い。
インポスター症候群ではないけれど、注意したいのは「自分を褒めない」というところ。
しかしながら、仕事やそれ以外の表現行為も実のところ全て、同じような思考、行動様式でデザインすることが出来るように感じている。
最終的な到達点と、それに至る為の目標設定・手段を明確にすること。人は、物は、金は、納期は。そういったこと。
感性による差が生じる部分は難しいのかもしれない。けれども、上記のフレームワークに基づいて分かる部分を明らかにすれば、後は積み上げて来たものと感性の勝負になる。(そこまで行けないことがほとんどですけどね、人間はそれほど合理的に動けないから。何か1つスキルがあれば、何か1つ、何か1つ。縋るのは簡単だし、安心する。けれども、世界はままならない)
少ししか出来なくとも地道に、こうした行動を続けるしかない。
この世界に「一発逆転」なんてないし、喚いたって誰かが救ってくれるわけでもない。死ぬまでそうやって積み上げて、本当にダメならそれはその時。辛いですから、無常ですから、人生は苦しいのですから、やれることをやるしかないと僕は思い10年が過ぎた。
齢40を過ぎて「何も成せなかった」「何もなかった」「この無常、この苦しみ」足掻いても、そうなってしまうとしても。
それに我慢ならないのが人間だろうから、今の社会の閉塞感と暴力、何か1つ、これさえあれば。これも合理性の一種。感情バイアスが強いけど、人間は変な合理性を持つんだ。
どうせこの先はキツイから、助け合おう。我利我利で喚けば済むって話じゃないし。という所から離れていく中で、功利主義は社会の軌道修正を成し得るだろうか。
僕は小さくやるしかない大衆の一人だ。個の時代などまやかしに過ぎないから、清濁併せ吞んで人間をやるしかない。(そこにあまり良い感情を抱けなかったとしても、まだ人間の枠から出ることは叶わないだろうし。)
やがて訪れる孤独死
最後に、今後更に大きな問題となる孤独死についても書いておこう。ここで考えたいのは「社会的孤立」について。
生きる先は必ず死がある。50か60でサッと死ねればいいんだ、なんて考えるのは非常に甘い。
ここに書かれている事例の直接的な死因はヒートショック。風呂場と外で温度差が大きいと心筋梗塞などのリスクがある。
根本の要因は「社会的孤立」から来るセルフネグレクトだ。
自分の世話をやめてしまう。ゴミを放置し、水場は掃除されず、現実逃避のように買い物や何かに依存してしまう。
その気配は時折感じる。もう何もしなくてもいいや、どうせ死んじまう。
そんな気分を払拭するのは誰かとの対話が大きな意味を占める。
特に今は孤独が深まる状況にある。仕事以外の社会的な繋がりが無くなれば、いるようでいない。そんな人になってしまう。
独身者の死のリスクは高い。脳梗塞、心筋梗塞といった病は発見が遅れれば死ぬ。1人でいる時間が多い人間ほど、死ぬ。最初の数分で生死が決まる。長生きしたいかと言われればそうではないが、死は堪らない。
社会との接続
学生時代までは家族や友人や、色々な関係が濃く繋がっていた様に思う。けれど普通のサラリーマンをやる内に、仕事以外の関係がどんどん希薄になっていくのを感じる。
仕事に忙殺されるから、改めてどのように人と関係を作ればいいか分からなくなるから。半数以上は結婚していくから。
そうやって学生の頃は友人関係を作れたものが、上手く機能しなくなる。
社会的孤立は、どこか目的や意味が無いと動けなくなってしまうからのようにも思う。会社員となり、合理的にお金を稼ぐ。価値を作るといったものに関わるから、ちょっとした無意味な対話が生じ辛くなる。
コミュニケーションが得意で、色々なものに興味があるのなら趣味などの活動の場は無数にある。
なんでもないコミュニケーションがなく、自室で1人。独白が増える。
弱音を吐いたり、自身の感情に寄り添うのは1人では難しい。他人との関係は難しいところもあるけれど無くしちゃいけない。
けれども助けてください。の手を挙げる先が分からないと、社会的孤立は避けられない。精神的な部分に寄り添う、その必要がこの社会にはあるように感じている。
社会的孤立を薄める手段として、カウンセリングがある。しょうもない悩みなんかを吐き出して、明日生きられるようにする。特に大きな変化はないし、ダメだと思う気持ちがすっかりなくなるものでもない。
具体的な効果があまりないように思えるから、がっかりする。繰り返していくことで、ふとした瞬間に少し良くなっている。
肌感覚で思うのは、少しでも「おや?」と思った段階でフォロー出来ないかということ。どうやら人間は決定的なものが無いと正常性バイアスが働いてそうした小さなしこりを無視してしまう。
どこか、何者でもなく、誰かとの無意味な対話が出来るような機会。
そんなしょうもないことで僕らは救われるのかもしれない、なんて思う。
社会人というものに定義されてから10年が経つ。
徐々に求められるものも変わり、役割も変わってしまう。責任や衰える肉体、前頭葉の働きすらも劣っていく。
ここから、社会から、転げ落ちない様にするにはどうしようか。それなりに生きてしまって「この先無明」の看板が突然現れたように見えて驚いている。けれども、それらは常にあって、気付けなかった。
生き抜けるか、生き抜けないか、どちらであっても、僕はこうした文章を、何らかの表現をしながら死んでいく。
次の10年、生きていればまた、こんな記事で振り返るかもしれません。
それでは、またどこかで。
釘を打ち込み打ち込まれる。 そんなところです。