第13話 反転
人間意識、エゴセルフの本能的な怖さの対象に、「変化」というものがある。
例え今より状況がよくなるとぼんやり予想できたとしても、人は変化そのものを嫌うので、なかなか新しい状況に飛び込むことを諾(だく)としない。ましてそれが、どちらに転ぶかすらわかっていない変化ともなれば尚のこと。
まおちゃんのブログを読んでから、既に2週間は経っている。心の深い場所からは、あれ以来ずっとモヤモヤと、得体の知れない怖さが絶えず湧き続けていた。段々と浸食してくる広がりに、見ないふりを続けるのもとうとう難しくなってきて、高次元の自己である「ハイヤーセルフ」にサインをもらうことにした。
「ハイヤーさん、もしもこの旅が私以外の誰かのためのものだとしたら、きっと『締め切りました』ってなるんだよね。だけどもし、私が参加をしないといけないのなら、それとわかる明確なサインをください。おねがい。」
なんとも後ろ向きで歯切れが悪い取り引きだけど、行かなくて済むならそれに越したことはない。ブログで紹介されている魅力的な温泉や食事の写真の数々は、本来ならば願ってもない嬉しいもののはずなのに、それでもこの旅に関しては、なぜだか心の深いところがそわそわして落ち着かないのだ。
それから数日後、ようやく新着記事のお知らせが入る。
どう?締め切ってる?埋まってる?私、参加しなくてもいいのかな。他の人で定員になって、受付終了になってないかな……。
しかしページを開くとツアー情報自体への変更は無く、未だに継続して募集中であることがわかってしまった。更にその日の新着記事は、まおちゃんが地元のとある神社に行ってきたというお出かけの報告でありながら、なんともな符牒(ふちょう)に溢れていた。
まず真っ先に目に入ってきたのは、「雷(イカヅチ)神社」と「ヤマトタケル」の文字と、雷と虹の絵文字。私にとってこれ以上ないわかりやすいサイン、大好きなミカエルと同質の彼らからだった。
そうだよねぇ。行くよね私、わかってたよ。
諦めて観念した途端、ぐぐっ、ぐぐっと体の内側から怖さが噴出する。お腹と胸に圧力が増して、恐怖に支配される。
「怖さの中に飛び込む。」
感情を直視するとは、その感情を“感じ切る”ということ。全身全霊でその感情を味わったとき、ふと、それまで自分を支配していた感覚が「反転」する瞬間が訪れる。高校時代に失恋して、悲しみに“沈みきった時”に偶然「その反転」を体験したのが私の原体験であり、原点でもある。
「ああ、彼に振られて今とても悲しい状況の中で、私はこんな風に呼吸するんだ。抱えた膝に息がかかって、涙を流して泣いてるはずなのに膝の皮膚はあったかい。呼気って熱を帯びているんだ……。」
それに内臓の重さはこんなで、あと喉の嗚咽はこんな感じで……と自己観察は続き、悲しみに呑まれている自分から、いつの間にかとても冷静な観察視点へと、目線が一段上へと変わっていった。
「物質としての涙が涙腺から出てくるそのこと自体」を「観察」しようとした時には、既に「悲しみの涙」は流れるのをやめている。悲しみは「悲しみそのもの」ではなくなり、代わりにそこには「自己への新しい発見」が顕れる。
「怖い!怖い!」
心の底から行きたいと望んだわけではないツアーに参加することも、鹿島に行ったばかりでまたお金を使うことも、旦那にもう一度贅沢を許してもらうことも、あきらを置いて出かけることも、そのすべてが怖かった。
そしてなにより、“わからない何か“が変化してしまうだろうことが、とにかく怖かった。
「怖い!怖い!」
渦巻き轟音鳴り響かせるその怖さに屈しそうになりながらも、それでも必死で観察するのを、ここで絶対やめるもんかと思った。
written by ひみ
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実話を元にした小説になっています。
ツインレイに出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。
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実はね、私この失恋のとき、「もしも小説を書く人なら、肉体と心とに起こったこの観察を描写するとこんなかんじだろうなー…」なんて思ってたの。
今から30年近くも前、本に苦手意識があったころ、すでにそんなことを考えていたなんてね。
あ、物書きや小説家になりたいと思ったことは実は一度もありません(笑)
け: 大丈夫、立派な小説家です⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝⋆*
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