第19話 せせらぎに花の満つる
↓陰陽の女神たちの高次元エネルギーを体の芯に流します↓
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三重県と和歌山県の県境を、熊野灘へと流れ込んでいく熊野川。その源流を辿っていくと、途中で一部、天ノ川と名前を変える地域がある。
奈良県の天川村付近、高天原の名に通じるという天ノ川は、澄んだ水の瀬をさらさらと優しく奏でている。
天河弁財天から徒歩で南へ。空海のお地蔵さんがある橋のたもとから降りられる場所を探して、私たちはその天ノ川の河原へとやってきた。
最初は遠慮がちに指先で流れをなぞる程度だったが、やがてチャプチャプと、一人また一人と靴を脱いで足先を水に浸す。冷たい水と温まった砂を行き来するのが心地よい。
ひと通り水遊びに満足し、砂地の岩に並んで腰を下ろしていると、ふいにチーンと音が響く。
金属と金属を合わせた含みのある高い音の波は、まおちゃんが取り出したチベタンベルから発せられていた。
二つのUFOを紐で繋げたような形の仏具は、お葬式などでお経の時に似たようなものを見たことがある。その音がじんわりと、体を透過してゆく。
「私とこのベルとの出会いは運命なの。」
まおちゃんが嬉しそうに笑う。
クリスタルにしても金属製にしても、楽器などを用いて音を拡張するという手法、自分の男性性に働きかける瞑想は、すでにアトランティスの時代には存在していたと聞いたことがある。そしてその男性性の応答に対して更に、自分の女性性が呼応し目覚めてゆくのだという。まさに、物みな螺旋。
「じゃあ、このベルを鳴らしていくから、それに合わせて好きに声を出してね。」
そう言って、先導するようにまおちゃんが声を出す。「あー」とか、「んー」とか、各々が自分を楽器として好きずきに音を乗せていく。澄んだ川の元、三人分の倍音が高い空へと吸い込まれていく。
ところが、なんだか私一人だけ声が出ない。橋の上を時々車が通るから、人目が気になって自分でも声が出せないのだろうか。
そうも思ってみるが、無理してやるものでもないので開き直ってベルの音に集中すると、私の右手がパッと弧を描いた。
そこからは止まらなかった。
くるくると右手の指先が回転したかと思うと、優しく左の手のひらに添わせてから勢いよく腕が舞う。
花咲か爺さんが灰を撒いて桜を咲かせるように、何度も右手が舞い廻る。
両の足が交互に大地を踏みしめて微細なエネルギーを吸収しては、あたり一面を女性性の花畑にしていく。
心地よかった。顔がひとりでに綻んで、心の中で歌い出す。そのまま砂地に倒れ込んで、うつ伏せになって足をバタバタとばたつかせる。頬杖をついて目を閉じて、風が運ぶチベタンベルの音と女性たちが奏でるまろい歌声と戯れる。
「ひみちゃん、女性性全開だね。」
自分のことを、男性という優しい風に身を任せて歌う鈴のようだわと感じる。そして私のほかにも、コロコロと歌う鈴が三つ、側で笑っている。
ああ、私ってこんなにも女性だったんだ…。
そういえば、あきらを産んでから私はずっと男だった。お腹に十キロ以上の赤ちゃんをぶら下げ、大根やらトイレットペーパーやらを両手に買い物し、靴はいつもぺたんこで、自分のことは後回し。
そしてその最たるものが入院時で、この時期の私は自分自身の感情に寄り添う女性性を排し、建設的能動的な男性性をフル稼働させることで、理性を保ってあきらの命を守りきった。
だけど今、私は私が女性なのだと再認識している。本当に、私はこんなにも女性だったんだ。
ん!病院?
入院という単語から連想してよぎったものがある。今朝のCMのあの人、病院のリハビリルームで時々見かける人。ここ、天ノ川で再び思い出したあの男性。
あの人は、一体私の何なのかしら。
かすめた疑問をかき消すように、まおちゃんの鳴らすベルの音が、風に乗って山の樹々を撫でていった。
written by ひみ
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実話を元にした小説になっています。
ツインレイに出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。
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お葬式の読経と仏具の音って、亡くなられた方の霊魂を極楽にあげるっていうけど、あれ、参列して聞いてるだけで、実はあなたもアセンション笑
まぁ微々たるものですけど。
がっつり自己人体実験したわけじゃないので何とも言えないけど、憑依体質の方とかは、定期的に聞くとかなり違うんじゃないかなぁとは思ってます。
(ただ、私は元々憑依引き寄せ無限ループ体質だったので、同じく境界線引きが出来てない方の場合はただただ自分が憑依体の昇華変換装置に徹することになるかもしれません笑)
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