第50話 あきらの負けられない戦いと思わぬ余波
校長室の大きなテーブルに、3対3で向かい合っている。
こちら側は左から、私、あきら、そしてスサナル先生。その反対側には校長先生、体育科の年配の女性教師ワダと、同じく体育新任の女性教師へと続く。
私たち親子がワダ先生に対して抗議を起こさねばならなかったのは、先週長野で行われた、一学年のスキー教室に由来する。
3年前に入院してから歩行に支障が出るあきらは、今回のスキー合宿に先立って主治医に相談した診察で、「残念だけど見学するように」との指示をあらかじめ受けていた。
当然ながら、そのことは学校にも周知していた。けれどもワダは合宿中にも幾度となく、「私、こうしたらって考えたの。これならあなたでもスキーができるでしょ。」と持論でそれを押し切って、あきらに無理強いさせようとしたのだ。
また彼女は車椅子を介助する際も下り坂でもスピードを緩めずに、当事者の抗議を聞き入れようともしなかった。
その時のあきらは両手で荷物を抱えていたためブレーキに手がかけられず、体がずり落ちそうな恐怖で何度も「危ない」と訴えた。けれどもワダは、それらの言葉をあしらった。
「危ない危ないってこの子さっきから大袈裟ね。まるで私が悪いみたいじゃないのねぇ。」と、隣を歩く後輩教師に笑いながら話したというのだ。
車椅子生活と引き換えに病院から帰宅できたことは事実だし、実際ありがたいことだった。だが一方であきら自身は、常に無理解や好奇の目とも戦ってきた。今までだって、子供が車椅子に乗っているだけでジロジロ見られたり指を差されたりと、嫌な思いもそれなりにしてきた。
それだとしてもこの子自身、今回の合宿での扱い以上に「車椅子となった自分の運命」を呪ったことは今まで他になく、帰宅するなり悔し涙で顔を真っ赤にさせていた。
これはあきらの聖戦だった。校長先生とスサナル先生宛に、手紙を書いてほしいと頼まれた。
最初、ワダ先生には事の重大さがわかっていないようだった。この人はあきらが何か言うたびに場当たり的に誤魔化して、さっきから“なあなあ”のうちに言いくるめようとしている。
初めは私も二人を見守るつもりだったけど、あまりの彼女の言い訳に次第に苦いものを感じてきた。そしていよいよ雰囲気に気押され、あきらが言葉に詰まるようになると、その援護射撃にと私も介入することを決めた。そこからぽつりぽつりと一言二言発するうちに、うっかり舌鋒がとまらなくなってしまった。
「ワダ先生は、車椅子を経験したことがありますか?その時怖さを感じなかったらというのなら、それは介助してくれた人がちゃんと気を遣ってくれたからであって、『怖くなくて当たり前』ではないんです。怖くないようにしてくれたんです。
無理にスキーをさせようとした件だって、レントゲンで見ただけで、この子の骨はとても細いのがわかります。転倒したら骨折リスクが高いから、だから主治医が止めたんです。
『十何年も引率してるベテランだから私に任せれば大丈夫』って仰っていたと聞きましたが、先生の自己満足のためにあきらを利用しないでください。……」
静かな怒りが立ち込めつつ、冷静にこの場を俯瞰もしていた。体内からピリピリと放電が起こり、自分が発したその圧が、空間を徐々に呑み込んでいく。
ようやく事の重さがわかったらしく、彼女は最終的に、涙を流してあきらに謝罪してくれた。
…………
足が、まだ震えているのがわかった。隣を歩くスサナル先生がいてくれてよかった。糸が切れたら倒れてしまいそうなその私の背中を、見えない大きな手で支えてくれているようだった。
3人並んで、8組の教室に向かった。
少しして落ち着きを取り戻したあきらは、残り時間一時間程度になった部活動へと姿を消していった。このあと校庭に行かなければならないというスサナル先生は、持ち時間ギリギリまで私に付き合ってくれた。
守るべき我が子が抜けたことで安心したのか、さっきまでの自分の勢いが急に怖くなってよろけそうになった。
「途中で黙ってられなくてあんなにたくさん口を挟んでしまって、私、過保護すぎる親バカなのかもしれません。」と、そんな弱音が漏れてしまうと彼に優しく否定された。柔らかい笑顔と共に、「親バカだなんて、僕は絶対そんな風には思いませんよ。」との心強い言葉を寄越して何度も頷いてくれた。本当に今、この人が一緒にいてくれてよかった。
「お母さんどうします?一旦帰ってまた迎えに来るんじゃ大変だから、よかったら隣の教室の鍵開けるからそこで待っててください。」
「ありがとうございます。……あ、でも私、今日何も読む物持ってきてない!」
「ああ!それなら。
どれがいいですか?僕がお勧めしてもいいですか?」
学級文庫のほとんどは、スサナル先生の私物だという。その中から3冊の小説を選んでもらった。
この時をきっかけに、度々本を借りては付箋に簡単な感想を書いて返却するという、ささやかなやり取りが始まった。
彼に選んでもらった本と、そこへの数行の感想文。それだけで、なんだか秘密の交換日記のようだった。喜びを感じないようにするのが辛く、必死に心を隠すことにした。
written by ひみ
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実話を元にした小説になっています。
ツインレイに出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。
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2年に進級したあきら、教室で「うちの母親ワダのこと泣かせたことがある」ってポロッと口を滑らせてしまい、「あのお母さんがマジか」っていう空気が広がり……。
私の預かり知らぬところまで、「あきらのかーちゃんワダのババア泣かせた猛者」って広まってしまったよ。とほほ。
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