戦争がない世界
その男性と会うようになったのは、”桜花”の事を知った前後だったかもしれない。
私がバス停でバスを待っていると、
「ああいうお店は良くないんだ。」
「ここのフェンスがぐらぐらしている」
など、どうでも良いことを話しかけてきた。
私は優しくないし、自らコミュニケーションを取りたいとも思わない。
「そうですねー。」と流してイヤホンを装着した。
この男性に話かけられるようになったのは、いつからだろう。他の人には話しかけないのに、何故か私にだけ話しかけてくる。
私が外出する時間はまちまち。
午前中から出掛ける事もあれば、夕方になって出掛ける事もある。
それなのに、その男性に会う確率が高い。
会えば、相変わらずくだらない事を話しかけてくる。
年齢を聞いたことがないが、80歳くらいだろうか。杖をつきながら、街を見下ろしている。
しかし、1週間ほど私は体調不良で検査続きの日々だった。
その間は何故かその男性に会うことはなかった。
正直その男性の事なんて忘れていた。自分の体調が悪すぎて他人に目を向ける余裕すらなかったし、そもそも興味がなかった。
体調も落ち着き始め、やっと景色を見る余裕が少し出てきた時、その男性は現れた。
初めて私から声をかけた。
「今日はバス停じゃないの?」
男性はニコニコ笑いながら、
「今日は2歩も多く歩いたからここなんだ」
聞けば、街を見下ろせるバス停付近が好きで、毎日散歩していたらしい。
その男性が徐に話し始めてくれた。
「こんなに静かな街を見られる日が来るなんて考えもしなかった。
戦争がない時代を生きるのは初めてだからね。
何時に外に出ても空襲警報がなっていない。翌日になっても街が半分なくなっているなんてことはない。
それを実感できるこの場所が大好きなんだ。」
そんな思いを抱いていたなんて知らなかった。
男性は続けて話してくれた。
「着るものも食べるものも昔よりずっとずっと良くなって、俺はまだ小さかったけど今がどれだけ恵まれてるのかっていうのが嫌でもわかる。」
戦時中の男性は5〜10歳くらいだったのであろうか。
今こうして静かな街を見ていられる事を本当に喜んでいるように見えた。
「そっかー。まだまだ元気でいてね!また見付けたら声かけてあげるよ!」
年上の男性にかける言葉ではないであろう言葉を投げかけ、その場を離れる。
親子以上に年が離れている男性に、またねと手を振られて喜んでいる自分がいた。
”昔は良かった”
そんな風に話す人もいる中、その男性は”今”に感謝して生きていた。
着るもの、食べるもの、目に映るもの全てに感謝して生きていた。
何気なく見ていたバス停からの景色は、その男性との出会いで一変した。
今この瞬間も、みな違う思いを懐きながら同じ景色を見ているのかもしれない。
桜が咲くのが待ち遠しくおもう
けーこでした
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