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第74話 それぞれの秒読み


家から歩いていける近所に、真言宗の小さなお寺がある。そこは昔からけーこにとっての“駆け込み寺”で、彼女が心に苦しみを感じる度に手を合わせに通った場所。お寺の意識もけーこのことを可愛がっていて、向こうからも愛情が伝わってくるのだと彼女はよく言っていた。

大晦日を迎えると、夕方頃から冷たい風が吹き出した。荒れ狂ったその音だけで気持ちが竦んで(すくんで)しまいそうなほどで、とにかくこれでもかと服を重ねたにもかかわらず、迂闊に初詣の約束をしてしまったことを後悔するほどの厳しい寒さに襲われた。

早足のけーこに合わせつつ、体を吹き飛ばされないよう必死に歩いてお寺に着くと、そこにはすでに人の流れができていた。菜箸のような長尺のお線香の煙によって、お坊さんが直接清めてくれる流儀のお詣りを済ませると、列はそのまま除夜の鐘撞きへと誘導される。
せっかくなので何かをお祈りしたいと色々迷ったけど、順番が回ってくると、結局スサナル先生のことも旦那のことも考えてなどいられなくなり、ただ無事に鐘を撞くことに集中するだけになってしまった。

そしてけーこが亀のお守りを吟味している時に、離れた場所から他の参拝客が発するカウントダウンが聞こえてきた。慌てて「けーこ、時間!」と呼ぶと、声のカウントを頼りに自分たちもその瞬間を意識する。
遠いどこかで花火のような音が聞こえ、新しい年が明けた。

…………


コンビニを過ぎてしまうと、あとはまばらな街灯しかなくなる暗いバス通りを戻り、けーこの家との分かれ道までやってきた。風は少しだけ弱まって、澄んだ空にはたくさんの星が見える。

「……ひみのこれからが、一人じゃ難しいって思っても、私にできることがあれば調べるし力になるし、そこはいくらでもやっていくよ。……まぁ、私自身もこれから何かしら動くことにはなりそうだけどね。
でも調停起こす時にいて欲しいって言うんなら一緒にもついてもいくし、それこそあきらのことが心配ならうちで預かってたって、そこは全然構わないし。
それまでしばらく苦しいかもしれないけど、ひみが旦那さんと別れることで見えてくることって、絶対あるはずだしね。」

午前1時を回った住宅街の、ひっそりとした暗がりの中。いつもより小さく喋るけーこの声に、私は一人驚いていた。付き合いの長いはずのけーこからの、その初めて聞くびっくりするくらい優しい声を、私は受け入れたくもあり、だけど受け入れ難くもあった。この人の持つ本当の大きな優しさに、ちょっとだけ素直になれない自分がいた。

…………


普段であれば歩くことなどない時間に出かけ、あんなに遅く寝たのにもかかわらず、まだ6時だというのに目が覚めてしまった。粘ってもこれ以上は眠れそうもなかったので、布団の中に潜ったまま、通販サイトの商品レビューを読み漁る。
『今カートに入れれば本日中にお届け』だというそれは、いくつか比較した中で一番わかりやすそうだなと思い、少しだけドキドキしながら購入ボタンを押した。

元旦早々巨大倉庫から引っ張り出されるものの中で、これはきっと、一番相応しくないものだろうな……。

旦那は部屋に籠っていて、時々物音はするけど何をやっているのかはわからない。朝ごはんとも昼ごはんともつかない時間になると、あきらと一緒にお雑煮を作って二人で食べた。食後のコーヒーを飲んだいる時にカタンという音が聞こえて郵便受けを覗きに行くと、今年も何通か年賀状が届いていた。

本来ならば喪中だけれど父本人ならとっくに天国に行っていることだし、あきらの年賀状に関しては、出したければ好きにしていいよと前もって伝えておいた。そのため葬儀で忌引きしたことを知っているクラスや部活の友人たちからも投函されていて、子供たち同士、高校受験を励まし合う様子などが伝わってきた。

そのまま玄関前でパラパラと送り主を確認していると、中に一枚あきら宛にもかかわらず、私の心臓が跳ねたものがあった。恐る恐るめくってみると、やはりスサナル先生からだった。

『あと三か月も経たずに卒業だということを、僕はなるべく考えないようにしています。』

干支のイラストがデザインされ、彼の住所と名前が印刷してあるその横に、手書きでそう添えられていた。この言葉の含みが「誰宛てのものか」を感じ取ってしまうと胸が張り裂けそうになり、その場でしばらく動けなくなってしまった。

その夕方、また、カタンと音が響いた。
郵便受けまで取りに行くと、注文していた茶色い紙包みを開封する。届いたばかりの離婚の手引き書をそっと抱えて階段を上がると、寝室のナイトテーブルの引き出しにこっそりと隠した。



written by ひみ

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実話を元にした小説になっています。
ツインレイに出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。


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