ツインレイのがっこう 六道輪廻とエヴァンゲリオン 1/2
こんにちは、ひみです。
今日は作品シリーズのネタバレを含みますけど、気にせずいきたいと思います。
ネタバレよりも本質理解が大事なので。
前回、お知らせ記事でめっちゃ厳しい記事を書きました。けーこにも「ひみちゃんがすごく怒ってる笑」って言われたけど、なんでそこまで書くかというと、
エゴって、本気でマズいと思わないうちはなんだかんだ誤魔化して絶対動かないのをわかっているからです。
病気になってからじゃないと健康のことを考えないし、離婚を突きつけられてからじゃないと自分の態度を振り返らないし、死んでからじゃないと輪廻コースに行くことが理解できない。
実際去年の11月に遠隔をやった時、申し込まなかった方々の“締め切り後”の集合意識の届き方がものすごくエグかったんです。
「ひみさんどうしよう。私、置いていかれるの?闇を直視はしたくないから、次元が閉じるなんて言われても気づきたくない。聞かなかったことにしたいし、闇に向き合いたくないから申し込みシカトしちゃったけどなんかヤバいかも。助からないの?どうしたらいいの?」っていうmeetoo読者さんたちの集合意識が届きました。
(もっと具体的に書くと生々しすぎるので書きませんが、かなりドロドロのエグいものでした。)
そしてその晩はさらに、我が家の網戸にものすごく大きな蛾(イコール我、イコール集合意識体エゴ)がへばりついていました。その蛾に意識を合わせると、「助けて!」だそうで。(いや、腰が重い人を助けてはいけないのはお分かりでしょう。申し込まなかった方の自由意志ですから。)
天の川に向けた遠隔ヒーリングの“宇宙船”が出発するエネルギーを感知してから「なんとかして!」と言われても手遅れ。そこ(3次元)でお見送りよろしくとしか言えませんよね。
来世はさらに2012〜2021から遠ざかってしまうので、ツインレイに出会える確率はほんの数パーセントしかないかもしれないから、だから私は悪魔みたいなことを書き続けているんです。
締め切りまでに申し込まなかったのに、締め切ってから慌てるのがエゴ。
体が丈夫で生きてるうちは逃げ回り、死ぬ間際に慌てるのがエゴ。
(私の父親も死ぬ間際に慌ててましたよね。死んでから私に縋ってきたけど、私がサイキックじゃなければ本来なら手遅れですからね。)
……という恐ろしい話を一通りしたところで、今回はなんと恐ろしい話を追い討ちでいきます。
仏教の六道(ろくどう、或いはりくどう)という言葉を知らなくても、地獄や修羅、輪廻といった言葉はほとんどの方が聞いたことがあると思います。
天道、人間道、畜生道、餓鬼道、修羅道、地獄道。
はい。六つに分かれてはいますが、知らなくてかまいませんし、個別に解説しても意味ありません。(実際私も順番とか知りません。あと、仏教の教えゆえに「仏教の説く極楽や地獄」というものが、結局後世の人によって滅茶苦茶仏教びいきになっているというゴリゴリ身内エゴが付着しているので、そこはあてになりません。仏陀はそんなこと説いてない。なのでとりあえず教材として大事なところだけ使ってみたいと思います。)
そうしたら、ネットで『六道輪廻』と検索して、出てくる画像をいくつか見比べてみてください。色んな六道輪廻図が出てくると思います。それぞれ似たり寄ったりな中でも必ず六つの世界観を表現していると思います。比べるとどれも個性的で独特ですが、見る場所はその円の中ではありません。
色々と表現趣向を凝らしていても、共通しているものがあります。
それが、『牙を立てた、虎のような尻尾の三つ目の鬼』です。
自分がいるのが天道だろうと地獄道だろうとその鬼にがっつり雁字搦めにされているので、その時点で地獄みたいなもんです。六つを分解していちいち解説することに意味などないと書いたのはそのためです。つまり、あなたが六道のどこにいても、結局そこは『男性原理』の手の中ということ。
(男性原理からの脱出は小説内で順を追って全て説明済みです。)
そこで今度はエヴァンゲリオン。
シンエヴァのみならずこの作品シリーズを観た時の鍵は、いかにあらゆる登場人物がすべて自分だと気づけるか。
シンジやレイだけではなく、ゲンドウや、それからリリスに至るまで。隈なく皆、パラレル軸を含む複次レイヤーの自分の姿です。
その中で、今回のテーマを一番端的に表しているのが渚カヲル。
彼の名前の意味は最後に明かされました。渚とは陸と海との境目の意。
別に陸じゃなくても空と海だろうと何でも構わないのですが、要は二極を名前に持っていて、且つそれが統合しきれていないということ。
彼は天使の翼を持ちながら同時に使徒であり、つまり天道と地獄道を持ち合わせてはいても自己統合までは至れず、結果、死してのち再び棺桶から同じ姿で目を覚まします。
内なる天道と地獄道の他に二極でわかりやすいのは、男性であっても男性性の他に当然女性性もあり、女性にも女性性と男性性があるというもの。けれどもみんな、男性性と女性性という二極を統合できず、二極に振り回されての輪廻です。
また他の二極の例として、自分の中のハイヤーセルフとエゴセルフという対極。その両側から常に“顕在意識の自分”は影響を受けつつ、結局自分軸が定まらずにどちらからも干渉をくらい、ブレて、中途半端に終わってしまう。
荒涼とした薄暗い岩の世界で目を覚ますこの失敗、何度目でしょうか。
カヲルのあの寒々しいシーンを見て人々が根源的に絶望感を感じるのは、すでに自分の魂がその絶望感をよく知っているから。
何度も同じ過ちを繰り返し、今度こそと思っても結局解脱(げだつ)できずに転生してしまう恐怖と悔いを、私たちの魂が記憶として嫌というほど知っているから。
(後半に続きます)
『六道輪廻とエヴァンゲリオン 2/2』
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