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第72話 煙たなびく


父が入院したことで、実家の母と連絡を取る機会が増えていた。私にとっての母親は、ヤマタ先生とはまた別の意味で、世の中で最も煩わしい人のうちの一人だった。けれどもさすがに電話を無視する訳にもいかないので、「出たくない」と思いながらも仕方なく着信を許可にしていた。

そんな母ももちろん煙たかったけど、父親もまた私にとって、とてもつまらない相手だった。父という人間は、まだほんの2〜3歳だったあきらに意地悪をして泣かせることで大喜びするような、自分の利益や都合しか見えていない、何とも身勝手でどうしようもない幼い赤ん坊だった。

思春期前からほとんど会話がなかった父と娘の関係は、こちらが大人になったからといって、簡単に変化するようなものでもなかった。
歳をとったことで父が勝手に丸くなったか寂しくなったかは知らないけれど、時々思い出したように寄越される電話で急に距離が埋まるというものでもなく、何も会話が思い浮かばず話す内容も見当たらず、結局お互いに沈黙して、すぐに通話は終わってしまうのだった。
母と同じく、この父のこともまた大嫌いだった。

鹿島に行ってから一週間後、そんな父が他界した。朝いちでかかってきた母からの電話によると、父が逝ったのは真夜中とのことだった。

精神世界を馬鹿にしていた父の最期は“らしからぬ”幕引きだったとのことで、そのことに関しては何だかんだ“私の”父だったんだと、ほんの少しだけ感心した。
弱く掠れた声ながら、「あと30分で……」と口にして、人差し指で天井を示し、それから両手の指を交差させてバツを作ったというのだ。そして本人の予告通り、それからおよそ30分後の深夜0時を回った頃、父は息を引き取った。

ああよかった、死んだら少しは話の通じる人になる。これでやっとあの父親も、執着だらけの生き方をしていたことに気づくだろうし、私が言いたかった意味も色々とわかってもらえるだろう。

本当は生きているうちに、視野の狭い生き方をしていることに気づいてほしかった。自分の考えだけが世界の全てに見えていたとしても、それによって私や家族が傷ついているかもしれないと、そのことを少しでも想像してほしかった。

だから「死んでよかった」というのも決して冷たいからではなく、「他の人にも心があること」をやっと理解してもらえるといった、私の安堵から来る本心だった。

身内だけの少人数で執り行われたお葬式ではびっくりするぐらい晴れ渡り、冬の綺麗な青空が広がっていた。葬儀に使う表現ではないかもしれないが、麗かな日差しが清々しく、ウキウキするほどのいい天気だった。実父とのお別れの席、ムスッとした旦那の横で、行楽でも楽しむように終始談笑していた私とあきらの姿は、親戚達の目には奇異に映っていたかもしれない。 

それほどに私自身がさっぱりとしていて、別れの悲しみという重たい波動がなかったことは、おそらくよかったのだと思う。おかげでこんなビジョンを視せてもらうことができた。

人は四十九日で極楽に上がっていくとはよく言うが、父はたったの死後3日ほどで上の世界へと還っていった。極彩色の花畑の中の、ひときわ立派な美しい藤棚のトンネルを、生前の父の歩幅でトットットットッ忙しなく通り抜けていくのがはっきりと視えたのだ。

相変わらずどこまでもマイペースな人だなぁと思いながら、この世を終えた労いの言葉を小さく消えゆく背中に手向ける。

「お疲れさま、解放されてよかったね。今度はもうちょっと人に優しく生まれておいで。それまでゆっくりするんだよ。」

…………


数日後、再び母から葬儀後の諸用に関して電話をもらった。ひと通りの事務連絡が済むと、お葬式の時の雰囲気から察してもらえるのではないかと思い、この機会に旦那のことを伝えておこうと話を切り出した。
まだ一方的にではあるけれど、今の環境に耐えられなくなってきたから離婚を考えているという内容を掻い摘んで説明すると、母から意外な話を聞かされた。

「……ああ、そうなの。実はタカくんのお義母さんから時々電話もらっててね。
『なんかあの子達の雲行き怪しくなってるのー?息子達のことひみちゃんから聞いてますー?』って聞かれたから、『いえ、そんな話うちは何も聞いてないんですー』って答えたんだけどね。」

ふーん、旦那は私のことを、自分の実家に相談してたんだ。それなら母の頭にも少なからず私たちの離婚は無くはなかったのか。
そんな風に思いつつ母とさらにやり取りをしていくと、その会話に徐々に、何ともいえない違和感を覚えていった。

母の口から出る言葉は、「タカくんは〜」「向こうのお義母さんは〜」「タカくんが〜」「あきらの学校は〜」「タカくんが〜」「あんたたちが住んでる家は〜」「タカくんは〜」……。
最後にはとうとう、「タカくんとまだ、なんとかなる余地があると思って。」

母の会話のどこを探しても「私」というものがいなかった。「なんとかなる余地」というのは、私が堪える(たえる)ことが前提になってくる話。当事者である私の惨状と苦しみは、母の中で、完全になかったことにされている。

我慢して苦しいのは私なのに。息ができないから空気を求めているだけなのに。そんな当たり前の権利さえ“タカくん”のために我慢しなきゃいけないの?あなたが言うタカくんって結局「世間体」でしかないのに?
段々と湧いてくる悔しさと怒りが、様々な記憶と重なって爆発する。

「そんなに娘よりタカくんのことが大好きなんだったら、私はもういらないからあげるから、あんたがタカくんと再婚すればいいじゃない。」

人が一歩を踏み出そうとする時に邪魔が入るとよく言われるのは、逆から見れば、抜け出そうとする人を引き摺り下ろして抜けがけさせないことによって、「自分は間違っていなかった。私は多数派だった。」という安心感を得たいから。

けれども皮肉にも、母とのやり取りで自分の立ち位置を再確認してしまった私は、母が心配すればするほどより一段と「離婚」を真剣に考えるようになっていった。




written by ひみ

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実話を元にした小説になっています。
ツインレイに出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。

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もうね、父、大変。物欲大放出。
病気で体がしんどいのはわかるけど、欲しいと思うと座り心地の良さそうな椅子を次々買ってしまったり(気に入らないと椅子のせいにしてベランダに放置!)、新しいベッド買いに行って途中でぶっ倒れたり。エゴがぶっ壊れてるから、買っても買っても満たされなかったんだねー。

この人は極端だったけど、みんな似たり寄ったりだからね。エゴのぶっ壊れ方の種類が違うだけで、ぶっ壊れてることには変わらないよ。

これね、確かに死んだら話は通じるんだけど、いわゆるカルマの解消は、肉体持って生きてるうちにしかできないの。
つまり、生きてるあなたが今地上で行動しない限り、永久に抜け出せないってこと。
あなたも前回死んで、「またやっちゃった、今度こそ」って思いながら今回生まれて、それで今生きてるんだよ。
なのにまた今世も、向き合わずに逃げ回って終わるつもりかい?

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