ウツは真面目?(続き)
前回、頑張らなくちゃとか、出来ない私はダメな人間だって、自分を追い立ててしまう事が病的だったからウツになったと書いた
病的な追い立てを、脅迫観念だと私は思っていて、以前も書いたけど手を変え品を変え脅迫観念を繰り返してきた
今の私は、こだわり程度はあるけれど脅迫観念に行く前に思考を止められる
あと、休んだり引く事も出来る様になった
多くのウツは、休んだり引いたりが苦手だと思う、頑張んなくちゃ、やらなくちゃと、どんなに具合悪くても休む事が出来ない
やり遂げる事が「存在理由」や「存在価値」に繋げてしまうから
だから、出来ない=存在価値が無いと思い込み、存在している事が、皆の迷惑だとか自分はいない方がいいなんて思考から離れられなくなる
そして、生きているより死んだ方がましだと、死ぬ事に意味価値を移動させてしまう
でもこれ、全て思い込み
あの時は分からなかったけど、本当に完全なる思い込みだった
令和哲学者のノ・ジェス氏が
生命に、意味価値は無い、生命はより長く生きるために存在している(人間の生命的部分と精神的部分を分けている、又意味価値は人間が感じるもので、生命そのものは意味価値を求めていない)
人間は、生命から精神を立たせる事が大切だと言っていた
確かに、生命である自分は、他の動物や植物同様、成長し花開き実を結び自然に帰ると言うエネルギーの方向性を持っている、生命としては「生きている」それだけで生命を全うしているんだ
じゃあ、精神は
続きの続きで書いてみよう