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tarostagram
国語力と教養とバカの自覚。
自分のバカさ加減を自覚してみた。
なぜこんなにも国語力がないのだろうか、と。
そもそも国語力とはなんだろうか。
文を読む能力だろうか。
では文を読む能力とはどういったものか。
筆者の言いたいことを読み取る能力ではなかろうか。
つまり、理解力。
言いたいこと、本質は1つで、それ以外はおまけに過ぎない。
したがって、本質は何かを突き止める能力が必要である。
国語から逃げ続けてきた末路が、読書嫌い、教養の不足である。
我々は、人の話を聞いたり、動画であったりでは、得られる教養には限界がある。
文字情報は、音声や動画よりも情報量が多いからだ。
しかし高校時代を思い出してみると、現代文というものがまず読めない。
なんでああも言いたいことがわからないんだろうか。
文字情報として伝わってきてはいる。
だが腑に落とせない。
理解ができないのだ。
どうしたものか。
という悩みをずっと持ち続けてきた。
病気なのかも知れない。
英語や音楽に逃げてきたが、そろそろ国語に向かう時期がきたのかも知れない。
英語と同じように、単語と文法を意識してみよう。
国語力を上げれば、今よりも世界が広がるに違いない。