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uminnaka
奴隷根性とクリアな関係性
人から好かれることを求めたら、それは他人の奴隷になるということになる。
なぜなら他人の顔色を見なければならないからである。
そして他人の感情に自分の行動が縛られるようになる。
こんな不自由なことはない。
他人からの愛や尊敬は、得ようと思って得るものでない。
狙ってとりにいくものではない。
気づいたらそこにあるものだ。
つまり自分の思うように生きてついてくる副産物だ。
だから愛や名声や人気などを求めてもそれは副産物を求めてることになり、結局得ることはできないのだ。
代わりに、自分が思うように生きよう。
自由に生きよう。
ただし、周りの迷惑にならない程度に。
なぜなら我々は生かし生かされているのだから。
そもそも考えてみて欲しい。
自分の愛が欲しいという姿勢の人に対して愛を注ぎ込めるだろうか。
どこか不自由さを感じなくはないだろうか。
それよりも自由に生きている人、そんな人の近くにいると自分も自由に生きれるから気持ちよくないだろうか。
お互いに何にも縛られない。
そこにあるのは、前へ進む推進力のみ。
そんな関係性、ステキではなかろうか。
空気や水が澄んでいるところに運はやってくる。なぜなら運は綺麗好きで、神聖なものだからだ。
だから人間関係もクリアにしておこう。