カテゴライズしたがりされたがり
なんだかんだ言って、カテゴライズしたい、されたい願望が拭えない。
人生で結構つい最近まで、理系のカテゴリーに意味があると思っていた。
高校の途中から、好きな分野が自然科学(恐竜とか宇宙とか)であるからという安易な理由で理系の学級を選んだ。
その中で、さらにほろほろと色々諦めて、仕事につきやすそう、というさらに安直な理由で大学は工学部に進んだ。
実は、特に数学が得意でもないし、工学にも結局情熱を持てなかった(言っちゃった)
それでも、理系の女子、特に工学部の女子というのは珍しい存在だったので、そのまま“私”を紹介するときの文句になった。
「工学部出身です」
これがいつしか自分にとっての価値であると、刷り込まれていってしまった。
なんか、痛い。
そんなのただの勉強してきた内容に過ぎない。
何一つとは言わないけど、私を全く表していない。
やっとやっと気付いた。
随分かかった。
(ちなみに私が嫌なのは、その「工学部出身」というのを言う時に、話題とかとっかかりを探そうという目的ではなくて、自分がそれであることに自信というか、過剰に価値を見出してしまっていたというところ、つまりその"自分の自意識"が嫌ということです。特に他の人がそういうのを聞いて嫌、というわけではないです)
それでもなかなか、人はカテゴライズをやめられない。
何かに分類することは、それだけで脳を安心させる。
カテゴライズされることも、そこで思考停止できるから楽だ。
肩書き、なんて偉そうなものならさらにいいんだろう。
あーでも、嫌だなと思う。
分類なんてもの、生物の種の近さ関係を表す時だけでいいんじゃないか。
私は、私。
なんて思春期みたいなこと、思ってみる。
あーそれもそれで痛い。
狭間で動けずにいる。
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似たような話で思い出したことがある。
大学の時、研究室の先生に、言われたこと。今でもわだかまっているから書きたいと思う。
そろそろ就活という時、私は軽い気持ちで履歴書の資格欄に書き込める何かが欲しくなった。
それで、それなりに勉強してカラーコーディネーターとか秘書検定みたいなのをとってみた。
で、履歴書に書こうとしたら、先生に止められた。
「理系としての一貫性がない」
という理由で。私の中で何かがすっと冷めた気がした。
まあ実際古めかしい決め打ちの推薦での就活では、そういうのはいらない、というのが今ならわかる。そして、私がしようとしていたのはそういう就活だった。
でも、私の人生なのに、なんで理系としての一貫性を持たないといけないのだろう、と思ってしまった。
その時一気に実感として、ぐいぐいと型にはめられていくのを感じた。
ついつらつらと書いたけれど、この話はまだ答えも出ないから、引き続き考えることにする。
でもまあ研究室での生活は楽しかったし、今全く役に立っていないわけでもないので、楽しい話もおいおい書いていこうと思います。あと、今でも実験器具は大好き。
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