ジャニーズ問題とエプスタイン事件 vol.4〜性加害の立件、日本とアメリカの結果を分けた捜査機関の構造
前回までのブログで、小児性犯罪者ジェフリー・エプスタインをアメリカの捜査当局がいかにして生きているうちに追い詰めたか、そして日本の検察がジャニー喜多川をいかにして死ぬまで追い詰めなかったか、について書きました。
この違いはどこから生まれたのか、というのが今回のテーマなのですが、その前に前回ミスしていたポイントがあるので、補足します。
エプスタイン事件は、被害届が出たことで警察が動いた点でジャニーズと異なります。ジャニー喜多川に対しては、知られる限りで正式に被害届を出した(出せた)人はいなかったようなので日本の捜査当局が動かなかった(動けなかった)のは、理屈としては成立します。
では仮に日本の捜査機関に被害届さえ出されていたら、ジャニー喜多川がジェフリー・エプスタインのように、“生きているうちに”法の下に晒されていたかというと、ちょっと考えにくいと思います。
日本の捜査組織は「上からダメと言われたので、今度は横に頼ってみる」ということが可能な構成になっていないからです。
そこで、アメリカの捜査組織の構成が、エプスタインを生きているうちに追い詰めることにどう貢献したのか。3つのキーワードに沿って独自分析していきたいと思います。
1、パームビーチ警察
2、ユナイテッド・ステイツ
3、エル・チャポ
1、「パームビーチ警察」〜“横”に望みを託した功労者
エプスタイン事件、2000年代半ばのフロリダの捜査は、当局側の“大失態”と言われています。ですが、その初動捜査を担当したパームビーチ警察の当時の本部長、マイケル・ライター氏については、上部組織に物申して性犯罪を暴こうと尽力した姿勢と、後のニューヨークでの起訴の布石を作った功績が高く評価されています。
ライター氏によると、当時パームビーチ警察の捜査で証人として呼んだ20人以上の被害少女らが語った内容は、被害者同士の面識が一切なく被害時期もバラバラだったにも関わらず、揃いも揃って同じ話だったそう。
性犯罪の実態を確信した警察は、未成年者へのわいせつ行為を含む5つの容疑で送検しましたが、直轄のパームビーチ郡検事局は「未成年者」という一番肝心な部分をスルー。「売春の勧誘」の罪1つだけという、刑務所に入る可能性も限りなくゼロに近く、性犯罪者として登録されることもないレベルに落ち着けてしまいました。
後にメディアの取材でライター氏は、当時の担当検事について「始めは『明らかな小児性犯罪。あっという間に解決する』」と息巻いていたのに、しばらく経つと急に『証人が信用できない』と及び腰になった」と告白。「まるで被告側の弁護士と話しているようだった」と振り返りました。その検事を担当から外すよう嘆願書も送りましたが、事態が変わることはなかったそうです。
ところが州当局の起訴が発表されたまさにその日、ライター氏の元にFBIから連絡が入ります。「連邦で捜査したいので協力してほしい」との申し出でした。地元検事局の判断にはもはや不信感しかなかったライター氏は、連邦当局に事件を委ねることを決め、パームビーチ警察が約1年をかけて集めた捜査資料をFBIに託しました。
上(地元検事局)の動きに失望した矢先、今度は横(FBI)から助け舟が出た形ですが、これは、州と連邦とが独立した捜査機関として機能するアメリカだからこそできた動きです。
2、ユナイテッド・ステイツ〜2層の法律が闇を浮かび上がらせる(こともある)
United States of Americaという名のとおり、アメリカはそれぞれの国家(State)が大きな傘の元に集まってできた連合です。日本の都道府県と国の関係と、アメリカの州と国(連邦)の関係は、似て非なるものです。
日本は「国>都道府県>市区町村」というトップダウンの構造ですが、アメリカは連邦と州は、どちらが上位というものよりも、どちらかと言うと並列に近いイメージ。これは法律でも同じで、連邦法と州法、法律そのものの間には、適用範囲で違いはあるものの、優劣の差は基本的にありません。
連邦法と州法とが矛盾するなんてこともあり、その分かりやすい例がマリファナです。2023年10月時点で娯楽目的のマリファナ使用は24州(ワシントンD.C.含む)で合法または非犯罪化されていますが、実は連邦法では今でもマリファナ使用及び所持は違法です。
こういう場合、例えばニューヨーク州では施設で個別に禁止していない限りマリファナを使っても捕まりません。ですがニューヨーク州にある連邦政府管轄の敷地内ではNG、ということになります。空港は連邦政府の敷地の代表格ですし、意外な落とし穴としては国立公園もあります。『ニューヨークに来た記念に自由の女神を見にリバティ島へ行ってマリファナを一服…』という行為は、リバティ島が実は連邦政府の所有地であるため違法になりますのでご注意を。
少し脱線しましたが、そんなわけでアメリカで起きた犯罪は連邦法と州法、「2層の法律」に取り締まられることになり、その取り締まりを担う警察と検察も、連邦検事局と州検事局、別々の組織に分かれます。(このあたりはvol.2でも一部説明しています)
大まかにはこんなイメージです。
実際には、1つの州で起きた犯罪が連邦法違反でもあるからといって必ずしもFBIが絡んでくるわけではなく、基本は発生した州の当局が捜査を担います。ただ、①州をまたいで行われた犯罪や、②州とは別に連邦で起訴するだけの理由がある凶悪犯罪などでは、FBIも独自捜査を始めるケースがよく見られます。
エプスタインについては、FBIが州検察が触れていない「未成年者への」性加害という点を重く見たことに加え(②に該当)、他州でも同じことが起きているらしいという噂がすでにあったため①も視野に入れての捜査だったようです。
FBIによる捜査開始後もさらに新たな被害者が見つかり、当局はエプスタインを計60の罪に問う53ページの起訴状の下書きを作って準備していましたが、結果はvol.2でも解説したとおり。連邦は連邦で、丸め込まれてしまったわけです。本当の意味でエプスタインを追い詰めるには約10年後、ニューヨークでの起訴を待たなければなりません。
現在は警察官を引退したライター氏ですが、「自分のキャリアの中で、後にも先にもこのような結果は他に見たことがない」と当時の落胆を吐露しています。
ただ、このフロリダの捜査で州と連邦の両方が関与し、事件は両者の間をフラフラ行ったり来たりしながら何年もぐずぐずとまとまらず、最後は“本来なら終身刑間違いなし”と言われた性犯罪者に激甘な措置が取られてしまったとことそのものが、「何やら怪しい感じ」を否応なしに晒すことになりました。これが捜査当局者や被害者など事件当事者を含む人々の強い疑念を掻き立て、民事訴訟の続発にもつながり、最終的に連邦のリベンジ捜査に向かわせたのは確かです。
連邦の横入りがなく地元の州検察だけで完結していたら、後にニューヨーク連邦当局が出てくることはなかったかもしれません。
同じような動きを日本の捜査に期待するのは難しいと思います。国の捜査組織全体が最高検察庁を頂点にした1つのピラミッドで一元管理状態のため、パームビーチ警察と検事局との間で起きたような、事件を埋もれさせる圧が上部組織からあった場合、全く別口で独自に動ける公的組織が日本にはないからです。(裏を返せば、大騒ぎせずに極めて静かに内々に処理するには都合の良いシステムでもありますね)
3、「エル・チャポ」〜四方八方から訴追の嵐に遭った男の例
州と連邦の2層体制のほか、連邦検察間のシステムもまた、エプスタインを最終的に追い詰めた要因でしょう。
2019年7月にエプスタインを起訴したのはフロリダではなくニューヨークの南部連邦検事局でした。(vol.3参照)ただし起訴内容は、「ニューヨークとフロリダで行われた性的人身売買罪」。管轄区のニューヨークだけではなく、フロリダの事件もまとめて罪状にカウントしています。
連邦検事局は全米93カ所に設けられた、言わば米司法省統括下の“所轄”組織で、基本的には管轄地区で連邦法が守られているかを監視する役割を担います。但し、各管轄区の特性や検察官の視点を尊重するため、各検事局にはかなりの独自権限が与えられています。
連邦検事局同士、効率が良ければ一つの事件で捜査協力することもありますし、逆に妨げになると判断されれば同じ犯罪でもあえて“別件”で扱うこともあります。そして、担当地区に多少なりとも絡んだ連邦法違反であれば、捜査次第で別の管轄区で起きた犯罪もまとめて起訴することも可能です。
裏を返せば、活動範囲が広い犯罪者(大抵はミリオネア)はそれだけ捜査権限のある検事局も増え、目をつけられる可能性が上がるということでもあります。
一例として、メキシコの麻薬王で2度も脱獄した末にアメリカで終身刑となった「エル・チャポ」ことホアキン・グズマン受刑者という人がいます。最終的にニューヨークとフロリダの検察当局が合同で裁判を行い有罪となって現在はコロラド州の刑務所で服役中ですが、米国務省によると、彼は麻薬密輸絡みで少なくともアリゾナ州、カリフォルニア州南部、テキサス州西部、イリノイ州北部、ニューヨーク州東部、フロリダ州南部の各連邦検事局から起訴されたそうです。
こういうことですね。
このように(良いか悪いかは別にして)連邦から「よってたかって」起訴されると、宝くじを買えば買うほど当たる確率が上がるのと同じ原理で、連邦で立件したうちいくつかが怪しげな司法取引で丸め込まれたとしても、1つがまともに裁判に進めば連邦法違反で厳しい追求が待っています(注:ここで一事不再理の原則が気になった方は、記事末尾の追記を御覧ください)。
エプスタインの2度目の起訴も、連邦検察の独立性と協力体制をフルに生かし、フロリダでの失敗をニューヨークが拾い上げた形です。もし仮にニューヨークでの立件がまさかの頓挫という事態になったとしても、今度はエプスタインが大農場付きの豪邸を持っていたニューメキシコ州や、島を丸ごと持っていたバージン諸島の各連邦検事局が援護射撃に動いた可能性は多分にあったと思います。
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ジャニーズの問題で告発したカウアン・オカモトさんが「ジャニーさんのマンションから交番が見えて、あそこに駆け込んだらどうなるかと考えた。結局相手にしてもらえないと思った」というようなことを話されていました。
仮にこのとき日本の警察に被害届けを出すに至り、担当した警察署も深刻に受け止めていたら?そして捜査の結果、証拠を見つけて検察に送検していたら?検察にジャニー喜多川を起訴することをためらう人が一人もいなければ、そのまま刑事事件化していたかもしれませんが、その可能性は限りなく低いです。そして、起訴をためらう人が検察にいた場合、この被害届は行き場を失ってしまいます。
アメリカも日本も闇が深いのは確かですが、こういうときアメリカの場合は、捜査機関同士の監視体制が“かろうじて”機能しているため、望みを託せる別ルートが、少しだけ開けているのかなと思いました。
「もし被害者が少年だったら…」
エプスタイン事件のフロリダでの捜査の顛末について前出のマイケル・ライター氏は「近代の司法刑事制度における最悪の失敗」と評しています。
現在は警察官を引退して民間の治安関連コンサル事務所を開いている傍ら、エプスタイン事件での経験を踏まえ「未成年者に売春の罪は成立し得ない」という概念を法制化させようという活動を行っています。「未成年者は判断力も未熟で社会的責任をまだ与えられない立場。どんな場合も責任は周囲の大人にある」というのがライター氏の主張です。
そのライター氏がNBCの取材で、興味深いことを話していました。
「エプスタイン事件が少年に対する性加害事件だったら、結果は違っていたと思う。より重い衝撃を与えていたはずだ」
まさに少年を相手にした性加害問題が、日本で50年もの間法的にも世間的にも放置されたジャニー喜多川の問題について、ライター氏だったらどんな思いを抱くのか、気になるところです。
(追記:アメリカには一事不再理(double jeopardy)の原則があり、一度起訴された人を、同じ事件について同じ罪状で起訴することができない決まりがあります。一方で、「全く同じ時と場所と内容」の事件でなければ「別の事件」とみなすこともあり得ますし、事実上同じ事件のようでも罪状を微妙に変えることで「別の罪」とみなすこともあり得ます。エル・チャポの場合は大まかにはすべて薬物取引でも、各検事局が自分の管轄での罪状にフォーカスして起訴しているので「別物」で理屈が通りますし、エプスタインの場合はまず州と連邦間には一事不再理の原則が適用されないことに加え、フロリダでは「売春の斡旋」、ニューヨークでは「性的人身売買」という罪状になっているので、これまた「別物」と扱うだけの理屈が通ります。
検察もプロとして一事不再理の原則を回避しながら犯罪者を追い詰める攻め方を心得ているのでしょう。)