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協力隊生活1年を振り返って①~コメ普及奮闘記~

ウガンダに来て、早くも(?)1年1か月が過ぎた。
「あっという間~!」では全然なかった。(笑)
しっかり時間が過ぎた感覚。
つまり「楽しい」だけの隊員生活ではなかったけど、私の人生において、とっても濃く、貴重な1年になったのは間違いない。
忘れないうちに、このウガンダでのカオスな1年を振り返ってみたい。
まずはコメの活動から。

コメ知識0、コメ農家0から始めた陸稲普及

ウガンダでは長年JICAでコメ振興プロジェクトが実施されており、私の要請の主軸も「コメの普及」。コメは換金作物として高値で取引されるため、普及を行うことで農家の収入向上に繋がるからだ。
だが、私は大学では社会学を専攻、社会人では営業職と教材開発職と、農業のバックグラウンドは0。強いて言えば、小学校のときにお遊び程度の「農園クラブ」に所属していたくらい。(当時は陶芸クラブにも入っていて、外部で乗馬も習うなど、とても小学生と思えない渋い趣味をしていた(笑))

ましてや、任地にコメが育つような湿地帯もほとんどない。つまり、コメを育てる農家もいない。コメの知識、経験が0のムズング(外国人)が、誰もコメを育てていない場所でコメを普及するという、早速無理難題にぶち当たった。
そしてトドメを刺されるかのように、私がアサインされた配属先NGOは全く機能していなかった(笑)オフィスにいっても誰もいない。たまに会う配属先長には、金品の要求ばかりで活動に興味なし。つまり、私の活動をサポートしてくれる味方さえいない状態だった。
知識なし、対象農家なし、協力者なし、予算なし。
「この無い無い状況で一体何が出来るんだよ!」と、このときばかりは、自分の要請を出した担当者を恨んだりした(笑)

ただ幸い、自分の知識、経験不足に関しては、有難いことにウガンダの農業研究所(NARO)で日本人専門家からみっちり研修を受けることが出来たので、何とかなった。配属されてからも、時折電話やメールで専門家や稲作隊員に相談出来たのは、本当に有難かった。

とはいえ知識をつけたところで、どこの農家にコメを普及しにいけばよいのか?これは幸い、配属先が農家グループの情報を持っていたので、名前だけを頼りにドライバーと一緒に訪問。(もはやドライバーを仲間につける作戦。この車両借上でも配属先と一悶着あったが割愛)最初の半年は、とにかくこの名前だけ知ってる農家グループを定期的に訪問して、情報を得ることと、メンバーとの関係構築に努めた。同時に、近隣に割とアクティブな農業組合を見つけたため、私の練習も兼ねて小さな陸稲デモ圃場を設置させてもらった。(任地には湿地が少ないため、陸でも育つ品種(陸稲品種)を使用することにした)

農家グループ兼貯蓄グループ訪問
任地には多くのVSLA(村内貯蓄貸付組合)がある
各々が貯金額を持ち寄って貯蓄ボックスに貯金。担当者が記帳。
ボックスは3人の役員が持っている鍵3つが揃わないと開けられない仕組み。
農業組合で初めての陸稲デモ圃場設置

初めての農家研修、そしてデモ圃場設置

転機になったのは、恐らくこの農業組合でのデモ圃場の収穫。播種適期から若干遅れたものの、予想以上に収量は良かった。農業組合メンバーからは「前に陸稲栽培したときは全然収穫できなかったんだ。どうやったの?」と関心を得ることが出来、訪問を始めて半年近く経過した農家グループにも意外と稲作に興味のあるメンバーが多いことに気づいた。
陸稲栽培の実経験を積み、農家からの関心を得ることが出来て少しだけ自信のついた私は、ようやく活動らしい、「陸稲栽培研修」とやらをやってみることにした。陸稲栽培に興味のある農家グループに対し、紙芝居形式かつシリーズ形式(第一回目:圃場選定と準備、第二回目:播種の仕方、第三回目:除草の仕方と除草剤・・・)で研修を実施、その後、実際に陸稲栽培をする(デモ圃場を設置する)農家に対し実地研修を実施。(その際、こちらからサポートするのは研修と最初に提供する種子だけであると説明)最終的に、デモ圃場を設置したのは、3つの農家グループと、4人の個人農家、そして先期に設置した農業組合では、種子増産、販売を目的に継続的に栽培することにした。

農家向け陸稲栽培研修の様子
一度に全て話すと忘れられてしまうので、紙芝居でシリーズ形式にした
播種機(プランティングフォーク)を使った播種実地研修の様子

Let us pray for rain

こうして何とか適期に計8つの圃場で播種を終えることが出来、ホッとしたのも束の間。

「あれ、全然雨降らないじゃん・・・」

播種したのは3月中旬。下旬に雨期が来ると言われていたのに、毎日太陽サンサン。「やばい、これでは播種した種子が全部死んでしまう…!」

ウガンダに来て変わったことの一つが、「天候」への意識。
農家のほとんどが小規模農家であるウガンダでは、灌漑設備のある場所はごくわずか。つまり、彼らの農業は全て「雨が降るか」にかかっている。
全員が口を揃えて言う、「Let us pray for rain(雨乞いをしよう)」
頼むから神頼みだけじゃなくて他にも対策考えようよ、と思うが、これもTIU(This Is Uganda)
だが、こうして自然を相手に農業をしていると、気候変動を間近に感じて、私たち先進国が少なからず関わっている気候変動問題を、ますます無視できなくなる。環境問題と農業はまさに密接に関わっている。

そして2週間待って、ようやくの雨。完全に「終わった」と思ったコメたち、なんとしぶとく生きて発芽していた!このときばかりは、生命の強さを感じざるをえなかった。

無事に発芽して一安心

最大の難所「鳥対策」

無事に発芽を確認したあとも、定期的に各圃場を訪問してモニタリング。少なくとも3週間に1度は除草をしなければいけないけど、もちろんスケジュール通りきっかりやってくれる農家はほとんどいない(笑)ので、毎度行くたびにお尻たたき。どうにもやらなそうなところでは、日程を合わせて一緒に作業したりもした。ある圃場では、手作業での除草が面倒で除草剤を適用するも、適用時期を誤り圃場が壊滅するなどあり、農家も私も悲しんだが、その失敗も成功のもと、次回はやらないように気を付けよう、とお互いに学んだ。
しばらく順調に成育が進むも、播種後70日を過ぎたころ。
「あ、出穂してる…!」
穂が出始めると、それはそれで嬉しいけれど、稲作では一番厄介な「鳥」がやってくることを意味する。コメの中身が固まる前のミルクのような液体が鳥の好物のようで、多くの稲作農家がこの鳥対策に悩まされている。。
狭い圃場では、首都で入手できるフィッシュネットを使って防鳥網を作ったり、広い圃場では鳥追いを雇ったり、中には「アフリカンメディスン」と言って謎の力を発揮して鳥を寄せ付けない農家もいた(笑)(何だかんだ、そのメディスンが本当に一番強力だった)

皆んなで日付を合わせて一緒に除草作業
No Weeding, No Rice!

鳥よりも手強かった相手

それぞれの農家がそれぞれの対策を講じながら鳥と戦う一方、もっと厄介な相手が現る。

Too much sunshine!!!

まだしばらく続く予定だった雨期がどうやら明けたようで、収穫目前にしてほぼすべての圃場が乾燥被害に見舞われた。収穫期は一番水が必要な時期なのに…。
圃場選定の際に、降雨が無かった場合を想定して、雨水タンクや井戸など水源に近い圃場を選んだが、現地の人が生活に使う生活用水ですらギリギリの状態で、コメに与えてなんていられない。ましては少量では意味がない。
「せっかく頑張って育ててきたのに、これじゃどうしようもない・・・」と悲しむ私を横目に、お決まりの「Let us pray for rain」とマイペースな農家。

既に2つの圃場で丸1か月降雨がなく、完全にコメが枯死した悲惨な状況を目にしている私は、まだマシな状態の圃場を同じ状態にさせるわけにはいかない、と力づくな手段に出る。

任地にある井戸。水汲みは子どもたちの仕事。
農業組合で設置した貯水タンク
陸稲の種子生産と販売で得た利益に、JICAからのサポートを合わせて、念願の貯水タンク!

1,000Lの手動灌漑

家庭菜園ではないので、ジョウロ1~2回分の水量でいいわけではもちろんんない。1/2エーカー近くある圃場、少なくとも1,000Lは必要である。(それでも足りないくらい)圃場近くの雨水タンクは枯渇したため、より遠い井戸から圃場まで水を運んで、更にそこからジョウロに移して水やりをする作業、考えただけでも計り知れない。(笑)

ただ、そう思っていたのは案外私だけだったかもしれない。
あれだけ「え~私たち高齢だから、そんな大変な作業、できないわ」と弱音を吐いていた女性たち、びっくりするほどパワフル!何なら私が一番か弱かった。さすがに井戸から圃場までの水の運搬はお金を払って男性に頼んだが、「それだけじゃ足りない」と自ら自転車を持ち出して水の運搬を手伝う女性もいた。そんなこんなで、何とか1,000L以上の手動灌漑をするなどして、乾燥被害から逃れた。

手動灌漑を終えた直後。彼女たちのパワフルさは感無量。

収穫、踊る農家たち

除草剤や乾燥被害で枯死した圃場を除き、他の圃場では鳥、乾燥、様々な障壁を乗り越えてようやく収穫まで持ってくることが出来、ある圃場では1/2エーカー弱で100kgほど収穫できた。
収穫して脱穀したコメを見た農家たちが、幸せそうに踊って喜ぶ姿を見ただけでも「やってよかった」と思えた。
あの時の幸せはきっと忘れない。

生み出したインパクトは少ないかもしれないけれど、コメ知識0の自分が、コメ農家0の状態から、少なくとも3つの農家グループと4人の個人農家、1軒の農業組合にコメを普及出来たのは事実で、それは私にとっても少しは自信になった。また、コメの活動を通じて、農家と一緒に作業をすることで、より1人1人のことを知れたのも、私にとっては大きかった。

収穫の様子
喜ぶニャボ(お母さん)
この日のために頑張ってきたんだもんね!!

「収入向上」が難しい理由

一方で、もともと「収入向上のためのコメ普及」のはずであったが、実際に精米所で精米して販売に至った農家は1人だけ。近所の精米所では40kg以上の収量のあるコメしか精米してくれないという制約があるのもそうだが、そもそもビジネスマインドを持った農家がいない、というのも大きな理由の一つ。ゴリゴリ資本主義社会で生きてきた私からしてみたら、収穫したコメが40kg以上なら、迷いなく「売って収入を得たい」と思うが、多くの農家は「精米してみんなで食べたい」と言うのだ。
「だから貧困のままなんだよ・・・」と思ってしまうが、もしかすると、彼ら自身はその貧困状態をあまり深刻なものに捉えてないのかもしれない、とも思う。彼らも「貧困」であることは自覚しているようだけど、少なくとも私が住む地域の農家は食べるものにはあまり困っていない。お腹が空けば、畑でキャッサバやらとうもろこしを取ってきて食べている。家には寝床もある。
それ以上に、彼らは「コミュニティの中でうまく生きる」ことを強く意識しているように感じる。
前に隣人さんに聞いたこと。「ウガンダでは教育を受けても就職先がないと言われているのに、それでも親が必死で子どもを学校に行かせようとするのはなぜか」と質問したところ、「コミュニティ内で『あの家、子どもが学校に行けてないらしいよ』と思われたくないから」だそうで、物凄くウガンダっぽい理由だなとも思いながら驚いた。(もちろん、全員の親がそう思っているわけではないと思うが)ただ、そのくらいご近所付き合いのプライオリティが高いのだろうと思う。
つまり、収入を得なくても生活は出来ているわけで、それよりも、普段は中々食べられないコメを、コミュニティの皆んなとシェアして食べると言う方が、彼らとしては重要であり幸せ、という考え方があるようで、そうなってくると、もはや「コメで収入向上をする」のはかなり難しく、コメとかそれ以前に、何十年とやってきている農家の「自給自足マインド」を「ビジネスマインド」に変えていかなければいけない。それは、彼らが農家として生きてきた分と同じくらい、多くの時間を割く必要があり、私のようないちボランティアが出来ることにも限界がある。そして、「収入向上」を押しすぎて、そもそもコメを収入源にするのを強制するのも何かおかしい。

農作業後に農家さんの家で一緒にお昼ご飯。貧しくてもおもてなし精神旺盛なウガンダ。
嬉しそうな子どもたちが可愛い!
一般的な家庭での食事。
ポショ(とうもろこし粉で出来た主食)、卵焼き、野菜炒め、マトケ(バナナ)。
どれもつい先ほど畑で採れたものばかり。

幸せの定義

途上国で生活をする度に、毎回このテーマを考える。
「幸せ」とは何か。
毎回明確な答えは出ないけれど、ぼんやり思うのは、
「その人の『やりたい』が出来ること」が「幸せの1つ」だと私は考える。

今回のケースでは、
私にとってはコメを売って収入を得る方が幸せで、
多くの農家にとってはコメを精米して皆んなで食べる方が幸せ、であった。

私個人としては、私たちの尺度で計った「幸せ基準」によって、彼らの幸せを奪ってはいけないとも思う。
私たちは何でも成果を数字にしたがるから、「○○というプロジェクトで農家の収入が〇%伸びた!」とか、それが当事者が本当に望むことであればもちろんいいことだけれど、それがただの押しつけになった瞬間、国際協力でも支援でもなんでもなく、ただの支援者側の「エゴ」になると思う。

なので、私も今回のコメ普及活動に関しては、「収入向上のためのコメ普及」のはずであったのに、「皆んなでシェアして食べたい」という言葉には最初はやきもきしたが、
そもそも「収入向上のためのコメ普及」という活動自体が、「配属先と私」のニーズであり、多くの現地農家のニーズではなかった、という点は大変反省だけども、良い学びと発見にもなった。

最終的には「現地の人々の幸せは何か」という基準を、今後も何よりも大切に考えていきたい。そのために、これからも途上国の現場で、出来る限り現地の人の傍で寄り添って行きたい。


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