見出し画像

娘のしつけは母親の責任

まえがき

2年越しの初投稿を経て、いきなり間が空いてしまったけれど、2021年8月22日に保存した下書きをそのまま載せてみる。誰かの参考になるかわからないけれど、この時から1年半後に私は離婚をするに至った。

当時は子供と添い寝をしながら、夜な夜なスマホでモヤモヤする気持ちをnoteに書いては、投稿せずに下書き保存していたので、離婚危機を迎えていた頃の記録が残っている。


2021年8月22日

どうやら今日の彼にとって私は「目障りな存在」なんだそう。いや、彼にとって今日の私が目障りなのか。もはやどちらでも良い。

昼間に小学生の娘が父親に生意気な口をきいた。その生意気な態度に腹を立て、娘のしつけがなっていないのは、父親である自分ではなく、母親の私に責任があると言ってきた。この先も彼女(娘)が男を見下し続ける事があれば、お前の責任だと言うのだ。

娘は生意気なことを「父親」に言った。それは「子」が「親」に対して生意気な態度をとったと捉えるのが自然ではないのか。なぜ、女(娘)が男(父親)に反発したと変換されてしまうのか。彼の解釈が私には理解できない。子供の心理に詳しくないけれど、娘から見て、相手が母親であれ父親であれ、それは同じ「親」なわけで、性別を意識したコミュニケーションを取っているとは思えないからだ。

でも夫がそう捉えてしまう根底には何かがあるのだろう。娘に何か言われると、男として見下されている気分になってしまう理由。そうか、彼の怒りは娘ではなく、私に向けられているんだ。

私は常に夫の顔色を伺って生活をしている。できるだけ地雷を踏まないように、機嫌を損ねないように、余計な発言は控えてきた。いきなり乱暴な口調で怒られる事は多々あっても、私から突然怒り出すことは殆どない。では、なぜ彼は私に「見下されている」と感じるのか。

それは、承認されているという感覚が得られないからかもしれない。男としての承認欲求、彼にとってそれは社会的地位、経済力を手に入れること。それが形として見える住宅や守るべき家族・家庭の安定。

私自身は全く気にしないこれらの事が、彼にとっては大事なのだろう。日本の中小企業に勤める自分と外資系大手企業で勤める妻。年収が自分より高い妻。どこに行っても「◯◯にお勤めなんですね!」と注目されるのは妻。いつも「ママ〜」と子供たちに求められるのも妻。私にスポットライトが当たり続けている事に、嫌気がさしているわけだ。

そして厄介なのは、働く妻を支える器量のある男を同時に演じようとするところだ。

以前「仕事も育児も両立して偉いと世間に賞賛されるのは母親、常に自分が主役だって事に気が付けよ」と言われたことがある。私は、夫として、父親として、男として見下した覚えは全くないし、自分のほうが偉いだなんて微塵も思っていないのに。なぜだろうと不思議に思っていたけれど、今ならなんとなくわかる。これは、彼自身が自分を認めていないからだと思う。彼が自分を受け入れないと、解決しない根深い問題なのだ。

そして残念ながら私にはその手助けはできない。手は尽くした。何度も話し合って、色々考えた。日々夫の機嫌を損ねまい、地雷を踏むな私!という気持ちで生活をしてきた。それでも、こうして突然怒らせてしまう。

私にだって心はある。人に「目障り」って言われたのは人生で初めて。相手がそう感じるのだから、それを否定することはできない。だから受け止める(というか、とりあえずフタをして逃げている)。でも何年も繰り返し夫に色々な暴言を浴びせられ、私も精神が擦り減って、自信も気力も底をつきそうだ。

彼の怒りのトリガーを引いているのは私の言動や行動というより、私の存在そのもの。それならば、別の道を歩むのも選択肢にすべきではないかと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?