38歳、離婚
離婚という言葉が夫婦の間で出るようになったのは2020年頃。それを最初に口にしたのは夫のほうだった。記憶はやや曖昧だが、第二子が生まれ、2歳になった頃だったかと思う。
(元)夫は仕事、育児に追われる私を応援したい気持ちと、もっと自分の仕事に集中したい気持ちの狭間で常に葛藤していた。
そんな折、コロナ禍で家で過ごす時間も増えた夫は、食事の用意や簡単な家事は積極的に手伝った(自分のペースでできるやつ)。子供たちの送迎、学校や習い事の対応等、育児は相変わらず私が中心に対応し、実母の協力も、私の在宅勤務が増えたことによって減っていた。
夫は会社に行けば上司や同僚の妻は専業主婦が多く、自宅に帰るとPCを開きながら慌ただしく家事・育児をする妻とは縁遠い。夕食の準備や子供たちのお風呂に貢献しようと早く帰宅をするものの、何かが解せない、そんな日々。どんなに頑張っても、何かと「働く女性、働くママ」にスポットライトが当たる世の中。働く女性を支える夫としての苦悩は誰と共有したらいいのか。きっと、色々なことに悶々としていたのだろう。
でも、その苦悩を夫婦で共有し、理解し合えるまでに至らなかった。何度も逃げずに話し合ったと思う。けれど、いつも話の途中でベクトルが違う方向を向いてしまう。
夫が離婚をしたいと言っては撤回をするということが、約二年間のあいだに二度あった。私は、彼が初めて離婚という言葉を口にした時、気持ちを理解しようと努力した。二回目もとことん話し合いはしたけれど、これはダメかもしれないと離婚を覚悟していた。いや、そうしたかったのかもしれない。私は結局疲れてしまい、色々なものに一旦蓋をして、問題を先送りにしたのだ。
それから8ヶ月後くらいだろうか。日常を取り戻したかのように見えた2月のとある朝、私はついにプッツンした。熱を出した次女の看病をめぐって不穏な空気が立ち込めた午前6:30過ぎ。私は何もかもが嫌になった。
次女の病院予約、長女の保育園の送り、差し迫る会議の資料準備、増えていく会社の未読メール、そして何より不機嫌な夫の視線と言動。我慢と恐怖で硬直する私の身体。
仮に別の女性が、妻として、女として、彼の隣に居ることを想像しても、私は何の嫉妬心も湧いてこない。その彼女に同情すら覚えてしまいそうなほど、この人が好きになれない。
「もう、あなたの妻という役割を降りたい。」というひと言が、ついに口から出たのだった。
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