みえないもの
わたしは目に見えないものが見えたりする。
決して恐ろしいものではなく、
艶やかで煌びやかで華やかな
自分を豊かにしてくれる、
音のコトバ、気持ちのコトバ、空気のコトバ.
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この日は、とっても素敵な古民家へ
不揃いの器やカップの配置が歪に見えたのも束の間、
トントントン、
と音がみえた。
絵本の世界のような、自分にしか見えない世界。
ヒトは、十人十色。
個性は人それぞれで、同じモノコトに対する
意見や感情も違っている。
交わることなどないのかもしれない。
そう思いながら生活すると
すっと楽になる
楽になるということは、
常にヒトへ期待してしまっていたり
違いを受け止められていないのだろうなあ
とも痛感する。
スキや感動がぴたっと重ならなくとも、
何かに共鳴できるコトがあるのなら
それはとっても素敵なことなのだと思う。
💭
..
私は幼い頃から、周囲と接することが難しいと感じることが多くありました。
考えも興味も、
「なんか、なんか、違うんだよなぁ。」
「私は〜だと思うけど、みんなは〜だから
きっと私が変なんだろうなぁ。」
なんて思いながら日々を過ごしていました。
流行っているものにもあまり興味を持てず。
けれど、ブームに乗らなければ仲間はずれにされてしまう。
ひとりでも大丈夫だったけれど、
周りは可哀想だと言うから。
毎日周りに付いていくことに必死。
その葛藤にすごく悩みました。
そして、
わたしにはその葛藤が ''ズレ'' として
うにょうにょとした形でみえていた。
若さ故の人間関係の複雑さ、
みんなが一緒でなければいけない学校。
それら全てに縛られ、私は私で居れなかった
さらに、私が私であることを表現しても
受け入れてもらえない現実がありました。
そんな中にも私が私であることを見抜いて
手厚く相談に乗ってくれた家族と先生方には
本当に感謝をしています。
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大学に入ってある程度
縛られたあらゆることから開放されたため
自由を手にした感じがしました。
それと同時に、過去に感じていた違和感が
確かなものだということにも気が付きました。
自分の感性は変なものではなく、
単なる自分らしさなのだと。
それからは
私が赤であればコーラルやオレンジ色
完全に同じ色ではなくとも、
寒色でも補色でもない
似たような色だけ周りに置いておくことができるようになった。
私はそれだけで、
自分が自分でいられることに感動しました。
たまにコーラルやオレンジが赤になるエッセンスを持って近寄って来てくれたなら
それもまたとっても大きな幸せです。
人と違くとも、
ひとつのアイデンティティとして受け止める。
何か違和感を感じた時は、
不可視化なものをそっと心で感じてみると
日常はもっと豊かになるような
そんな気がしまする。
Sheep.