『カンデル神経科学 第2版』のここがおもしろい──伊佐 正
伊佐 正 監訳者(Part V)に,『カンデル神経科学 第2版』の魅力,そして最近の研究の中から「意思決定」について聞きました。
──『カンデル神経科学 第2版』の魅力は?
まず,読者を引き込む魅力的な導入部ですね。初版でもそうでしたが,それぞれの章の始まりのあたりに,ちょっとしたサプライズの文章が隠れているのです。例えば第30章「感覚運動制御の原理」では,「運動生理は神経系に難題を課す」なんていう文章です。それだけ読んでも何を言っているのかよくわからなかったり,一般に知られていることとちょっと違う視点からの文章だったりする。だから,「あれっ,あれっ,何だろう?」って驚いてしまうのです。でも,さらに読んでいくと,説明が流れるように続き,結局,ああそういうことかと納得する。だから,読んでいて面白いんですね。
普通の教科書のように,いきなり細かい説明に入っていくようなことはせず,物語から始まるのですよ。その章で扱う事柄について,脳全体の中での位置づけや,人間の行動における位置づけなどをまずきちんと説明していくのです。詳細な説明に進んでいくのはそれからです。かなり最新の知見も提示されており,素晴らしい構成です。
それに,日本語がとてもいい。監訳者の自分が言うのもなんですが,各章の訳をそれぞれの分野の本当のエキスパートの方が担当されているので,正確だし,文章がとてもわかりやすい。脳の本質を理解したいという読者には,本当に魅力的な本と言えましょう。
── 伊佐先生のご研究も紹介されていました
私自身は長年,霊長類で特に発達している巧緻な運動を制御する神経回路とその損傷後の機能回復機構を研究してきました。
『カンデル神経科学 第2版』の第32章「脊髄における感覚運動統合」で紹介されているのは,その一部で,今から10〜15年前頃の研究です。手の到達運動のための運動指令は,運動野から運動ニューロンに直接つながる経路で伝えられていることはよく知られていますが,それに加えて,ある種類の脊髄ニューロンが中継する経路もあることを,霊長類で証明した研究です。
その後さらに、脳や脊髄が障害されたときには,このような間接的な経路が機能回復に関わることを証明しました。一方、最近では,意識決定や意識といった高次機能についても研究しています。
── 「意思決定」は,新たに1つの章になりましたね。
意思決定の研究は,今,非常に盛んになっていて,多くの人が行っています。以前は,意思決定というと,なんかあやふやで,サイエンスとして研究しにくいイメージがありましたよね。それが今ようやく,実験科学の土俵に乗り,かつ神経の活動との関係で調べていく研究パラダイムが進んだのです。
意思決定の研究の歴史を振り返ると,今から25年くらい前に登場したドパミン仮説,つまりドパミンが報酬予測誤差を制御するというモデルが,大きな転換点でした。ある刺激に対してどっちを選択するか,といった単純な要素に絞った意思決定の研究からスタートして,現在は,もっと複数の要素の間での価値判断を行わせるような実験が可能になりました。そして,その価値判断のいろいろな段階に関わるようなニューロンが脳のさまざまな部位で見つけられてきているのです。
例えば,報酬(餌など)の量が重要な意思決定もあれば,倫理感といった社会的な関係が重要な意思決定もあります。私の研究グループでは,そうしたいろいろなレベルの意思決定を,実際の神経回路と結びつけて研究を行っています。具体的には,サルがハイリスクハイリターンのものを選択するか,あるいはローリスクローリターンのものを選択するか,などを調べています。
意思決定や意識の障害は,ギャンブル依存症などのいろいろな精神疾患・発達障害にも関係してくるので,今後,非常に重要な社会的課題になってくると思います。
── ありがとうございました。
2022. 12. 14
聞き手:藤川良子