医学教育は創造性を潰すようにできている
筆者の持論である。異論は認める。
縁あって医学教育に携わるようになり、「医学教育は創造性を潰すようにできている」と実感した。その理由をいくつか述べたい。
膨大な情報量をインプットする必要がある
とにかく、覚えることが多い。解剖学、生理学、発生学、組織学、などなど、分厚い(そして高価な)教科書を、浅く広く網羅的に勉強する必要がある。学生は、いかに効率よく膨大な情報を処理し、試験に合格するかに忙殺される。一方で、創造的なアウトプットを促す講義は皆無である。講義への要望では、試験に出るところだけを講義してほしいとの意見も多い。学生に不人気な試験問題は、記述式問題である。
限られた情報から最適解を導き出す必要がある
Dr.HOUSE(ドクターハウス、原題:House M.D.)というテレビドラマがある。いわゆる医療推理もので、ハウス医師とその同僚が、他の医師が解明出来なかった病の原因を解明していくというものだ。典型的なストーリーでは、問診や診断・検査結果から、治療方針を決定し、患者は一時快方に向かうが、患者が重要な情報を隠していたため、別な問題が生じるか、より病状が悪化する。
ハウスの口癖は「人は嘘をつく(Everybody lies)」「その患者は嘘をついている(The patient is lying)」である。医療現場では、与えられた情報から最適な、そして安全な治療方針を決定しなければならない。そして、新しい(隠されていた)情報が明らかになったら、すぐさま最適解をアップデートする必要がある。
医学教育についても同様である。巷に溢れている「治療方針」「診断マニュアル」「治療の手引き」「ハンドブック・ガイドブック」などは、その反映だ。医学教育とは、解があることが前提なのだ。
安全性に大きくマージンを取っている
医学の目的は、病気の治療または人命を救うことにあるので、近代医療の原則は安全性の確立された標準医療を第一選択とする。安全側にマージンを取るということは、前例のない余計なことはやらないということだ。極端な例だが、手術中に「先行文献から推理するに、この神経を切ってみたら不安症状が緩和されるかもしれないので、試してみよう」とはならないだろう。医学教育では、むしろ、「創造性を発揮してはいけない」ことが原理的に内包されている。
それでも潰されない者が医学研究に進む
医学教育は創造性を潰すようにできている。有能な医者を育てるためには、それが必須だからだ。患者の安全のためには、創造性は害悪になりかねない。大部分の医学生は、医学研究への興味が芽生えたとしても創造的な研究を行うことは難しいだろう。創造性を発揮しないよう訓練されるからだ。しかし、それでも、対処療法としての医療に満足せず、既存の医学教育に創造性を潰されなかった者が、これからの医学研究を支えていくのだろう。
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