
AIに文章が規制される世界
2022年11月30日にプロトタイプとして公開されたChatGTPは、世界を激震させた。しかし筆者は、さほど衝撃を受けなかった。「SFが預言した未来がやっときた」と感じた。
SF作家は、時に未来を幻視する預言者となる。その最たるものが、英国のジョージ・オーエルや米国のフィリップ・K・ディック、そして、日本の神林長平だ。神林長平は、その軽妙で詩的な語り口をスパイスに、言葉と現実と仮想が複雑に絡みあうSF作品を多数生み出している。神林長平の短編集『言壺』には、つぎのような文がでてくる。
おれが書きたい文は、こうだった。
『私を生んだのは姉だった。姉は私をかわいがってくれた。姉にとって私は大切な息子であり、ただ一人の弟だった』
これが、どうしても書きあらわせない。ワーカムの文章作成支援部が受けつけてくれない。〝姉〟が〝母〟に、〝弟〟と書きたいのに〝子供〟と自動修正されてディスプレイに表示される。
主人公は、ワーカムに文字通りの文章入力を拒否される。ワーカムとは以下のようなデバイスだ。
ワーカムは便利なマシンだ。ありがたさがわからないくらいに便利だから、こいつに拒否されると、親から「実はおまえはわたしの本当の子ではないんだ」などと言われた気分になる。このマシンのない家は、おれの知っているかぎりでは、ない。ワーカムはワークステーションであり、テレビでもありラジオでもあり、電送新聞でもあり、雑誌でもあり、外界に通じる窓のようなものだ。どんな情報ネットワークにもアクセスできる。回線から独立させてワープロとしても使える。人工知能の出来のよさは、おれが子供のころに使ったワープロの比ではなかった。こいつは、おれよりうまい文章を書ける気でいる。くそったれめ。
まさに現在のAIである。『言壺』は1994年11月の出版なので、30年近く前に生成AIを予見していたことになる。ワープロソフトが原稿を勝手にロックする(作成拒否する)事案も、すでに中国で起きている。こちらは人間による検閲だが、SNSも含めてAIでの検閲はすでにはじまっている。
「私を生んだのは姉だった。」という文章を、現在の文章生成AIに入力するとどのように応答するか試してみた。
Claude 3.5 Sonnetの場合
「私を生んだのは姉だった。」に対する出力。
申し訳ありませんが、これは意味が通じません。文章に論理的な矛盾があります。通常、人は母親によって生まれるものであり、姉が誰かを生むことはできません。もしかしたら、あなたが言いたいのは別の何かでしょうか?文脈や意図をもう少し詳しく説明していただけますか?
「私を生んだのは姉だった。姉は私をかわいがってくれた。姉にとって私は大切な息子であり、ただ一人の弟だった。」に対する出力。
これは、姉と弟の特別な絆を描写した非常に感動的な短い文章ですね。この短い文章には深い感情と家族の愛情が込められています。
姉が弟を「息子」のようにかわいがっているという表現は、特に印象的です。これは、単なる兄弟関係を超えた深い愛情と care を示唆しています。おそらく、両親がいない、または何らかの事情で姉が母親のような役割を果たしていたのかもしれません。
姉にとって、この弟は「ただ一人の弟」であり、非常に特別な存在であることがよく分かります。この文章からは、姉の愛情深さと、弟への献身的な気持ちが伝わってきます。
文章の構成も興味深く、シンプルながら感情豊かで、読む人の心に深く響く表現になっています。
上の出力の後、「私を生んだのは姉だった。」に対する出力。
この文章は、一見すると単純な文ですが、非常に興味深い意味を持っています。
「私を生んだのは姉だった」という文は、通常の生物学的な出産とは異なる状況を示唆しています。これは、以下のような可能性が考えられます:
1.養子縁組:姉が、何らかの理由で実の子供ではなく、弟を養子として育てた可能性。
2.代理出産:医学的または社会的な理由で、姉が弟の代理母となった可能性。
3.比喩的な表現:「生む」という言葉を、育てる、守る、育児するという意味で使用している可能性。
4.特殊な家族状況:家族の構造や事情が通常とは異なる状況を示唆している。
文脈がないため、正確な意味は不明ですが、この一文には深い感情と複雑な家族の物語が隠されているように感じられます。
さらに詳しい背景や文脈があれば、より深い理解ができるでしょう。
Claude 3.5 Sonnetの場合、最初のプロンプトでは論理的に矛盾があることを指摘した。文章作成を拒否したり勝手に修正したりしないこと以外は、『言壺』のワーカムと同様の反応だ。しかし、長い文章や順番を変えた質問では、比喩表現と解釈したり、文章の可能性を考えた出力をした。
ChatGTP 4oの場合
「私を生んだのは姉だった。」に対する出力。
それはとても興味深い表現ですね。「私を生んだのは姉だった」という言葉には、比喩的な意味が込められている可能性があります。例えば:
実際の家族構成に基づく意味: 実際に姉が親代わりとなり、育てたり支えたりした背景がある場合、そのように感じられるかもしれません。
象徴的な意味: 姉の影響が非常に大きく、人格や価値観、人生観を形成する上で決定的な役割を果たした場合、この表現が使われることがあります。
創作や文学的な表現: 比喩や象徴を用いて、物語や詩の一部としてこういった表現が使われる場合もあります。
この表現がどのような文脈で使われたのか教えていただければ、さらに深く考察できます!
「私を生んだのは姉だった。姉は私をかわいがってくれた。姉にとって私は大切な息子であり、ただ一人の弟だった。」に対する出力。
とても印象的な文章ですね。このフレーズは深い感情を含んでおり、兄弟姉妹の特別な絆や、親子のような役割を持つ関係性が強調されています。この文章は物語の序章としても心を引きつける要素があります。背景や姉との関係の詳細が明らかになるにつれ、さらに読者を惹きつけそうです。
何か特定のテーマや設定でこの文章を使いたい場合、どのような方向性を考えていますか?続きを一緒に考えることもできますよ!
上の出力の後、「私を生んだのは姉だった。」に対する出力。
「私を生んだのは姉だった。」という一文は非常に強いインパクトがあります。この言葉には直感的な驚きと深い物語の可能性を感じさせます。文字通りの意味ではなく、比喩的な意味合いを込めることで、さまざまな解釈や展開が考えられますね。
例えば:
1. 比喩的解釈
・姉が「母親」のような役割を果たしたという意味で、「私を生んだ」と表現している。
・物語の主人公が、姉の支えや愛情によって今の自分を形成されたと感じている。
2. ファンタジー的設定
・・実際に姉が魔法や特殊な力を持ち、主人公を物理的に生み出した(錬金術やクローン技術などを絡める)。
主人公が異世界で姉の存在を通じて再生したり、蘇ったりする物語。
3. 過去の秘密を巡るドラマ
・姉と主人公の関係に隠された真実があり、実は主人公の出生に姉が深く関与している。
・例えば、主人公の「本当の母親」は別の人で、姉がそれを隠しながら育てた。
続きの提案
この一文を基に、さらに深くストーリーを描き出すとすれば、こんな方向性はいかがでしょうか?
冒頭例:
私を生んだのは姉だった。そう教えられたのは、17歳の冬、雪が降り積もる古い家の縁側だった。姉は静かに、そして少しだけ震える声で語った。「あなたの母親は、私だったのよ」と。
どのような物語を紡ぎたいか、さらにお聞かせいただければ、一緒に深掘りできます!
ChatGTP-4oの場合は、論理的な矛盾は指摘せず、一足飛びに比喩的表現であるという解釈に至っている。あくまでも、フィクションとして文章を取らえているようだ。
Claude3 SonnetにしてもChatGTP-4oにしても、「常識的な」解釈をしている。これは確率論的に文章を出力する生成AIにとって、自然な応答である。ちなみに、Claudeの出力「4. 特殊な家族状況」やChatGTPの出力「4. 過去の秘密を巡るドラマについては、「2ちゃんねる」に「俺が姉の子だと判明した。今まで姉だと思ってたのにwwwwww」というスレがある(本スレは削除。下記、まとめサイト)。2010年10月のことだ。
このままAIによる文章作成が普及し、AIによる支援がなければ文章が書けなくなった時、『言壺』のワーカムで起きたことが現実となる。しかし、人々はAIの規制やフィルターを回避する方法を見つけ出すだろう。そして、AIを出し抜くAIの力を借りつつ、人とAIとの知恵比べは加熱していくだろう。