お互いさま〜京都・先斗町のバーでの話と関西の言葉
※カバー写真はイメージです。
一昨日、京都・先斗町のとあるバーでの話。
2〜3人で伺おうとして、私が先について店に入った。
そこはYelpにも載っているお店で、外国人も多い。インバウンドがたしかに戻ってきているかのようで、店内の半数以上が外国人だった。
テーブル席はそうした旅行客と思われる人々で埋まっており、カウンター席に少しばかり座席が残っているくらいの状況。
数少ないカウンター席には若いカップルが座っており、席を詰めてもらわないとこちらの人数が座れない。
店のスタッフがそのカップルに席を詰めてもらえるよう伝え、
私 「あけてもろてすんません」
カップルの男女 「いえいえ、すんません」
(私 「あ、これやこれ。この感覚や」)
席をあけてもらってるこちらが、
「すんません」
というのは、まぁ詫びと感謝の入り混じったニュアンスとして普通にとらえられるだろう。
一方でわざわざ席を開けた側が「すんません」と詫びを入れるということに、違和感を感じるか、感じないか。
とある説によれば、関西の言葉にはコミュニケーションを円滑にするための独特の部分があるらしい。
有名(?)なのは、大阪・船場の「船場言葉」という商人の間で使われていた言葉で、“品のいい大阪弁”とも言われる言葉だ。
消えゆく大阪の「船場言葉」。商人の街らしい船場言葉の数々の表現とは (LIFULL HOMES PRESS)
「船場言葉」は従来からあった大阪の街言葉や京言葉が入り混じってできた大阪弁の一つだが、上記2本の記事にも書かれているように、商人がコミュニケーションを円滑にするために使っていた言葉である。
この「船場言葉」に限らず、都のある場所として何百年も続いた関西では、昔から多くの人が集まってくる地域だったから、コンフリクトが起きないようにするような言葉遣いや所作が育ったとも考えられる。
例えば河合隼雄先生は、関西弁が持つそうした部分を「関西弁力」といい、
の5つを主要なものとして挙げている。
先斗町のバーにおける、“席をあけた側が「すんません」と言う”というのは、このうちの 1.と 2.だろう。
※上の1.〜5.から“大阪のおばちゃん”の生態の理由もきっとわかる。
二人で楽しそうに酒と会話を楽しんでいたところに、他の客のために席を詰めるというのは、言ってみればその二人を邪魔する行為ではある。しかしながら、それを嫌なものとしない。「すんません」の一言で、互いに「まぁるく」収まる。席をあけてもらった側の恐縮度合いも和らげられる。
また、この場合の「すんません」には、「繁盛してる人気の店やし、席がないのしゃーないですなー」というのを共有しているニュアンスもある。
つまり「お互い様です」というニュアンス。
この「お互い様」は、相手と自分との境界を無くし、相手と自分が同じ境遇であり、一体であるということでもある。
※このあたり、西田哲学の話を入れてしまいそうだが長くなるのでやめておく。
そう考えると、先斗町のバーにおける、見知らぬカップルの口から出た何気ない「すんません」の一言は、非常に関西っぽい「お互い様」の話であって、「あー、やっぱりこっちは住みやすいん、こういうことなんやなあ」と思った次第である。
非常にハイコンテクスト過ぎて、西で育った人にしかわからん話かもしらんけど。
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