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Mediiが誇るスーパーエンジニアが語る、常に最先端を目指す理由

こんにちは!Medii広報の森です。今回は、Mediiが誇るスーパーエンジニア、佐藤裕介さんを紹介します。圧倒的な技術力と豊富な経験を持った佐藤さん。これまでの経歴やMediiの社員になった理由について聞いてみました。

2023年4月にWantedlyで公開した記事の転載です。

プロダクトチーム テックリード 佐藤 裕介
東京都江戸川区出身。八ヶ岳在住。専門スキル:ハード・ソフト含めエンジニア歴30年以上になるフルスタックエンジニア。都会のワークスタイルに限界を迎えて都会の暮らしから離れることを決断。一部上場企業での24 年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、2015年に独立。八ヶ岳南麓の大自然での生活を中心にしたライフスタイルを実現した。フリーランスエンジニアとして各種プロジェクトに関わっていたが、代表 山田の情熱に心を打たれ正式に参画した。

佐藤さんは大企業で20年以上エンジニアをされてきたんですね。どのような働き方をしてきたのか知りたいです。

新卒で大塚商会へ入社し、当初はコピー機のフィールドエンジニアをしていました。仕事としての面白さを見いだせず日々漫然とこなしていました。一方でプライベートでは音響機器の勉強にはまり、オーディオアンプやスピーカーの設計と実装・製造までを一からやるなど技術への興味はずっと持ち続けていました。仕事でも新しい技術を身に着けたいと思い、自己学習を始めました。その結果、コピー機のエンジニア試験で は950 名中 2 位の成績を納め、国家資格やメーカー(RICOH)の資格を含めて 20 以上を取得し、メーカー検定では最年少で最上位の資格を取得しました。


自己学習の成果がすさまじいですね...!仕事にも変化はあったのでしょうか?

高卒では最速で主任の役職を頂き、コピー機のエンジニアとしては社内でもトップクラスにまで上り詰めました。その頃デジタル化の波がコピー機業界にも訪れ、コピーやFAXなど複合機が登場し、ネットワーク環境の設定の業務が増えてきました。OS へ興味を持ちはじめ、その楽しさに目覚め始めました。この当時はまだ UNIX というキーワードすら知らない状況でしたが、Windows 95 のコマンドプロンプトから ping コマンドを打って複合機からネットワークの疎通を確認できたときに、PC というよりも OS への興味が出始めました。

そのような状況の中で、新チームのエンジニアリーダーに抜擢されたのですが、修理技術者でセットアップ担当という業務に飽きていました。でも自己学習には楽しく励んでいて、その頃はLinuxに魅了され自宅に7台のPCを置き、TCP/IPでの通信ハッキングをプログラムを組んで自ら行いました。その成果もあって、年齢的にもギリギリだと言われていたのですが、インターネットサービスを提供している部署への異動を成し遂げることができました。


当時から、新しい技術に素早く反応し取り組まれていたんですね。

やっとプログラミングやサーバー運用などの仕事ができるようになり、嬉しかったです。しかし、特権アカウント(root)の扱いが非常にシビアであったため、2年間の業務と自己学習を経てようやく特権アカウントを手に入れ、Webホスティングサービスの管理者になりました。その後、Linuxや運用技術を学び、2005年に起こった大規模障害の対策のために監視システムをゼロから作るリーダーになり、異動から3年後に係長に抜擢されました。

この頃から、PHP4、Ruby、Bash、Perlなどを使用して、プロビジョニングを行うプログラムを書き始めました。また、個人的にもOSの学習を続け、ファイルシステム、ブートストラップローダ、カーネルモジュールの実装などを趣味として行い、どんどんOSの真髄に近づいていました。

しかし、プロジェクトリーダーに抜擢されることが増えてきて、30人のプロジェクトマネージャーに抜擢されましたが、当時のスキルでは対処できないプロジェクトだったため、過労で緊急入院することになりました。この頃から、働き方に疑問を抱くようになり、独立の道を模索していました。


独立に至るまで何をされたんでしょうか?

まずは回り道してエンジニアからは離れたことを個人的にやりはじめましたね。技術よりも、もっとやりたいことがあるかもしれないと思い始め、あらゆる事業に手を出しました。当時はいわゆる経済成功を求めていたので、成功哲学や実学の書籍を 1,000 冊以上読み、実践していました。

そんな中ではじめた物販を通して、やはりというか、エンジニアの道に繋がってしまいました。Yahoo オークションでカメラの販売をしていたのですが、PCの業務が面倒だったので、商品のリサーチから販売までをできるところから自動化していきました。この開発を機に独立し、後にPHPフレームワークと、独自開発のRubyフレームワークを用いた作業自動化システムをリリースしました。


膨大な実務経験や自己学習で得た知識と技術で、エンジニアとしてマルチに活躍できるようになったのですね。

ソフトウェアエンジニア経験は公私含めて24 年になります。新規サービスの企画・設計・実装・試験・運用を効率化する自動化スキームの設計と実装・運用までフルスタックで対応可能となりました。

今でも新規技術のキャッチアップや技術への投資は日々行っていますね。月に 10〜20 冊程度は書籍やオンライン教材を購入しています。海外の情報を中心にキャッチアップしているため、情報の速さや品質には自信があります。


佐藤さんが特に得意な領域を教えてください。

主に Linux インフラ回りとインフラ実装(デプロイメント)やバックエンドエンジニアリングですね。加えて、インフラ構成自動化(Terraform, Serverless Framework)や構成管理(Ansible)などの設計・実装も得意領域です。とにかく「自動化」という文脈が大好きなんです。


幅広い技術力と、役割としてもPMやPMOなどの豊富な経験もお持ちで独立後も引く手あまただったと思いますが、なぜMediiにフルコミットすることを決めたのですか?

最初はMediiにフリーランスとして参画しました。その時は単純に、Go言語の現場に入ってお試ししたかっただけでした(笑)。

その中でMediiのメンバーが全国から集まる社内イベント「Medii Boost Camp」に参加して、代表や経営陣をはじめ、Medii メンバーのあたたかさと聡明さなどに触れ、心が動きました。しかし、自分はフリーランスというマインドをずっと持っているので社員にはならないとなんとなく決めていたんです。でも合宿での体験が濃厚に記憶されていて…。その後、代表の山田さんと COO筒井さんと話し合いを経て、Mediiの成長を共に創っていきたいと思うようになり、8 年ぶりにフルコミットすることを決めました。


これまで色々な現場を経験されてきた中で、Mediiならではの特徴は何だと思いますか?

フリーランスの時は、セールスフロントの支援を含めて、要求ヒヤリングから要件定義、設計、実装、リリースまでの工程を経験してきました。PdM, PjM, スクラムマスター、アーキテクト、フロントエンドエンジニア、バックエンドエンジニア、SRE、簡易なデザインなど含め、あらゆる立場で様々な現場に携わってきました。

その中でもMediiは、全チームの全メンバーが一丸となって、いわゆる世界的な課題に向き合う姿勢やお互いを大事にしている風土が際立っていると思います。

あとは代表の山田さんが slackの全チャンネルの投稿を全部見ていてびっくりしました(笑)。


現在(2023年4月時点)の仕事内容を教えてください。

Medii の中心サービスアプリケーションである「 E-コンサル」のバックエンドシステムの全面リプレイスリーダーをやっています。C# から golang への入れ替えをしつつ、E-コンサルの機能強化や保守性を大幅にあげるための設計に刷新をしているところです。とにかく効率化や再利用化を図るように常に意識しており、業務管理もかなり厳格にしています。

今は Notion と Slack と GitHub などをうまく組み合わせて、チーム開発がある程度回っている状況を生み出しつつあるように感じています。基本「即応答」を心がけており、コミュニケーションロスが起きないように工夫をしています。


佐藤さんのリプレイス作業の圧倒的速さにみんな驚いてますよね。

全く未知の言語であったC#と初心者言語であったGoを、半年くらいかけて戦力になれるレベルにはもってこれたと思っています。今までの経験を織り交ぜて新旧の技術を融合し、最高の品質のシステムを作れている実感があり、やりがいを感じています。


最後に、これからMediiで実現したいことを教えてください。

E-コンサルを中心としたサービスのシステムを最適化し、将来的な事業計画にスムーズに対応できるシステムスキームを構築したいと考えています。常に効率化と俊敏性(アジャイル)を確保し、品質を保ちながらユーザー満足度と開発者の満足度の双方を高める仕組みを作りたいと思います。


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