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医工産学連携の基礎:手術支援ロボットの開発研究において最初に考えること
先日とある会議で大学での医療機器開発のお話をしていて、表題の手術支援ロボットのことを思い出しました。
医療・福祉ロボットの研究室
大学(院)生時代、私は卒論・修論と手術支援ロボット・メカトロニクスを研究テーマとしていました。所属していた東京大学の医用精密工学研究室は医療・福祉ロボットでは有名な研究室です。
現教授の小林英津子先生は薬事承認まで至った初の国産手術支援ロボット「Naviot」の開発者であり、また後輩にはこの研究室の助教を退職してスタートアップを立ち上げ、現在の主要な国産手術支援ロボットの一角である「ANSUR」を開発した安藤岳洋さん(現朝日サージカルロボティクスCDO、元社長)がいます。
国内に手術支援ロボットの研究を行っている工学部の研究室は多くありますが、薬事承認にまで至った国産手術支援ロボットに直接関わる工学部の研究室は、リバーフィールド社を創業した東工大の川嶋健嗣先生(現東京大学教授)・只野耕太郎先生の研究室と医用精密工学研究室のみです。
なお医療機器として上市された国産の手術支援ロボットはこれまでNaviot(日立製作所)、hinotori(メディカロイド)、Saroa(リバーフィールド)、ANSUR(朝日サージカルロボティクス)だけ、届出を含めてもEmaro、IvyA1、OQrimo(全てリバーフィールド)くらいまでだと思います。
#私が千葉大学から東京医科歯科大学へ移った大きな動機の一つは生材研に川嶋健嗣先生がいらっしゃったからですが、直後に川嶋先生は東大情報理工に移られ、私も退職してしまい…
卒論のテーマは「5節リンク式腹腔鏡マニピュレータの並進回転機構の開発」
そんな研究室で私は、博士課程の先輩だった小林先生が開発されていた「5節リンク式腹腔鏡マニピュレータ」(Naviotの原型)を鉗子操作にも使えるようにするための、並進・回転の2自由度を付加する機構の開発を卒論のテーマに選びました。指導してくれた直接の先輩が小林先生です。
#本当は福祉系のテーマとなりかけたんですが、その場でどうしても鉗子ロボット系がやりたいと指導教授の土肥健純先生にゴネ、もともと候補にすらなかったこのテーマにむりやり変えていただきました。まだ恐れを知らない若造で。
研究室へのSolidworks導入を検討する数年前、まだ3D CADもない時代でしたが、大学の教育用計算機システムにスクリプトで描画するACISという3DCADカーネル(今の3DCADでも内部で使われています)があり情報系の演習で使ったことがあったので、これでスクリプト書いて円筒や直方体を定義して位置決めして和算除算して手術支援ロボット部品の3Dモデルを作りそれを組み上げていくという、今からするとかなりマニアックなテキストベースコンピュータお絵かきをしてマニピュレータを含む機構の概念設計図を書いたのを覚えています。
# 今のNC加工機や3Dプリンタで何でも出来てしまう時代だとピンとこないかと思いますが、フライス盤と旋盤を基本とする機械加工は基本直線か円での加工しか出来ないですし、材料も板かブロックか丸棒ですので、直方体と円筒でしか絵が描けない方がむしろ「加工できない/しにくい部品」を作らない、という点で理にかなっていたりします。
手術支援ロボットの設計で最初に考えるべき重要なこと
この卒論の機構設計をする時、手術支援ロボットの開発においてまず考えるべき大事な事として最初に教えられたことがあります。何でしょうか?開発段階なのでニーズ抽出・シーズ検討は終わっているものとして。
精度ではありません。出力でもありません。少し近いですが安全性でもありません。それは
「どうやって洗うか?」
です。
体の中にいれる、特に消化管の中(食物がある側)でない清潔な領域にいれるor清潔な領域の近傍で清潔物に干渉する可能性がある医療機器は、必ず滅菌状態でなければなりません。
古来より最も人を死なせてきたものの一つが病原菌、感染症です。手術支援ロボットも必ず医療グレードの滅菌作業・清潔確保が必要です。
この滅菌作業、病院内で実施されるのは多くの場合は洗浄したうえでオートクレーブにかける、要は圧力釜で蒸すか、過酸化水素ガスプラズマで滅菌するかです。(EOGガス滅菌は最近は減ってきたと聞いています)
ということは手術ロボットもよく水と洗剤で洗ったうえで高温高圧の蒸気にさらす、あるいはプラズマを照射する(あるいはEOGガス(腐食性)にさらす)という作業が必要になります。
センサやモータなど電気部品が多数あり、サイズも大きいロボットアームにこの作業は可能でしょうか?無理です。滅菌器に入らないか、入っても高圧蒸気・プラズマ・EOGで壊れます。
そこで手術支援ロボットには、
少なくとも体内に入る部分は滅菌・洗浄が可能であること
滅菌可能な部分と滅菌不可能な部分が明確に分かれ、分離可能であること
滅菌不可能な部分は、滅菌・洗浄する部分と分離し、清潔な覆い布で覆う(ドレーピング)などで清潔野を汚染しないようにすること
といった特性を持たせ、患者及び術野周辺の清潔な領域を決して汚染しないことが必要になります。
da Vinciを例に見ると、洗うのは鉗子部分EndoWristだけです。ここにはモータなどはありません。アーム以降のロボット本体は滅菌された透明なビニールで覆われ、ここに滅菌されたEndoWristと内視鏡を接続して使用します。これによって清潔性が保たれます。
Naviotもモータ等の電気的要素はすべてベース部分に配置し、リンクは機械要素のみとすることで滅菌可能部分と不可能部分を明確に分離しています。
修士時代にお手伝いさせていただいた先輩の正宗賢先生(現東京女子医科大学教授)のMRI誘導下定位的脳穿刺ロボットも「駆動部分離型」を特徴とし、駆動力発生部分と駆動部の距離を離して明確に分離しています。
私のアカデミア時代の手術支援ロボット研究ではレーザ手術ロボットとカメラ画像を用いたビジュアルサーボ制御を中心に行ってきました。
レーザとカメラを中心とした理由、その一つは「患者に直接触れないから」です。非接触なら清潔の担保も楽、電気的な絶縁(後述)も容易です。
なぜ最初に清潔を考えるのか?
なぜロボットとしての基本性能よりも先に最初に清潔を考えねばならないのか?それは、
「機構設計が終わってから洗い方を考えても遅い」
からです。
術野に入る部分にもし繊細な電子部品、生物毒性のある材料、グリースで潤滑された軸受、汚れの溜まりやすい微細構造などがあった場合、臨床試験に向かう際にそれらはすべて外さねばなりません。外して別の洗える機構要素に置き換え、それまでに達成した精度・速度・出力・制御性・強度を保たねばなりません。ほとんど無理な作業です。せっかく考えた精密機構・制御システムがどんなに優れたものであっても全てやり直しになってしまいます。そして必ず性能は落ちます。だから最初に清潔を考えねばなりません。
また、もう一つ医療機器開発の基礎として重要な部分が電気的安全性です。心臓は僅かな漏れ電流でもミクロショックを起こし容易に止まりますので非常に大事な部分です。上で紹介した小林先生のNaviot論文でも電気的絶縁対策について触れられています。また手術支援ロボットを対象とした医療機器開発ガイドライン「ナビゲーション医療分野共通部分[改訂]開発ガイドライン2015」においても個別リスクマネジメント項目の第一に電気的安全性が挙げられています。
清潔と電気的安全性、どちらがより大切かということはなく共に大事ですが、少なくともまず体内に接する機構部が滅菌・洗浄出来るように設計をした場合、基本的には電気的な構成要素が体外遠隔に配置されるため、自然と電気的安全性確保の設計ハードルは下がります。
応用工学では将来の実装の姿も頭に置いた開発研究を
大学での基礎研究において、過度に将来の製品としてのあるべき姿、備えるべき基本要素にとらわれると、自由な発想が阻害され研究の質・スケールが毀損する恐れもあります。
しかし工学は基本的に実際に現場で使われてこその技術開発研究を行う学問領域です。特に機構要素や原理を追求する分野でなく、応用として手術に使われるロボットシステム全体を工学的に研究・開発するのであれば、研究のゴールは精密に動いた・組織を切離した・縫合結紮が出来た・血管を繋いだ、ではなく、実際の臨床で手術を完遂することです。人形の手術は出来た、でも滅菌できないから・絶縁できないから・毒性あるから・手術室に入らないからここで終了、では開発した意味がありません。
研究としての革新性と自由度は保ちつつ、しかし医療機器としての最低限の要件は頭に入れつつ、開発研究を進めることが肝要と考えます。
メドテック・ヘルステック領域で新たな医療機器の開発に取り組む研究者の皆さんにおかれては、一度医療機器開発ガイドラインなどの参考資料を元に、まずざっくりと知っておくべき医療機器の基礎の基礎を身につけ、開発に取り組んでいただきたいと思います。