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きづくということ:遊行する身体

 先日は、facebook ライブというものに初挑戦。
 今回、コラボセミナーを企画・プロデュースされる稲吉さんをホストに、講師としてご一緒させていただく、伊与久さんと3人で動画配信しました。
 初めてということもあり、至らぬところも多々あったと思いますがご容赦くださいませ。😅


 さて、ここでは「遊行する身体」という今回のコラボセミナーのテーマも含め、私がセミナーやWSで話したり、紹介しているモノ・コトの全てに共通する要素を書いてみたいと思います。

「Awareness」 アウェアネス

 「気づき、気づいている」という意味の英語に「 Awareness 」という言葉があります。
 私がここ四半世紀にわたって学んでいるものは、どの分野でも「 アウェアネス 」をベースにしているものばかり。
 例えば、ネイティブアメリカン関係の様々な「技術」や「実践自然哲学」、武術関係・・・・というよりは心理学でいうところの「関係性」について深く学ぶ「道(TAO)」としての太極拳、健康のための様々な技術やコンセプトなど、もちろん深層心理学やポジティブ心理学などの「心の健康」等々。

 気づくという現象は、能動的に行うのか、受動的に行われるのか?
こういうのも深掘りするとなかなか奥が深いものですが、私個人は受動的感覚を大事にしたいと思っています。
「気づいてやろう」「どうやったら気づくんだろう」なんて考えていると視野が狭くなっちゃいますよね?
身体的には緊張しますし。

 受動的感覚を大事にしたい理由はいくつもありますが、ネイティブアメリカンの古来からの教えや、昨今ブームだったマインドフルネス瞑想の基になった瞑想などに共通するものです。
 シンプルに「今・ここ」ですね。
 神道では「中今」、太極拳の「中定」などにも通じるものです。

 それらを把握するためにはもう一つ、私が学んでいるネイティブアメリカン関係から学んだ「ベースライン」という要素もあるとよりわかりやすいのではないかと思っています。こちらはセミナー当日により詳しく紹介しますね。

「白と黒」

パンダコパンダのパンちゃん

 そして、「パンダコパンダ」です。パンちゃんかわいい。

・・・・失礼。

 えっと何が言いたかったのかというと、パンダってモノトーン調ですよね?
別にシマウマでも良かったのですが、パンダかわいいし。

 かわいいと言っておきながらですが、白と黒、0か100,正義か悪か・・・・最近の社会の傾向が極端な「二極化」に傾いているように感じませんか?
 個人的には何でもかんでも、白黒ハッキリさせようとするのはあまりよろしくないのではないかと。もちろん、ハッキリさせないといけないときはありますが、それは「白か、黒か」の二択よりはもう少し多くても良いのだと考えてます。
 心理の方では「白黒思考」という言葉がありますが、このように説明されています。

「状況を連続体ではなく、たった2つの極端なカテゴリーで捉えること」

認知行動療法実践ガイド:基礎から応用まで : ジュディス・ベックの認知行動療法テキスト

選択枝の幅

 上にも書きましたが白黒思考って二択ですよね。どのような時にこういう思考になるのかというと、多くの場合「ストレス」が原因と言われています。
武術やスポーツの達人と言われている先生方には、相手の選択の幅を誘導して、いわゆる必勝パターンに持ち込むという「技術」をお持ちの方がいらっしゃいます。フト気が付くと「この動きしかできない」というようなものです。😅

 選択枝の幅が狭いと極端な話、「生きるか、死ぬか?」という思考になってしまったりするのです。

 ところで、選択(肢・枝)の「幅」と何気なく使っちゃいますが「数」ではなく、何故、「幅」という言葉なのでしょう?
 個人的な感覚ですが、そこにすでに「グラデーション」という「数ではないモノ・コト」が含まれているのではないか・・・・なんて思ったりもしています。

 では、この選択枝はいったいいくつあれば良いのでしょうか?
このような質問を時々聞くことがありますが、特に決まっていません。
多すぎても困っちゃいますしね。😅

あるスーパーで行った実験で、24種類のジャムを用意した場合と、6種類のジャムを用意した場合では24種類のジャムを用意した場合の方が試食に来た客は多かった。しかし実際にジャムを購入した客の割合は24種類のわずか3%に対し、6種類の方は30%と10倍も多い結果となった。

「選択の科学」シーナ・アイエンガー著より

私は「6つくらい」と答えています。

 理由はシンプルに、方向・方角などから。
「前後・左右・上下」「東・西・南・北・天・地」

 方向は整体の師匠から、方角はネイティブアメリカン関係や武道の師匠から・・・・です。

 選択枝の幅を広げるということは、ダンスでは表現の幅、武術や医療では最適解に至る道筋、教育、政治経済・・・・人生も含め、分野を問わず大事なものではないかと思っています。

子供たちに向けて贈られた言葉より

 パンダコパンダで思い出したのが、公式サイトに掲載されている高畑監督の言葉です。以下に抜粋します。

ところで、遠足に行って、とつぜんのにわか雨でさんざんな目にあったことはありませんか。

からっと晴れた日のたのしい遠足ももちろんステキだけれど、どしゃぶりのなかを走ってびしょぬれ、泥だらけになった遠足だっておもしろいんですよ。お客さんといっても人だけじゃないんです。

いつもとおなじでないことならなんでもお客さんです。ちょっとふうがわりだったり、ちょっとイヤなかんじだったりしても、ほんとうはそのなかに、とってもいいことやおもしろいことがかくされているかもしれません。がっかりしたり、かなしかったり、つらいおもいをしたりすることでさえ、心いっぱいにうけとめれば、きっとあとで、いいお客さんだったことがわかります。

でも、どうか、じぶんのみのまわりでおこる、なんでもないような小さなことにも、いきいきと眼を光らせて、なんでもワクワク楽しんじゃおうという気持ちを忘れないでくださいね。

そして、いつものくらしのなかにひょっこりやって来るお客さんをついやりすごして、ステキなおつきあいをせずにすましてしまったりしないようにこころがけてくださいね。

【『ジス・イズ アニメーション パンダコパンダ』(小学館・1994年)において、子どもたちに向けて贈られたコメントより】

 これってマレビト(稀人・客人)という民俗学的な視座から掘り下げていくこともできる面白いお話しなんです。
 マレビトは、民俗学では有名な折口信夫(私が学んでいる神事芸能:筑紫舞の師匠の先生にもあたります)が、日本人の信仰・他界観念を探るための手がかりとして重視されてたりします。

アウェアネスと選択枝の幅

 選択枝の幅を拡げることと、アウェアネスって実は結構深いところで関係しています。
「限られた選択枝の中で選択枝を増やすにはどうしたらよいか?」なんていう矛盾した命題や、「丁寧に生きる」という「丁寧さ」を感じるときに結構大事になってきます。

 なんて小難しいお話は置いといて、
なんでもワクワク楽しんじゃおうという気持ちを忘れないでくださいね。

p.s.
 そうそう、身心の健康といえば、最近は「ウェルビーイング」という言葉も一般的になってきています。日本発としては「幸福学」という学問も研究されてきています。

 今回のコラボセミナーは「ウェルビーイング」にもつながる内容になることでしょう。


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