「氷山に咲く大輪の花」第11話 不安が最高潮に
毎週月曜日に配信中。他の話はこちらから。
選んだ曲は「ゆるし、そして祈り」「シューベルトの子守歌」「ラブ・ミー・テンダー」の3曲。
自作した歌には「ゆるし、そして祈り」というタイトルをつけていた。
本番は伴奏なしのアカペラで歌うことにした。録音したピアノの伴奏を流しながら歌うと、どうも伸びやかな声が出ない感じがして、Kさんと相談した結果そう決めた。
イベントで歌うことにしてから3か月間、歌の練習を幾度となくくり返していた。声をしっかり出して練習したいときは、近くの河川敷に行って歌の練習をすることもあった。
橋の下を選び川に向かって歌っていたのだけど、人が近くを通る気配を感じると、なんとなく怖さを感じた。自分の内側にあるトラウマを体感してからは、この怖さが常につきまとっているような感覚があった。
そして、イベントの当日がやってきた。会場は70畳ほどの広々とした空間で、窓から差し込む光によって会場はさらに開放的に見える。
会場の前部には20センチほど小上がりのステージがあって、会場の真ん中には、来場者の方が軽食を食べたり休んだりできるようにいくつかのテーブルを並べた。出店者用のテーブルはその周りを「コ」の字に囲むように並べ、出店者のスペースもなるべく広めにとった。
会場は、整体やカウンセリングのお店、またハーブや雑貨、ハンドメイドの作品が並べられたお店など、出店者がお店を形作っていくごとに彩りを増していった。
別の小部屋では、絵本の読み聞かせや茶道のお茶を提供するお店もあった。
午前中の来場者は、さほど多くなかった。ライブの時間はちょうどお昼ごろ。時間が近づいてくると、手が空いているスタッフはステージの上と会場の真ん中のスペースを片づけ、ライブの準備をした。
ステージの上を片付けていた私は、ふと会場全体を見回してみた。会場にはまだそんなに人が集まっていない。人前で歌うことに怖さを抱えているのに、不思議と会場の状態に少しばかり寂しさを感じている自分がいた。
本番前の緊張感も味わいながら会場の準備を終えた私は、本番に備えて衣装に着替えることにした。
そして、いよいよライブの時間。緊張感が高まる中、ステージの袖から出て会場を一目見たときはびっくりした。どこからあんなに人が集まってきたのか、「コ」の字型に並んでいるお店の周りに、50人は超えるくらいの人が集まっていた。
Kさんは、私の抑揚のあるトーニングに合わせて、会場の後ろのほうから即興の舞をしながら登場する。
私のこのトーニングは、主に母音だけを使う声の表現で、その場で感じるままに即興で表現する。これは、30代の半ばくらいから、自分の中からおのずと生み出されるままにでき上がっていった表現方法である。定まった音程に自分の声を合わせていくものではないから、音痴であった自分にとっても表現がしやすい。
二人の即興の声と舞が、静かに会場に染み渡ったころを見はからって、私はステージで歌い出す。一曲目は「ゆるし、そして祈り」。
Kさんはステージの前を広く使い、舞を披露している。レモンイエローの衣装の動きがその優雅さを物語っていた。
即興のトーニングの声が、私にとっては、一曲目の前奏のような役割を果たしていた。自分のエネルギーが声に乗って会場に流れていったあとであれば、余裕をもって歌えるのではないかとも思っていた。
歌い出しは上々だった、しかし、やはり途中から何か不穏な感情の動きが内側で始まる。クライマックスに近づくにつれて、怖さも同時に吹き出してくる。その動きを内側で感じながら、自分の中心に意識を据えて最後まで歌い上げた。
2曲目のときは、Kさんはステージ脇のキーボードで伴奏を担当してくれた。ドイツ語で歌うシューベルトの子守歌は、私の声質に合っているからと、声楽のレッスンのときに先生が細かく指導してくれた歌だった。
3曲目のラヴ・ミー・テンダーになると、Kさんは私の後ろで舞っていた。
最後までなんとか歌い終え、二人で並んで挨拶をする。冷静さを装っていたものの、私の内側には心臓が破裂しそうなくらいにこみ上げてくるものがあった。
ステージの袖に入っていくとアンコールの声がかかる。予想はしていたものの、またステージに戻っていくには、かなりの勇気もいる。思わず天を仰ぐかのように息を吸い、天井を見つめた。
胸の内側では何かザワザワしたような感覚もあったけど、一息ついてステージに戻り、もう一度、一曲目と同じ歌を歌った。
アンコールのときに会場や自分がどうだったのか、細かいことはほとんど覚えていない。それでも自分にめぐってきた機会を無事に終えることができたことに心から安堵(あんど)した。
そして、イベントも盛況のうちに終えることができた。
しかし、ほっと一息つけたからか、実際に自分の歌がどうだったのか気になり始めた。会場の片づけが終わりステージの前で一休みしているとき、無意識にも、30点くらいだなと自己評価をし始めていた。
すると、私の浮かない顏を見たからかどうか、Mさんが話しかけてきた。
「ひろきさん、歌を披露してみてどうだった?」
「いや~、30点だね」と私が答えると、Mさんはにこやかな顔ですぐに言葉を返してくれた。
「ラブミーテンダーを聴いているときに涙を流している人がいたよ。歌を聴いて涙を流すなんてそんなにないことなんだから、すごくよかったってことだと思うよ」
それでも、まだ納得できない自分がいた。その翌日には用事があって実家に行くことになった。イベントには両親も招待していたから、披露した歌に関して何か言ってもらえるかと少し期待もしていた。
居間でお茶を飲みながら、昨日のイベントの、どのお店がよかったなど、たわいもない話をしていたけど、なぜか両親とも昨日の歌に関しては一言も話さない。私はしびれを切らせて、キッチンに何かをとりに行くふりをして席を立った。
「なぜだ? なんで何も言わない?」
自分の内側にそう問いかけると、ふと気づくことがあった。
両親にほめてもらいたい、認めてもらいたいと思っている自分がいるけど、自分が自分に対してまったくほめていなかったのだ。
時間にしたら短かったかもしれないが、キッチンにいた私は、「よくやった」と自分を心からほめた。
そして、気持ちを取り直して居間に戻り、思い切って、昨日の歌はどうだった? と両親に聞いてみた。
父は「もっと壁が割れるくらいに声を出さないと」と言い、母は「声がどこまでも伸びるような感じでよかったね」と言ってくれた。
それにしても、さすが私の両親でもある。自分が思っていたように簡単にはほめてくれない。当時は二人とも詩吟のレッスンに週に1~2回通っていたから、なかなか言うことも手厳しかった。
自分では、かなり高いハードルを越えてきたつもりだった。言ってもらいたかった言葉をもらえなかった感じがして気分が上がらなかったけど、両親に言ってもらったことは、先に向かうための私への激励なのだろうと理解した。
仕事、事業経営、恋愛、結婚、出産、子育て、夫婦生活、人間関係など、諸問題の解決に向けてカウンセリングを承っています。