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女性放射線科医のリアルライフ~東京医科歯科大学医学部附属病院|井戸 愛~

コロナ禍より前の年間スケジュール(学会、勉強会など)とコロナ禍期間の1年間

<コロナ禍期間の1年間>
4月 日本医学放射線学会春季総会にweb参加
10月 日本医学放射線学会秋季臨床大会にweb参加
5月 マンモグラフィ読影指導者研修会 毎年参加しているが昨年は中止

 その他、これまでは月により都内で開催される勉強会・研究会(東京レントゲンetc.)に時間があれば参加していたが、昨年はコロナのため軒並み中止であった。

Q.1 なぜ放射線科医を選択したのか?

A.コミュ力に自信がなく外来で不特定多数の人と人間関係を構築することには不向きと思った。今となっては、放射線科は他科とのコミュニケーションが非常に重要な科であることがわかり、コミュ力があった方が格段にいい仕事ができると思う。飽き性なので全身の疾患が含まれる放射線科なら飽きないと思った。今となっては飽きるどころか放射線科で必要とされる膨大な量の知識を前に途方にくれている。私の能力に見合った選択であったかはわからないが、楽しいと思って続けてこられたので放射線科を選んで良かったと思っている。

Q.2 AIへの対応

A.胸部Xpの病変候補を指摘する画像診断支援ソフトの開発最終段階で、読影者として参加させてもらった経験がある。使用した方が仕事が楽になるが、最終的に判断するのは人なので、診断医が不要になることはないと思う。
 それとは別に検診をメインとした遠隔読影会社で海外の肺病変指摘用ソフトのテスト版を使用する機会があったが、全く何も無い部位に病変疑いと表示されたりして、こちらはとても酷かった。総じてしばらくは診断医の仕事がなくなることはないと思う。

Q.3 キャリアアップについて

A.医師となって最初のキャリアは大学病院の放射線科医局に入局したところから始まった。当時は現行のスーパーローテの前の制度だったので直接入局は一番ありふれた選択だった。当時西日本では放射線科が内科的な役割を担っていることも多かった。私の入局した大学でも同様で、下っぱ医局員の業務の大きな部分を放射線科のベッドで入院した患者の対応が占めていた。特に私より下の学年がなかなか入局してこない期間が長く続いたため、読影よりも注射当番や入院患者の対応で私の業務時間の大半が過ぎていった。このままでは落ち着いて読影をする時間がないと感じ(そんな環境でもできる人はできると思うが私には無理だった)、先輩医師を頼って横須賀共済病院の放射線科へ移った(放射線科での入院はなし)。専門医は医局に所属している間になんとか取得した。
 横須賀共済病院で一日中読影をする(時々IVR)という生活が始まった。最初は上の先生から読影のダブルチェックをしていただいた。当時、私の酷い読影を忍耐強く指導してくださった先生方には感謝しかない(吉儀先生、小山先生、辻先生、本当にありがとうございました)。なんとか読影医として仕事ができるようになったころ、結婚して東京に引っ越した。毎日通勤するには厳しい距離となったため、横須賀共済病院で遠隔読影システムを導入していただき、週一日だけ超音波とマンモトーム生検を行うために通勤する非常勤医師となった。
 その後、夫の転勤について愛媛県に転居することになった。そこで、以前よりお世話になっていた獨協医科大学放射線科楫靖主任教授に相談したところ、愛媛大学病院放射線科望月輝一教授(当時)をご紹介いただいた。早速ご挨拶に伺い相談したところCT一台、MRI一台を有する100床程度の病院を紹介してくださった。放射線科医はいなかったが、勤務条件は私の希望にピッタリだったのでそこに就職することにした。常勤医には何人か年配の方がおられたが、彼らは私を医師として認めていなかったと思う。というのも、噂によると10年ほど前に放射線科医がいたが、いろいろあった上に(ここには書けません…)すぐにいなくなったという経緯があり古株の先生方は放射線科医に対して良い印象はないようだった。そんな中でも若い先生からは読影医がほしいという要望があり、とうとうやってきた放射線科医が私だったのだ。一部の看護師の中には放射線科医という存在を知らない人もいて、放射線部にいるのに撮影もできない役立たずな存在として受け取られているようだった。これは予想以上の針の筵感。できることは地道に読影するのみ。一部に不穏な雰囲気もありつつ仕事が始まったが、診療放射線技師の皆様や院長先生、理解のある先生方、事務の方々にバックアップされ、また、最初の一、二ヶ月に印象深い症例が重なったこともあり、徐々に古株の医師やコメディカルから存在を認められるようになった。よかった。


 やっとのことで馴染んだにもかかわらず、再度夫の転勤で東京に戻ることになり思っていたより早く愛媛県をあとにすることになった。その際には病院が遠隔読影システムを立ち上げてくださり、東京にいながら愛媛県の読影を続けさせてもらうことになった(画像診断加算はとれないため私の給料は病院の持ち出し。ありがたいことでした)。しかし、東京で暮らしはじめて二年もすると家で一人読影することに焦りを感じてきた。もともと怠惰な性格で自分から進んで勉強するタイプではない。勉強会や雑談からの耳学問なども一切ない状態では容易に浦島太郎状態になると思ったのだ(とういより、既に太郎になっていた)。私は引きこもりとの親和性が非常に高く一人で家にいることにスルスルと慣れていったので、このままではあっという間に二〇年経って定年、いや、とてもじゃないが今の知識量で定年までひっぱれない。無職になる日も近い、と焦った。
 そこでまた楫先生に相談したところ、昭和大学病院の扇谷准教授(当時)を紹介していただいた(現在は前教授の後閑先生が退官され、扇谷先生が教授となられている)。昭和大学放射線科は非常に居心地がよかった。他大学出身の医師が多く、外様の私でもすぐに馴染めた。さすがに大学で触れることのできる情報量は多く(医局には研究会や勉強会の案内が多数あり、放射線科内の朝のカンファレンスを始めとして、他科とのカンファレンスも多数あった)、とても吸収しきれていないが、これまで引きこもりで停滞どころか退化していた私の知識もアップデートされたと思う。昭和大学で特に良かったと思ったことは、わからないことがあって「質問していいですか?」と話しかけると、「もちろんです!」と返事してもらえることだ。扇谷先生の人柄によるところが大きいと思うが、医局内は変な緊張感がなく聞きたいことが聞ける環境であった。当然、自分で教科書を調べることは大切で必須ではあるのだが、疑問に思ったことが教科書に載っていなかったり、どこをどう調べて良いかわからないこともある。そんなときにウジウジ悩まず聞ける環境は素晴らしかった。そうこうしているうちに三年経ち、そのあいだ昭和大学放射線科の皆様には大変お世話になった(図1)のだが、事情があり夫の地元である新潟に今年5月に転居した。仕事は基本的には知り合いの先生のおられる東京の病院の遠隔読影をさせていただくことになり、昭和大学の先生から紹介していただいた地元の病院で週一お世話になることになった。
 まだ新潟ライフは始まったばかりで右も左もわからないが、これまでに知り合った先生方や今回新たに紹介いただいた先生方に助けられて、なんとかやっていけるのではないかと考えている。
 以上が私のこれまでの職歴である。学術的には特筆すべきことは何もないが、各地を転々としながらも仕事を続けてこられたことは良かったと思っている。今までの職歴を振り返ると医師としても人としても完成度の低い私がこれまで仕事をしてこられたのは周りの方々の親切によるところが非常に大きい。お世話になった先生方、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

Q.4 婚活事情または現在の旦那様との出会い

A.合コン。30歳を過ぎてからの婚活は厳しかった。何度か合コンにでかけたがほとんどの場合全く相手にされず、女子会で披露するオモシロ話(いかに酷い目にあったか)が徒に増えていくだけだった。もうそろそろ婚活もあきらめようかと思っていたころ、合コンの幹事を頼まれた。女医さんを集めてくれと言われ集めたメンバーはみんな私より10歳ほど若くてかわいい女医さんばかりで、参加前から敗戦の気配濃厚であった。投げやりであった私はオシャレな川沿いのオープンカフェ・レストランに遅刻した上、美味しいものを飲み食いする場とわりきって大量に飲食した。酔って楽しくなってきたころに魚の餌が売られていることに気付く。みんなで餌を買って戯れに川に投げ入れてみると、黒い鯉のような大きな魚が大量に集まってきた。魚の上に魚がのって水面が魚で埋め尽くされる様に、酔っていた私は非常に喜び、一人で魚に餌を投げつけ続けた。後日、後輩の女医に聞いたところによると「先生、今は魚の相手してる場合じゃないよ!」と思ったが上級医であったため言えなかったとのことだった。その時、言ってほしかった。しかし、何が幸いするかわからない。狂気じみた勢いで魚に餌を投げつける様子を好ましく思い連絡をくれたのが今の夫である。現在婚活されている先生の参考になればと思う。

Q.5 美容事情

A.お肌に一番悪いのは乾燥だと思っているので、何かあったらとりあえずワセリンを塗っている。

Q.6 隙間時間の活用法・いま注目している事柄

A.ここのところ空き時間に夫の実家の庭木の剪定や芝刈りなどを行っている。やってみると意外と楽しい(図2)。最近テレビ通販で宣伝している電動高枝切りチェーンソーが気になっている。

Q.7 若い人に向けて一言

A.若い先生へのアドバイスとして(これは放射線科に限ったことではないと思うが)、困ったことがあったらまずは周りの先生に相談することをおすすめする。希望している方向に近付くこともあるかもしれないし、自分だけでは思いもよらない選択肢も出てくるかもしれない。


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