女 性 診 療 放 射 線 技 師 の リ ア ル ラ イ フ ~北水会記念病院│阿部八千代~
支えられてきた日々 -振り返れば感謝がいっぱい-
仕 事 編
Q.診療放射線技師を目指したきっかけ
A. 教員になることが小学生からの夢でした。進学にあたり両親からの条件は県内にいることと浪人は不可。理系希望の私に病院の事務であった父が勧めたのが診療放射線技師と検査技師でした。教員になる夢はかなえられませんでしたが、思いもよらず合格した医療短大に入学したことで将来の道が定まりました。今でも父には感謝しています。
Q.やりがいを感じるとき
A. 午前中は検診の胃バリウム検査が主な業務となっています。健診の中でも一番嫌がられる検査ですが、スムーズに戸惑わせることのない誘導を心がけています。検査が終わって「とても分かりやすく検査を受けやすかった」
「バリウムも飲みやすかった」と言われることがあります。こういう検診者との会話の中にやりがいを感じることが多いです。所見を明確に描出できた時はもちろんですが。
Q.私の職場遍歴
A.初めて就職した癌研究会附属病院から6施設目です。転職や専業主婦、復職を経て今の職場 北水会記念病院にいます。ライフワークと決めていた胃バリウム検査ができるこの職場で今年3月に定年を迎え、今は再雇用の契約社員として働いています。
Q.マンモグラフィとの関わり
A.就職してまずマンモグラフィを教えられました。専業主婦の間に認定技師制度ができていて40歳からの手習いは結構大変でした。最初の試験監督は癌研の先輩技師、不合格でとても恥ずかしい思いをしました。3度目でやっと合格はしたものの更新はいつもC。何度となくランクアップに行くもののアップできないまま今があります。勉強は若いうちがお勧めですね。
Q.良い医師や先輩との出会いについて(尊敬できる先生がいるか、いたかなど)
A.多くの尊敬する先生方、先輩技師の方々に巡り合いました。中でも丸の内の海上ビル診療所時代の浅田技師長には退職した後も何度もお会いし、仕事もプライベートもアドバイスをもらいました。失敗したことをくよくよいつまでも引きずることなく前向きに進めとよく言われた気がします。
A.定年後の働き方
Q.仕事人間なので勤務時間はみんなと同じ。待機当番と早番が無くなり定時に終了。そのあとジムに行って帰るようにしています。筋肉維持のためです。先日初孫が生まれたので、孫に合わせてこれから働き方は変わってい
くかもしれません。
プ ラ イ ベ ー ト 編
Q.仕事との両立について
A.産休明けと同時に復帰して二人の子供を保育園に預けて働きました。夫の転職で専業主婦となってからは7年半かけて放送大学を卒業しました。専業主婦になって10年後、三女を学童に入れて働き、ファミリーサポートという制度を利用し学童終了後に子供を預かってもらって、残業や夜の勉強会に対応しました。お金はかかりましたが子供の安全が第一でした。とにかく夫の協力なしに両立はあり得ませんでした。迎えや当直時の子供の世話、時間のやりくりは大変だったと思います。田舎も遠く実家に頼るというのもありませんでしたので、朝のうちに温めれば食べられるものを作っておきました。学校行事は極力参加。おさぼりご飯と称して出来合いのおかずなどを買って帰ることもよくありました。できることを精一杯家族でやった気がします。
Q.美容事情
A.まったく興味がありません。
Q.結婚生活について
A.夫は同郷、医療短大の先輩であり、癌研究会附属病院での同僚でもあり尊敬に値する苦労人だと思っています。ほぼ食事は作りませんが、それ以外は何でもやってくれます。家の中は津軽弁、変な気を遣わずに過ごせます。
掃除が行き届かなくても目をつぶってくれます。結婚生活は夫の辛抱のたまものでしょう。感謝。
Q.ボランティア活動
A.乳がん検診啓発活動をしてきました。コロナ禍でしばらくお休みしていましたが今年からまた始まります。これからも続けていきたいと思っています。