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12月19日(木)メディア日記
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄が19日午前2時、肺炎のため、ついに都内の病院で死去した。98歳。読売によると渡辺は11月末まで定期的に出社し、役員会や社論会議に出席して大所高所から本社の経営や社論を総覧していた。今月に入って体調を崩し、病院で治療を受けていたが、亡くなる数日前にも社説の原稿に目を通して点検するなど、最後まで主筆として執務を続けた。
渡辺は自身が戦争体験者でもあることから、一貫して軍部を批判し、靖国神社が東京裁判でA級戦犯とされた東条英機元首相らを合祀したことを批判してきた。2006年、小泉純一郎首相が終戦の日に参拝した際も強く反対し、同社の社説で自らの考えを示したことでも知られた。渡辺の靖国参拝反対の思いは、2011年放送されたNHK―BSIスぺシャルで当時の大越健介のキャスターのインタビューで吐露された。
各メディアは19日のテレビ、20日の朝刊は最大級の言葉を尽くして渡辺を評価した。石破首相は「偉大なジャーナリストだった」と持ち上げ、テレ朝の「モーニングショー」は「戦後最大の政治記者」とまでサブスーパーした。
ジャーナリストとして渡辺恒雄とは対極にいた共同通信出身の原寿雄は7年前に他界したが、自身の著作の「ジャーナリズムの可能性」(岩波新書)の中に渡辺恒雄について次のように書いている。
「個人としてのジャーナリストの政治的危機感が、永田町の権力者たちと一体化するのは自由である。だがジャーナリストを自任する者が、政治に直接介入して政界再編を誘導する当事者になることは、ジャーナリズムの放棄である。非当事者原則は、ジャーナリスト活動の出発点であり、権力を監視すべき役割を担う者が権力づくりに加担しては、ジャーナリストと呼べない」。原寿雄は「政界ジャーナリズム」と「政治ジャーナリズム」を明確に分けていた。原寿雄は生涯、ジャーナリストとしての渡辺恒雄に対しては厳しく常に批判的だった。