12月4日(水)メディア日記
韓国尹大統領が3日午後10時半、突然、「非常戒厳」を宣言した。尹大統領は会見で、「最大野党『共に民主党』が議席の過半数を握る国会を利用して国政や司法をマヒさせているとして「非常厳戒を宣布する」緊急談話を発表した。日本時間の深夜だったためメディアは大混乱した。とくに民放テレビはこの重大ニュースの初動は遅かった。「非常戒厳宣言」によって戒厳司令部が稼働し、兵士がヘリコプターで国会本館に突入したが、それより先に190人の国会議員が議場に結集、国会として非常厳戒の解除を決議した。この間、ソウルのテレビは戒厳軍と市民の衝突など生中継していた。これにより尹大統領は、「非常戒厳」を解除した。午前4時半だった。
朝刊は、共同通信頼りの東京新聞は最終版に詳報は間に合わず。毎日新聞はぎりぎり最終版1面左に突っ込んだ。朝日、読売、産経は「韓国国会に戒厳軍が出動」など途中経過を報じたが、日経だけが「国会は解除決議」の見出しを報じ、非常戒厳令が解除される見通しを報じた。
一夜明けたテレビのワイドショーは、「コリア・リポート」編集長の辺真一が各局から引っ張りだこ。NHKを含め日本メディアが報じない細部を解説したのはさすがだった。
元東京地検特捜部検事の堀田力が死去した。90歳。1976年に田中角栄元首相を逮捕したロッキード事件の捜査で活躍。在米大使館での勤務経験を生かして、米国との交渉に尽力した。田中元首相の公判も担当して有罪判決につなげた。1991年に退官し、畑が全く違う福祉事業に転身、現在の「さわやか福祉財団」を創設した。
筆者は堀田がロッキード事件の捜査の際、米国から帰国する堀田を追いかけて何度も羽田空港に通ったことを覚えている。その「カミソリ検事」の異名をとった堀田がその後、福祉事業に専念。人柄の良さと見識からテレビ朝日の放送番組審議会の委員長にも推挙された。当時を知る関係者は「堀田さんはいつも穏やかで決して大きな声は出さなかった。検事をやった人とは思えなかった」と述懐している。
朝日新聞出身の奥山俊宏が今年5月、堀田に1時間50分ロングインタビューした記事が、11月号の月刊文藝春秋に載った。奥山は「結果的に、最後のインタビューになってしまった。その予感はあった。言い残そうという意思をひしひしと感じ取ることができたから」と語った。