言葉と金玉温泉のはなし
私は考えていた。去年のクリスマスからずっと考えていた。でも、こう、書くにはなんだかひとつ何か材料が足りないな、というのが私の結論であった。
何が足りないって?
そうだな、マッシュドポテトをつくるときにバターが見つからないあの感じに似ている。無けりゃ無いでもいけるけど、それ単体の料理としては、なんかペラい。味だけじゃない。スムース・ライク・バター。そう、お料理は食感がだいじ。
注文が入ったら美味しくないとダメでしょう。そりゃあ全力投げますよ。感想ほしいって言外に流出してたんだもん。
ということで、ニか月間私はバター探しの旅に出ていたわけで。そして、見つけたのが金玉温泉だったというだけの話で。
一緒に食べようってわけじゃないから、安心してね。
私からあたりめさんへの公開(オンニがひとりで隠し持ってるやつもあるけど)ラブレターは計10通近くになるが、そんな経緯とは関係なしに、私は、音と言葉の関係にかなりの興味がある。もとをたどれば、私が人文大学生をしているのもそれが発端。もっとも、「音には言葉よりも力がある」と言いたいがために、あえて言葉の世界に全力で飛び込み、人生をそれにぶん投げようとしている点で、私と彼女は真逆だろう。これは性格の違いってやつだ。私は、最強でだいすきなやつとは戦いたくなっちゃうタイプの人類なんだ。それで、ぶちのめされる瞬間を夢見ている。わくわく。
ちょっと変なやつだな、って思ったでしょ。
大正解。あなたは、その変なやつの世界に来ちやったってわけ。
ようこそいらっしゃいませ。
この先長いので足元お気を付けください。
お出口はこちらにありませんので。はっはっは。
音に対して言葉とは何か。
Vaundyさんやあたりめさんの言う、翻訳、ないしは答え、もっと言えば、殺す作業。
染色体を顕微鏡で見るときの、固定という作業に覚えはあるか。
彼らの言う言葉に対しての感覚は、細胞の核を赤紫色に染め上げるアレにすごく近い感覚だと思う。本来ならば、まじまじと観察することができない細胞分裂を観察するために、細胞を酢酸オルセインに浸す。標本の固定。生物としては死んでいる状態。
一方で、彼らにとってたぶん、音は生き物だろう。沈黙を破るただのノイズのその一瞬の呼気が、ひずんだ響きの残滓が、対流してとぐろを巻く大きなひとつの生命体だ。
エンカウントする時空間の一切、その相手次第で、生き物は姿を変える。音が私たちを認識しているかは、まぁ置いといてだけれど。けれど、認識していたっていい。そういう開かれた空間ごと、生きてるって思うんだ。
そう思うと、そんなすげえ音っていうのを一つの正解に固定してしまえる、言葉ってやつの姿を拝んでやろうという気になるじゃないか。
怪物《言葉》
そう間違った表現ではないと思う。
送信者の意図の有無を別として、言葉が強大な形をもってしまうことがある。人はそれを魔法とも、呪縛とも呼ぶだろう。
音は言葉を越える力をもつ。
これが直観であってほしいという私の願望とは別に、言葉はただのツールとしての役割以外の何かを担っているんじゃないかと考えてしまう。
メロディの言語が単純に言葉よりも表現可能な色が多いだけの話で、もし言葉がただの制御可能なツールなら、ここまで私たちは音と言葉について考えたりはしないのではないだろうか。言葉とはいったい何だ。
笑えるコントだよなぁ。わたしこれだいすきなんだ。
まず、なんなんだよ。金玉温泉って。なんかちょっときもちわるいな。きんたまおんせん。平仮名で書くともっときしょめだな。きしょer。溢れ出てくんな。あったかいのかよ。津崎(仮)お前どっから金玉温泉もってきたんだよ。意味わかんねぇよ。重たくのしかかる金玉温泉ってなんだよ。金玉温泉、圭介(仮)の人生に影落としすぎだろ。おそろしいな、金玉温泉。
金玉温泉のはなしは、他人から見たらくそほどくだらなく思える言葉が、誰かにとって新しい何かの記号の形をもつはなしだ。
聞いたまんま見たまんま、どっからどうも支えのない、宙ぶらりんの言葉のはなし。
圭介本人だって金玉温泉がなにかわからない。
でも、圭介にとっては金玉温泉が、圭介の全部を捻じ曲げるぐらいだったのだ。
それは津崎が言ったからそうなったのかもしれないし、ただのタイミングかもしれない。
言葉は人間を押し流してしまえる。なぜなら私たち人間は言葉を使って考えるからだ。数式も心理数値も、品詞分類も、私たちは論理的な思考を進めるために言葉を使う。生きていくにつれて、私たちは言葉を使うのがうまくなる。うまくなればなるほど、私が言葉を話しているのか、言葉が私を話しているのかわからなくなる。この世のだれも、金玉温泉じゃないのに、金玉温泉だと思って生きていることがある。だって金玉温泉が、私を話してくれているように思うから。
わたしはこの6分半の最後、めちゃめちゃ大声で笑った。明朗そのもの、こんな文字にするのがばからしくなるぐらいの音で。
あたりめさんは、こんな人間の声を含めて音だと言ってくれるだろう。
わたしっていうやつの音を、言葉なんかに奪わせてたまるかと思いながらも、翻弄されながら書いたこれを、誰かが面白いと思ってくれたら、私の言葉は金玉温泉にならないで済みそうだ。
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