『虎の血-阪神タイガース、謎の老人監督』(村瀬秀信著)第4章「ミスタータイガース」まで読み進める。
村瀬秀信(著)『虎の血-阪神タイガース、謎の老人監督』という本の、第4章「ミスタータイガース」まで読み進めました。
第4章はタイトルの通り、ミスタータイガースこと、藤村富美男さんについて書かれています。
藤村富美男さんといえば、「物干し竿」と呼ばれた長尺バットが有名です。
その長さは37インチ(93.9センチ)で、現在メジャーリーグのドジャースで大活躍中の大谷翔平選手が使っている34インチ(86.3センチ)のバットよりも7.6センチ長くなります。
素人には7.6センチはわずかな差だと感じるかもしれませんが、この差はプロ野球選手にとって、バットコントロールに大きな影響を与えるのでしょう。
謎の老人監督、岸一郎監督が体調不良を理由に休養に入ったあと、藤村富美男さんが代理監督を務めることになります。
代理監督といっても、現役を退くわけではありません。現役選手としてプレーをしながら采配を振るう、選手兼任の代理監督です。
選手兼任監督というのは、この時代には珍しいことではありませんでした。しかし、1960年代に入ると、西鉄の中西太監督、阪神の村山実監督、南海の野村克也監督などに限られてきます。
そして、2000年以降は、ヤクルトの古田敦也監督と中日の谷繁元信監督の2人だけです。
現在ではリリーフピッチャーが重視される時代になり、選手兼任監督というのは、ほぼ不可能な状況となりました。
プレイングマネージャーのデメリットの一つに、人間関係のトラブルが発生しやすいということがあります。
まさに、藤村富美男代理監督時代に、チーム内に軋轢が生まれました。
「代打、ワシや」といって代打逆転満塁サヨナラホームランという伝説を残していますが、マネージャーとしては目立ちすぎたのかもしれません。
今から70年も前のプロ野球の記憶が残っている人も少なくなりました。
藤村富美男選手兼任監督のもとでプレーをした吉田義男さんは現在91歳、小山正明さんは90歳です。
1955年に、すでに60歳だった岸一郎監督がその後どうなったのか、どういう人生を歩んだのかはとても興味深いところです。
それは、この本の第5章「消えた老人を追って」に書かれているようなので、この先、読み進めていくのを楽しみにしています。
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