【読書】伊藤亜紗(著)『記憶する体』を読書中。〜ゴルフの練習をしながら考えたこと〜
今年の秋はゴルフコンペが続きそうなので、ちょっと頑張らなければいけないと思い、打ちっぱなしの練習場に行ってきました。すると、長いことゴルフクラブを握っていなかった割には、意外と上手く打てることができたのです。多分、体が記憶してくれていたのだと思います。
しかし数球打ってみると、なぜかちょっとおかしくなってきました。そうすると、「今のはバックスィングがおかしかった」とか、「体重移動ができていなかった」とか、頭で考えてしまいます。その後は、何球打っても最初の状態に戻ることはありませんでした。汗だくになりながら2カゴを打ち終えて、帰りの車の中で『記憶する体』のことを思い出したのです。
そもそも、ボールの打ち方を頭で考えている時点でダメなのではないか、ということです。普段の私たちは、歩く時も走る時も、階段を降りる時も、体重移動がどうのとか、右足の次に左足とかいうようには考えていません。殆どの行動は、無意識なのです。しかし人間は意識するなとか、力を抜けとか言われても、それが一番難しいことなのです。
何も考えずに、無意識にボールを打てる状態にならないと、ゴルフなんて上手くならないと思うのです。そのためにはどうすればいいかというと、ボールを打ちまくることです。でも、実際にはそんなことは不可能です。アイアンの打ち方とドラーバーの打ち方が違う訳だし、アイアンも、アプローチから6番まであって、それぞれの打ち方を無意識にできるまで打ち込むなんてことは、アマチュアには無理です。もしそれが可能となり、無意識にゴルフができるようになったとしたら、それはそれで今度はゴルフなんて全然面白くなくなる筈です。
とかなんとかいろんなことを考えてしまうことが、下手なゴルファーの楽しいところであり、一緒にプレーをする方とのコミュニケーションが大きな目的でもあるので、スコアはあまり気にせずに、楽しめたらいいのです。
人間は、普段はオートマチックに生きているのに、ゲームとなれば何故かマニュアル化してしまいます。このマニュアル化が、コミュニケーションを産む訳です。
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