【重要】「悪」とは?
こんにちは、Medです!
今回は「悪」を取り上げます。
何が「善」で「悪」なのか?
よく「性善説」とか「性悪説」とか言われますよね。
今回は「そもそも悪とは?」にスポットを当てたいと思います。
当ブログ執筆にあたり、参考にさせて頂いた各種参考サイト様、画像サイト様には心より感謝の意を表します。
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①「悪」とは
◆そもそも「悪」とは?
まずこの漢字ですが、複数の読み方があるので、それぞれの意味で調べてみました。
「あく」
まず「あく」ですが、ASPDの概念とも掛け合わせてみると、憲法や刑法犯罪(逮捕の原因となる犯罪)を侵しても「罪悪感」を感じない、「悪びれない」「開き直る」「厚顔無恥」などの意味合いが強いですね。
ちなみに厚顔無恥の意味は次の通りです。
例えば、他人の「基本的人権」を平然と脅かしたり、他人の「プライバシー」を軽視・無視したり、平然と「他人の端末」を脅かしたり、そうした異常行動に「罪悪感」を抱かない状態と言えます。
簡単に言えば、「他人の所有物・データ・アイディア」などを平然とパクり、その人の経済的活動を著しく妨害したり、「他人の行動」を逐一監視して精神的苦痛を与えたり、相手の意欲を根こそぎ奪っておいて悪びれなかったり、(自らの異常性には気付かずに)勝手に「善悪」の判断をしたりと、やりたい放題の異常者のことでしょう。
これは正に「ASPD」の状態と言えます。
私の場合、「規約を読んで守らない人」をこう判定することにしています。
「わる」
次に「わる」ですが、「幼稚なイタズラ」のつもりがエスカレートし、相手にとって致命的な経済的打撃や精神的苦痛を与えても「罪悪感」を抱かなかったり、その程度が異常であることを表しています。
これも「精神医学」の概念とリンクします。
かつて「人格障害」と呼んだ「パーソナリティ障害」は、そもそも
「程度」や「頻度」の異常な訳です。
普通だったら、「自分がやられて嫌な事」は他人にはしません。
また「許可しない領域」を侵されたい人など通常いません。
しかし、「内輪で盛り上がるため」「面白いから」「笑いを取りたいから」「便利だから」「マウントを取りたいから」「相手に利益が入らないように妨害したいから」「儲けたいから」「モテたいから」「オシャレしたいから」「愉しみたいから」などの身勝手な動機によって、相手に迷惑をかけ、それが徐々にエスカレートし、収拾がつかなくなり、迷惑をかけていることに、何の罪悪感も抱かない状態のことでしょう。
相手を以下のような状態にさせても、「罪悪感を抱かない人」はかなりの危険人物と言えます。
◆「法的」「精神医学的」な「悪」とは?
これまで多くの記事を執筆させて頂きましたが、その中でも共通するのは以下の通りです。
これらの「根拠」については、こちらの記事をご参照ください。
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つまり、簡単に言えば次のようになります。
いずれもキーは「相手の許可がない」ことにあります。
相手の許可なく、次のようなことをすること、これは誰でも相手を怒らせる行為だと、通常は理解ができて当たり前のものです。
また「特定の人物」への「経済的打撃」「精神的苦痛」に対して「反省」もせず、それに対する適切な「謝罪」ができないことも「悪」と判定されて当然の部類かと思います。
最も厄介なものは、「集団心理」の「暴走」にあります。
それぞれが一個人で冷静に考えれば抵触しないことでも、「悪ふざけ」などの「集団心理」の「暴走」によって、歯止めが効かなくなることがあります。
「みんなやってるからいっか」など、同調圧力に打ち克つ強さが個々人に求められています。
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②「性善説」「性悪説」
◆そもそもの「性善説」や「性悪説」とは
中国の儒者が提唱したものです。
「性善説」は孟子が、「性悪説」は荀子が唱えたとされています。
◆「性善説」とは
ではまずは「性善説」の意味からいきたいと思います。
私が思うに、人間の根幹に鎮座する「欲求」と、それを他者とトラブルに発展しないように調整する「理性」とがあり、「理性的な振る舞い」こそが「善」という解釈ではないでしょうか?
もちろん、「欲求」を殺すということではなく、他人に迷惑をかけないように「うまく調整」することだと思うのです。
◆「性悪説」とは
つぎに「性悪説」の意味です。
重要なポイントは、3つありますね。
「本性は悪である」
「環境や欲望によって悪に走りやすい」
「礼や教育次第で善に矯正できる」
確かに、「刑務所」や「少年院」などは「更生施設」と称されます。
こうした施設の重要性はこの「善」への「矯正」つまり「再教育」が必要なのだと分かります。
◆どっちが正しいのか?
「法的根拠」や「医学的根拠」と照会してみると、人間の根幹は「善」か「悪」かという観点では、別に「どちらも正解ではない」ようです。
ただ、「性悪説」にもある通り、「人は悪に走りやすい」とありますが、それを「法」や「精神医学」などで「善」に矯正できるという解釈が成立します。
誰でも「儲けたい」「モテたい」「オシャレになりたい」「〇〇を手に入れたい」「認められたい」などの「欲求」はあるものです。
しかし、その欲求充足のために、以下のようなことをするのは断じてあってはならないことです。
こうした他人との権利調整の概念を「公共の福祉」と言います。
以前「自由権」の記事でも書きましたが、「何をしても自由」ではありません。
あくまで「他人の権利侵害」「逮捕の原因となる犯罪」とならない範囲での自由だと言うことです。
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③まとめ
誰でも「〇〇したい」という欲求は多かれ少なかれ持っているものです。
しかし、その欲求ばかり求めていては、他者とトラブルを抱えてしまうのは必至です。
敢えて「善悪」というものを定義するとすれば、「他人の権利侵害」「権利妨害」「権利剥奪」をせずに、自らの「幸福追求」「欲求充足」をするのが「善」だと言うことです。
それを他人に迷惑をかけない範囲で「調整」するのが「理性」つまり「心のブレーキ」であり、この「理性」の破損、または「欲求」「欲望」の「暴走」こそが「問題を起こす種」すなわち「悪」なのです。
要は、それを他者との権利衝突をしない範囲で調節(公共の福祉)しながら、互いに苦痛や損害を被らないように「共存」していくことが、「善」だと思うのです。
最後まで閲覧して頂き、ありがとうございました。
健全な方が少しでも安心して暮らせるようなブログ執筆を目指してまた頑張ります。
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④参考・引用など
・厚顔無恥 コトバンク
・悪 Weblio辞書
・性善説 コトバンク
・性悪説 コトバンク
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