短歌30首連作|インフラを脱ぐ

「塔」2024年6月号にて、塔新人賞候補作に選んでいただきました。ありがとうございました。

品番のようなものとは知りながら旧姓で呼ばれる心地よさ

人間は濡れるとすこしくさくなる雨の電車に靴湿らせて

役職の重き軽きにかかわらずひとしく傘をふるわせる朝

市役所を区役所と呼ぶひとのいて政令指定都市の横顔

二十九の冬を越すには頼りない上着まるっと捨ててしまえり

つくり手の顔の見えない土嚢にもつくり手 コンビニのパンがすき

あどけない土嚢を載せて猫車こどもがいれば抱くのか、これを

人柱として現場に立っている苦情がいつか凪になるまで

八つ当たりをしていいひとと思われてこころの淵で堤を燃やす

フロッピーディスクのように存(ながら)えることがこわくて爪を見ていた

心にはさわれないから末席でひとりしずかに枝毛をさがす

同期とも話したくない朝がありイヤホンこれはわたしの被膜

好きな街から好きだった街になる川面に猫背ゆらめく午後に

使命感なんてまぼろし空腹を白湯で満たせばもうあたたかい

てきとうに描いた眉毛のうるわしく真面目なことは長所だろうか

市役所を辞めると母に打ち明けてああゆで卵茹ですぎてゆく

ハンドベルひとり抜けてもこの曲はふたり抜けてもきよしこの夜

聞き役に回れば母の言語野にわたしにはない墓園あかるい

傍(かたわら)の窓をあければ隣人のペペロンチーノふと香りくる

めりめりとインフラを脱ぐようにして作業着たたむ女子更衣室

ずいぶんと染まっていたな作業着を三度洗えばこんなに青く

川は血のようにわたしを脈々とこめかみをくるぶしを流れる

読み返す詩集のように好きだったひとのうなじのかたちを思う

あと何度雨が降っても会いに行く理由はなくて皮膚科の帰り

あのひとの喪主にならずに生きてゆくわたしはわたしを選んだひとと

初恋が夫よあなたでないことをほくろのように受け入れてゆく

作業着をすべて職場に返しても翼をもらえるわけではなくて

アスファルト影のとおりに濡れていて昨夜の雨のかたちと思う

蛞蝓にそれぞれ進路のあることがうれしい雨後のブロック塀に

つくるものからそこに在るものになる都市計画課を離れれば 道

塔 2024年7月号p.44
インフラを脱ぐ/吉村のぞみ

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