好きな短歌|塔2024年8月号
塔2024年8月号より好きな短歌です。いつもありがとうございます。
同僚の死と読んだ。一度使用したデスクマットを細く巻き取るのは結構力がいる。巻き取る行為も含めて儀式のよう。
建売住宅がたくさん並ぶとき、家というよりは工業製品のような見た目をしている。けれど影の佇まいは昔ながらの家と大差がないのかもしれない。「民話のような片陰」はそこに暮らしがあることをほのかに思わせる。
自分の最期に関わる大切なことを記すのに、保険証裏は狭いので細字にならざるを得ない。アンバランスさの発見と思う。
もうその感触を与えてくれた人とは会うことはない(会っても手を繋ぐことはない)のかもしれない。感触は目に見えないはずだが、それを眺めるという行為がいっそう切ない。
本を傷めるから付箋紙を貼りたくない気持ちと、貼りたい気持ちがせめぎ合う。「読むことはわれを知ること」と主体の行動は後者に傾いたのだろう。心強いことばだ。
民衆を幸せにした罰というのはどこか神話的だが、懇親会で急に現実に引き戻される感覚がある。罰として懇親会があるという把握がおもしろい。
足跡がつくこと=靴のかたちをあらわにすることという気づき。ぬかるんだ地面に足跡が残る経験は何度もしてきたけれど、視点を変えればこんなにも豊かな歌になる。
いつだってコンサートは「会う」ものなのかもしれないと思う。結句(昼もあるなり)の律儀なダメ押しが、アーティストへの敬愛を感じさせる。
うっかり原稿通り読んでしまったのか、そういうことに無頓着なひとなのか。きっと口には出さないけれど、その場の多くの人が「どうして」と思ったことだろう。一字空けが効いている。
うれしい(ことが書いてある)紙、かなしい(ことがあった日に履いていた)靴と読んだ。省略によって、物とそれにまつわる感情とがより近くなるように感じる。
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