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⑨ひろみん社長の薬学生だった話
肝心の大学のほうは、薬学部なので忙しかったです。勉強だけでなく、毎日の実習もあって、結晶できないと帰れないとか。夜遅くまでなることもありました。夏休みや冬休みも短くて、私は不満でしたが、高い授業料を払っている親はとても満足そうでした。
親戚に薬学部がいるとみんないろいろ聞いてくるんですよね。「この薬って・・・・」とかなんとか。
その頃私の祖母はリウマチで飲んでいたステロイドによって副作用に苦しんでいました。薬をまさにその時学んでいる私に疑問がわきます。薬は本当に人を幸せにするだろうか。
化学が難しくなって面白くなくなってきたのかもしれません。逃げかもしれません。言い訳かもしれません。でも私は薬で人を薬にするのはむずしかしいのではと思ったのです。
楽になる薬ももちろんあります。どちらもうまく使えばいいのですが、私は東洋医学のほうに興味をもち始めました。
というのも我が家には私が中学生のころから、普段から中国の留学生がたくさん出入りしていて、中国が身近にあったからです。
ニュージーランドやカナダに行って、いくら勉強しても英語は自分のものにはならないなという確信をもったのもありました。英語からの逃げです。
中国語ならやっている人も少ない分レアでいいというマイノリティー魂もでました。
製薬会社で研究職に!と思っていたのに、大学に入った途端にバブルがはじけて研究職につくには大学院まで行かないとという流れもありましたが、4年で卒業するために薬学部にしたのに大学院まで行く気はありませんでした。(入れるかどうかは別として)
また就職活動の時期になって、父から「サラリーマンにはなるな!」と言われたのです。あれは本気だったのかどうか?今となってはよくわからないのですが、サラリーマンになることを許されなかったんですよね。それをすんなり受け入れたということは私もサラリーマンになりたくなかったのでしょう。
ということで、卒業後は中国に留学に行って中医学を学ぶことにしました。
人とは違うレアな道を選ぶこと。それが私の生き方になっていきます。
つづく